OL主婦の小さな幸せ。

日々の出来事や小さな幸せ、お出かけ、身近なエコ、環境問題、フェアトレード、鳥のこと、アロマなどを綴っています。

福島・宮城の旅~地産地消の旅館とエコなホテル~

2013年11月19日 | 旅行・小旅行

今回の旅行では福島・磐梯熱海の旅館で1泊、宮城・仙台のビジネスホテルで1泊
したのですが、旅館の方は食事が地産地消にこだわり、ビジホの方はエコ意識の高い宿でした。
※ビジホの方は出発数日前に探したので偶然っちゃ偶然^^;


湯のやど 楽山
全20室のアットホームな旅館です。




食事のシーンはあまり撮らなかったのですが、
“地産地消”(その土地で取れた物をその地で消費する)と
“土産土消”(その地で取れた物をその地の食べ方で食する)と
“旬産旬消”(その地で旬に取れた物を旬のうちに食する)を標語とし
野菜は全て楽山農場と契約農家産、魚介類は相馬原釜産漁港に水揚げされた前原産、
お肉と卵は福島県内産ということです。(HPより)

観光地ではその土地の食材を、一部使う宿が多いですが、
ここまで地元産を提供して下さる旅館は、わりとめずらしいと思います。


これだけちゃんと撮りました。
「かくれんぼ鍋」といって、
旬の食材を約900℃に焼いた石で豪快に煮る名物料理。
旨味が閉じ込められて野菜がめっちゃ美味しかったです!

ほかにも数多くの美味な料理がありましたが、「えごま豚」のしゃぶしゃぶや「里芋ときのこ煮」がかなり美味しくて。
あんな美味しい豚肉と里芋は初めてでした。

料理も従業員の方の対応も、お部屋も貸切風呂も含めて、もう一度行きたいと思う宿です。



2泊目の「ホテルグリーンマーク
入ってすぐのところに、ウェルカムドリンクの珈琲マシン。いつでも無料でいただけます。
これはそう珍しくないかもしれませんが、



紙コップのリサイクルに取り組んでいました。飲み終えたらお部屋のゴミ箱へ捨てずに、
こちらのホルダーへ戻します。
持ち手がはずせるようになっている使い捨てプラ製カップが多い中、再使用可能なカップと
いうのがエコ意識の高さを感じます。


アメニティの一部も、必要とする宿泊者が自分で取る方式。

これはいいですね~

アメニティグッズってタオル以外はいっそのこと有料にするか、必要なものだけを
予約の時申請できるようにすれば、ゴミが減らせるのにと思います。



こちらのホテルも地産地消でした。

食材は8割以上宮城県産を使用、県産のひとめぼれを100%提供、野菜の9割以上は県産品を使用などなど。


しかも地元のお母さんたちが作ってくれてるみたい^^
そういえば調理場では、お母さん!って雰囲気の女性が慣れた手つきで料理してました。

朝食バイキングは種類も多くボリューミーで、おなかいっぱい。
周りがほぼビジネスマンだったのもうなづけます。
ご夫婦客もいるにはいましたけど。


2ヶ所の宿で、地元の食材を消費するお手伝いが少しは出来たかな・・


福島・宮城へ行ってきました☆
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福島・宮城の旅~地産地消の旅館とエコなホテル~(この記事)
 



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4 コメント

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ありがとございます (hako)
2013-11-25 15:33:03
winさん こんにちは。お久しぶりです。

こちらに旅行に来てくれていたんですね~
貴重な結婚記念日の旅行に 我が東北を選んでくださるところが winさんらしい優しさがとてもうれしくて いつもは
ポッポちゃんの時だけコメントを送っていましたのに 東北人として御礼をお伝えしたくてメール致しました。
お帰りになられてからも 今の東北の姿を発信くださいまして本当にありがとうございます。

2011・3.11
あの日のことは 今でも鮮明に頭から離れることはありません。やっとの思いで 3日後に帰宅して元気の無事を確認した日 大人になってこれ程 大声を出して泣いたことがないほど泣いた思いや 元気を腕に乗せた重さや、足の冷たさや匂い、 肩の上から聞こえてくる元気の荒い呼吸がよみがえって 今でも鼻がツーンとするほど涙が出てしまいます。
6日後、道なき道を車を走らせ 遺体で見つかったという知らせを受け 信じることもできずただただ走行できる場所を探しながら 叔父を確認するために 石巻に向かった日の事や 安置所を転々とした時間の長さや安置所の悲惨さに 現実を受け入れられない悔しさもフラッシュバックして今でも 石巻方面に向かうことが怖くなります。
でも、忘れなくていいんです。
忘れずにいることが 犠牲になった方たちを供養するためにも そして被災地に住む、生かされた者たちの義務だと思っています。
winさんが向かった 気仙沼には私も約2カ月後に入れましたがそのころでも車がやっと通れる道が確保されただけの状態で 親戚が無事だったことが奇跡としか言えない現実が待っていました。未だに仮設に住み 住居先も決まっていない状況ですが、仕事も失い途方に暮れていた親戚たちも 半年後に再開した漁業で今、必死に頑張っています。
私の家の周りで崩壊した家は つい最近になって建て直され 住人も戻ってきました。建て直せる家はいいのですが やはり古い昔からの住人は年老いた方が多いので 立て直しもできず そこにまた住むことを心配する息子さん、娘さんのところに移った方も多く 半壊だった家も壊され ボツンぽつんと平地になって空いたままで町並みとは言えない淋しい町になっています。
それでも 漁業の町の誇りと強さで皆さん頑張っています。
奇跡的に助かった私の家族、特に母は ショックと直後からのヘドロの汲み出しや片付けから 精神的に一時病気になってしまいましたが 2年8ヶ月経った今、やっと落ち着いているように思えます。

