風塵社的業務日誌

日本で下から258番目に大きな出版社の日常業務案内(風塵社非公認ブログ)

大手町へ(2)

2018年01月11日 | 出版
そして、久しぶりにやって来ました、ジジババの原宿とも言われる巣鴨の地蔵通り商店街。正月ともあって商店街に人通りが多いけれど、のどかでいいところだよなあ。ここまで来てしまった以上、まずはとげぬき地蔵におまいりに行かないことには始まらない。しかしとげぬき地蔵には相変わらず長蛇の列。寺の本堂だけ眺めておくことにする。本堂に向かって右側に降りれば、そこにも長蛇の列。おみくじを引く人たちが並んでいるようだ。狭い境内に長蛇の列ばかりなのだから、テキ屋さんも大喜びだろう。
以前、某氏が「とげぬき歯ブラシ」なるものを考案されたことがあったけれど、そのネーミングは某氏が当時巣鴨に住んでいたことから来ている。要するに、市販の歯ブラシを買ってきて、毛抜きでそのブラシを間引きする。そうすれば、ブラッシングしやすい歯ブラシになるというもので、某社からその書籍まで発行したこともあった。在庫はまだあるのだろうか。
歯ブラシの前に、こちらは腹が減っている。先客が出たばかりのそば屋に入ることにした。店内は混んではいるが、幸いにさほど待つこともなく席に着くことができた。ぬる燗をチビチビ飲みつつそばを待っていると、小生らの奥に男性ばかりの中国人観光客の4人組が入ってくる。まだ若く、学生かもしれない。そこに小生の頼んだ盛りそばが出てきたので、中国人にそばの食い方なるものを見せてやろうと、ズルッズルッと大きな音を立てて口に流し込む。こちとら、そば湯の産湯で育った山猿ばい、てなもんだ。
お店を出てから、赤パンツで有名なマルジをのぞいてみる。赤い腹巻がないかなあというわけだ。あった、あった。赤い毛糸の腹巻。妻にお願いして買ってもらうことにする。今年はRed Powerでヒット作を出したものだ。地蔵通り商店街をもっとブラブラしていたかったが、目指すは日本橋である。まだ道半ばというところだ。あまり道草を食っているわけにもいかないので白山通りにもどり、南進を再開することにする。そういえば、春日三球のお店がなくなってからすでに久しい。あの看板が懐かしく感じる。
山手線を通り越したところで、赤い腹巻を某氏(前掲某氏とは別人)に贈ってやろうと思いついた。その某氏、病気だなんだと腑抜けたことば言いよる。小生とペアルックにすれば、喝が入ることだろう。しかし、いまさらUターンするのは面倒くさい。後日、また巣鴨に出かけることにしよう。
少し歩けば、某有名児童書出版社の前に出る。20年以上前のことであるが、その出版社の労組がよく会社の前に張り紙をしていた。その1枚に曰く、「×万円程度の出張手当で仕事をしろっていうんですか!」げな。その金額を忘れてしまったけれど、こちとら出張手当なんてもらっていなかったので、ずいぶんと楽な職場だなあと笑いながらも感心したものである。しかしそれ以来、その出版社の刊行物が好きになれなくなってしまったのも事実だ。
そうこうすると不忍通りとの交差点に出る。その先を左手の17号線に進んで東洋大から東大方面に進む選択肢もあるけれど、そちらには近寄りたくない某所があるので、白山通りをそのまま歩いていくことにする。しかし、白山下交差点あたりまで来てみたら、段々疲れてきちゃった。おしっこもしたくなってくる。ディスカウントストアのオリンピックを越えると、樋口一葉終焉の地なる石板が置かれていることに気がついた。このあたりはよく通るところなのに、そんなプレートがあることにまったく気がついていなかった。それならば、菊坂に入って、一葉が足繁く通った伊勢屋質店でも見ていくことにするかと決め、その前に菊坂前の喫茶店が開いていたのでそこで休憩とトイレ。
ところで、樋口一葉をいまだ読んだことがない。妻に「読んだことある?」とたずねれば、「私もない」とのこと。なんとも教養のない夫婦であることか。それで思い出した。昔、Y氏(女性)に「腹巻くんは『たけくらべ』も読んでないの?それじゃあ、女心がわかるわけないよね」という主旨の糾弾(?)を受けたことがある。それ以来、いつかは一葉くらいは読まないといけないのではと思いつつも、そのいつかがいまだに訪れていないのだ。おかげで、いま現在も女心なんてわかるわけもなく、5000円札にも縁遠いわけだ。しかし、なんで5000円札が一葉なのだろうか。お金には縁遠い人選をあえてする意図が理解できない。
喫茶店を出てから菊坂を上がり、途中で金魚坂ものぞきこみ、ようやく本郷通りに出る。正月にまでわざわざ来たくもなかった本郷3丁目の交差点である。もっと閑散としているのかと思いきや、意外に人通りがある。湯島天神の参詣客なのだろうか。それを見越してか和菓子の三原堂はすでに営業されている。先日、F社社長から三原堂のお菓子をもらった妻は、その看板を見て喜んでいる。F社には感謝の意を申し述べておくことにしよう。
しかし、その隣りの藤むらは、どうして営業をやめてしまったのだろうか。その昔、本郷といえば藤むらの羊羹だったのである。それはともかく、南下を続けていくことになる。

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