昨夜は某所に、映画評論家の松田政男さんなど数名が集まり、悪行をしたのち、いつもの飲み屋でビールを飲む。そこで、『ビリン・闘いの村 -パレスチナの非暴力抵抗−』というドキュメンタリー映画の試写会が渋谷のUPLINKで行われ、見に行ってきた友人からチラシ(pdf版)をもらう。実はこの試写会の案内は小生のところにも届いていたが、M印刷の仕事に忙殺されていて行く余裕がなかった。また、この監督の佐藤レオさんというかたとお会いしたことがあるらしいのだけれど、記憶からもれてしまっている。
そんなわけで、罪滅ぼしのために、この映画の宣伝をしておきます。引用はこちらのサイトから。陽春、UPLINKでロードショーの予定なので、ぜひお見逃しなく。
■「ビリン闘いの村」-パレスチナの非暴力抵抗− ***************
監督・撮影・編集:佐藤レオ 製作:HAMSAFilms
2007年/日本/ビデオ/カラー/16:9/ 61分/ステレオ/英語、アラビア語、ヘブライ語、日本語字幕
協力:NPO VOICES 配給宣伝協力:アップリンク
■ストーリー
パレスチナ暫定自治区・ヨルダン川西岸にあるビリン村では毎週金曜日、イスラエル政府の建設した分離フェンスに対するデモが繰り広げられる。強大な軍事力を持つイスラエル軍に対し、ビリン村の民衆委員会はパレスチナ人、イスラエル人そして外国人の活動家たちを率いて、非暴力を掲げ闘う。
分離フェンスにより生まれているのが経済格差。グリーンラインと分離フェンスの間の土地にはイスラエル人の高層マンションが次々に建ち並ぶというのに、パレスチナ側ではヤギを追う生活なのだ。その差たるや、東西ドイツの場合の比ではない。そして、パレスチナ側には水さえも十分に送られない。あらゆる面で"兵糧攻め"にされた村は、ますます窮地に追い込まれていく。
長く続くが故に、人々の心深くまで侵すこの問題。「解決には、イスラエルへの外からの圧力が必要だ」(イスラエル人ドキュメンタリー作家のシャイ・ポラック)。
だからこそ若者たちも、非暴力のデモで状況を世界にアピールしようとする。そして、「デモは、カメラがないとデモにならない」(イスラエル人活動家・ヤーリ)。
カメラとはつまり私たちの目であり耳。彼らが闘いを通して伝えてくるメッセージを、まず受け止めなければ―。この作品は、遠く離れたビリン村と私たちの対話の場でもある。
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そこで、飲みながらこのドキュメンタリーの話になると、松田さんが「この『非暴力』というのが、関係性を狭めるのではないか」と指摘。なるほど、現在イスラエルへの抵抗を中心となって行っているのは、ハマスやヒズボラという米国から「テロリスト」とレッテルを張られている武装勢力なので、「非暴力」を掲げてしまうと抵抗の中心がこぼれてしまう。闘争の現場では「非暴力」というのはあくまでも戦術的な選択(どちらが国際世論を味方につけるかとか)であるだろうから、「非暴力」を前面に掲げることには小生も違和感がある。だいたい、殴られたら殴り返したくなる。
カーター氏がハマス指導者と会談=イスラエルとの停戦など協議(時事通信) - goo ニュース
ついでに、エメ・セゼールさんが亡くなったと夕刊に出ていたという話になる。
A・セゼール氏死去 フランスの黒人詩人(共同通信) - goo ニュース
ところが小生、学がなくてこの人を知らず、松田さんにあきれられる。彼の提唱した「ネグリチュード(黒人性)」という考え方はのちに批判を浴びることになるが、1930年代、ヨーロッパでは知識人層に多大な影響を与えたそうだ。不勉強ですみません。ついでに、「1802年という年は、白人世界ではフランス革命の成果をナポレオンが簒奪した年だけど、植民地奴隷にしてみればハイチ革命の(正確には一度弾圧された後の再度の蜂起が)始まった年で、そのハイチ革命から生まれた胎動がのちのキューバ革命にまでつながっている」と、松田さんの幻視にカリビアンな色彩が織り込まれ始める。そこから、キューバ革命にしても主役は移動してきた(移動させられた)白人や黒人の子孫で、元々現地に住んでいたはずのインディオの姿が革命の場に登場するまではチャベスを待たなければならず、と長い話になるので、本日はここまで。22:00ころ解散。帰宅し爆睡。
