風塵社的業務日誌

日本で下から258番目に大きな出版社の日常業務案内(風塵社非公認ブログ)

傍聴に行けず

2016年11月01日 | 出版
もう11月だ。しかも、外は雨、気持ちが重くならないわけがない。年越大作戦をどうやって展開したらいいものか、見当もつかない。ため息しか出てこないのである。布団から這い出るのもおっくうだ。ようやく妻のいれてくれたコーヒーの臭いが漂ってきて、意を決して起き上がることにする。コーヒーを飲みながら、ボケーと朝刊を読む。一通り目を通したはずなのに、なにが書かれていたのか、まったく思い出せない。これでは読む意味もないから、新聞取るのやめようかなあ。しかし、小生の目を覚まさせる機能の一端を担っていることは認めざるをえない。
小生の軽い寝坊により、本日はかなり遅めの朝食となる。小生が食器を洗っていると、出勤準備中の妻が、あ~ぁと軽くため息をついている。小生も「あ~ぁ、あ~ぁ」とツェッペリンの歌で唱和してやった。ちなみに、この曲名はなんだっけなあ。「あ~ぁ、あ~ぁ」とロバート・プラントが軽くシャウトしているやつ。ツェッペリン後期のアルバムに入っている曲だと思うけれど、その断片しか覚えていない。すると妻が、「私のこと、いまバカにしたでしょ」と怒り出すので、「唱和しているだけだろ」と答えておく。
ウーン、ツェッペリンでも聴こうかなあ。確か、リマスターされた新シリーズが出ていたのではないだろうか。お金があれば、それを大人買いしたいところだ。これはあくまでも個人的な趣味の問題なのではあるけれど、男性の金切り声系のロックスタイルはあまり好きではない。そのため、ヘヴィメタ系はほとんど聴いたことがない。しかし、いま聴くと、ロバート・プラントの声って艶っぽいよね。一方で、小生の好みの男性シンガーの傾向は、低音、ヴィヴラート系となる。そうなると、Lou ReedだIggyだLeonard Cohenだとなってしまう。ありゃ、全部ユダヤ系か。しかし、彼らはシオニストではないのだから許してもらうことにしよう。
そういえば、Bob Dylanには笑っちゃったなあ。なんだよ、本人テレていただけか。Bob Dylanのノーベル文学賞受賞後にJ社Tさんと、「ノーベル賞なんてブッチぎっちゃえばいいのにねえ」なんて話していたのだ。小生がTさんに「あれはストックホルムで授賞式をやるんですか?」とたずねたら、「平和賞だけはオスロじゃないかな」とのことだ。「じゃあ、授賞式のときに、そ知らぬ顔でオスロでライブを開けばいいのに」「そうだよね」。想像してみよう。そうなったら面白いではないか。究極の権威に対する叛逆であり、まさにロケンロール・ハートだ。しかし、Bob Dylanは偉大なシンガーではあるけれど、ロケンローラーではなかったようである。そこで、小生もロケンローラーではないので、お金をくれるのならばどんな賞でもいただく覚悟はできている。というわけで、だれかお金ちょうだい(たいした金額でなくていいんだけれど)。
そこで、雨のなか日本なんて早く滅びればいいのにと念じつつ、いやいやながら出社。会社に着いた早々、電話が鳴る。「あー、先月の電話料金、まだ払ってないなあ」と思いつつ、受話器を取る。Hさんからだ。「腹巻くんねえ、きょうのSさんの公判、11時じゃない。10時だって書いてあったから来たのに、あたり真っ暗だよ」「エッ、そうなの?」。ここで説明を要するだろう。小生らが作っている某ミニコミ誌に、Sさんの公判日程を掲載していた。ところが、その最終日の開始時間を間違えていたようだ。本日が、論告求刑と弁護側最終弁論なので、時間がズレたのだろうと想像する。
「でも、それねえ、『救援』に掲載したものをそのままコピペしただけなんだよ」「じゃあ、それはQCが悪いってこと?この怒りどこにぶつけようか」と電話が切れる。怒りは適当にぶつけてね。わしゃ、知らん。しかしなあ、このSさんの公判には小生も傍聴したいと思っていたわけである。なにせ裁判員裁判での公判というのを傍聴したことがないから、それを一度くらいは見ておきたかったのだ。そのうえ、このSさんの公判は短期間集中審理で、予備の裁判員まで含めて10数人規模の裁判員になると聞いていたから、小生の内心としては面白がっていたわけだ。
ところが、なかなかスケジュールが合わず、結局Sさんの公判傍聴ができなかった。どうせ控訴審以上まで進むのだろうから、そのときに傍聴することにしよう。そのうえ、明日はYさんと東京拘置所にSさんの面会に行く予定になっている。東拘に行くのも久しぶりだなあ。以前は東拘にずいぶんお友だちがいて、平日に休みがあると頻繁に面会に行っていたものであるけれど、ここんとこはずいぶんご無沙汰である。なんだかピクニック気分だ。その昔、東拘の第1号棟が建て替わったばかりのときに某氏に接見に行ったときはびっくりしたものだ。『スター・ウォーズ』のセットのようなところを歩かされるのである。建て替え前の古い東拘に面会に行った者としては、「なんだこの近未来は?」というのが正直な感想であった。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