本日9:00起床。疲れをとるには寝るにかぎる。途中松屋で納豆定食(参百伍拾円也)を食べて、10:00出社。とにかくこの土日はM印刷から来ているS堂のゲラ直しに目処を付けなければならない。
そんなわけで、罪滅ぼしのために、この映画の宣伝をしておきます。引用はこちらのサイトから。陽春、UPLINKでロードショーの予定なので、ぜひお見逃しなく。
■「ビリン闘いの村」-パレスチナの非暴力抵抗− ***************
監督・撮影・編集:佐藤レオ 製作:HAMSAFilms
2007年/日本/ビデオ/カラー/16:9/ 61分/ステレオ/英語、アラビア語、ヘブライ語、日本語字幕
協力:NPO VOICES 配給宣伝協力:アップリンク
■ストーリー
パレスチナ暫定自治区・ヨルダン川西岸にあるビリン村では毎週金曜日、イスラエル政府の建設した分離フェンスに対するデモが繰り広げられる。強大な軍事力を持つイスラエル軍に対し、ビリン村の民衆委員会はパレスチナ人、イスラエル人そして外国人の活動家たちを率いて、非暴力を掲げ闘う。
分離フェンスにより生まれているのが経済格差。グリーンラインと分離フェンスの間の土地にはイスラエル人の高層マンションが次々に建ち並ぶというのに、パレスチナ側ではヤギを追う生活なのだ。その差たるや、東西ドイツの場合の比ではない。そして、パレスチナ側には水さえも十分に送られない。あらゆる面で"兵糧攻め"にされた村は、ますます窮地に追い込まれていく。
長く続くが故に、人々の心深くまで侵すこの問題。「解決には、イスラエルへの外からの圧力が必要だ」(イスラエル人ドキュメンタリー作家のシャイ・ポラック)。
だからこそ若者たちも、非暴力のデモで状況を世界にアピールしようとする。そして、「デモは、カメラがないとデモにならない」(イスラエル人活動家・ヤーリ)。
カメラとはつまり私たちの目であり耳。彼らが闘いを通して伝えてくるメッセージを、まず受け止めなければ―。この作品は、遠く離れたビリン村と私たちの対話の場でもある。
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そこで、飲みながらこのドキュメンタリーの話になると、松田さんが「この『非暴力』というのが、関係性を狭めるのではないか」と指摘。なるほど、現在イスラエルへの抵抗を中心となって行っているのは、ハマスやヒズボラという米国から「テロリスト」とレッテルを張られている武装勢力なので、「非暴力」を掲げてしまうと抵抗の中心がこぼれてしまう。闘争の現場では「非暴力」というのはあくまでも戦術的な選択(どちらが国際世論を味方につけるかとか)であるだろうから、「非暴力」を前面に掲げることには小生も違和感がある。だいたい、殴られたら殴り返したくなる。
カーター氏がハマス指導者と会談=イスラエルとの停戦など協議(時事通信) - goo ニュース
ついでに、エメ・セゼールさんが亡くなったと夕刊に出ていたという話になる。
A・セゼール氏死去 フランスの黒人詩人(共同通信) - goo ニュース
ところが小生、学がなくてこの人を知らず、松田さんにあきれられる。彼の提唱した「ネグリチュード(黒人性)」という考え方はのちに批判を浴びることになるが、1930年代、ヨーロッパでは知識人層に多大な影響を与えたそうだ。不勉強ですみません。ついでに、「1802年という年は、白人世界ではフランス革命の成果をナポレオンが簒奪した年だけど、植民地奴隷にしてみればハイチ革命の(正確には一度弾圧された後の再度の蜂起が)始まった年で、そのハイチ革命から生まれた胎動がのちのキューバ革命にまでつながっている」と、松田さんの幻視にカリビアンな色彩が織り込まれ始める。そこから、キューバ革命にしても主役は移動してきた(移動させられた)白人や黒人の子孫で、元々現地に住んでいたはずのインディオの姿が革命の場に登場するまではチャベスを待たなければならず、と長い話になるので、本日はここまで。22:00ころ解散。帰宅し爆睡。
本日9:00起床。疲れをとるには寝るにかぎる。途中松屋で納豆定食(参百伍拾円也)を食べて、10:00出社。とにかくこの土日はM印刷から来ているS堂のゲラ直しに目処を付けなければならない。
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