こんな暗い話題ばかりになってしまい申し訳ありません。
でものり越えて来ました。
1日、1日が こんなに平穏で穏やかなことや 当たり前に家に電気があって明るい事や 蛇口から水が出ること ご飯がおいしい事、すべてが当たり前でないことを知ることが出来たのですから 胸を張って前に進むだけです。

私たちは忘れずに これから生れて来る世代に伝えていく事が義務ですが どうかどこかでまた思い出していただけると嬉しいです。

返信する
hakoさんへ (win)
2013-11-26 23:32:20
コメントありがとうございます。
hakoさん、東北の方だったんですね!しかも気仙沼の近くですか。
帰宅できたのは3日後だったんですね。。。
無言の叔父様と対面した時のお気持ち、そして元気君と会えた時の安堵、お母様のご様子・・
想像を絶しますが考えただけで涙が出ます。

今回の記事、投稿するか大分考えました。
でも最近震災後の東北の様子を報道する番組も減り、
更に7年後にオリンピック開催が決まってしまい(私は被災地のことを考えると、まだそれどころじゃないだろうと思っています)、
東北以外の人々の頭の中から、震災の記憶を占める割合が減っていくことを、危惧しています。
絶対に忘れてはいけないと思い、投稿しました。

いまだに私に出来ることはなんだろうと考えます。
寄付は最初はしていましたが、被災地に届いているのか心配ですし
こちらのお店で「気仙沼産」とか表示のあるお魚を選ぶくらいしか普段はできず・・。
やっぱり現地へ行くことかなぁと今回の旅で思いました。
元々西日本より東日本特に東北が好きなので、これからも可能な限り訪れたいと思っています。
返信する
 (hako)
2013-11-27 17:04:02
winさんの優しいお心や 行動に勇気を頂きます。


まだ私の住んでいるところも お伝えしていなかったですね(笑)
私は 宮城県の塩釜に住んでいます。
塩釜は 湾を囲むようにある町で震災の津波は 地形上、被害の差が激しく、家ごと流された地域や2階建ての1階部分天井までというところがあるのに たった海から30メートルなのに水害がないというところもありました。
私の自宅は岸壁から歩いて5分です。私が当日居た場所より もっと海に近いところです。なので確実に津波が来ていると思っていましたので 絶望感で頭が真っ白でした。しかしながら 波の方向は違っていて 私たちが予想もしていない方角から津波は来ていたのでした。それを知ったのも すでに3日も過ぎてからでした。
自宅から2件前で津波が止まった奇跡でした。
でも その奇跡に 後々私たち家族は苦しむのです。
家の中の被害はどこも同じぐらいめちゃくちゃですが、津波で運ばれたヘドロが家の中に入ったのと 入らなかったのでは雲泥の差があり 片づけても片づけても終わらない家の中、ご近所なのに手伝いにも行けない状況。私たちだけ波が来なかったことが申し訳ないほどの雲泥の差。家に居るのさえも辛かったことを思い出しました。

沢山の方々に支えられました。
沢山の方が手を差し伸べて下さいました。

たった一度 関東の方の鳥ブログにお邪魔しただけなのに 私の知らないところで呼びかけて下さり どんどん伝わって近県の方が ガソリンもままならない時に私の行方を捜しに来てくれました。
時間が一週間、二週間と過ぎると 無事を知った方々が 車いっぱいに物資を積んでやって来てくれました。もう、そのお心に言葉に出来ないほど 胸が痛くなるほど 嗚咽して涙が止まりませんでした。

そしてまた 一方では 1度だけ鳥のグッツをオーダーしただけの横浜のSさんという方が 電話も電気も 通信手段が全くない中 ありとあらゆる手段で 私を探してくれて居ました。やっと連絡が着くようになった後も
ご自分のブログで 私に代わって皆さんに配信していただき 沢山の励ましとご支援をいただき 私はそれを見て心を震わせ、支えにしながらのり越えることが出来ました。
その時、お借りしたブログを今も残していて下さいますので よかったらお邪魔してみて下さい。

「po-inco 鳥好きの 鳥好きによる 鳥だらけサイト」で検索すると出て来ると思います。
2011年3月24日を開くと その日の私のメールを載せてくれています。当時、愚痴や涙もこぼせる場所も、時間もなく ホンの少し隙間が空いた時間に 気持ちを吐き出すように夢中になって書いてしまったので Sさんが 抜粋して載せてくれております。

その方とは 今でもお互いの家に遊びに行ったり 連絡を取り合って いろいろと助けて頂いたり遊んでいただいたりしています。
そこにコメントを頂いた方とも メールのやり取りをして今でも 私の宝物です。

震災によって 失くしたものは沢山あありますが それ以上の 心の絆が私の一生の宝物となりました。 

おかげさまで 私も家族も そして元気もとっても幸せに暮らしております。
未だに 地震は毎日のようにあり 元気もあの日の事を覚えているせいか 可愛そうなほど敏感ですが
こうして生かされた命です。ポッポちゃんのように長生きしてくれるように 大切に飼って、共に元気で過ごしていけたら幸せです。
東北はこれからもっと寒さに向かいます。
winさんも お体に気をつけてお過ごしください。

ありがとうございました。

長々とごめんなさ~~~い
返信する
hakoさんへ (win)
2013-11-28 12:12:36
塩釜でしたか!
実は今回、夫が気仙沼行きを決めたのですが
私は松島を考えていたのです。
何でも、ちょうど旅行の日に営業復旧(再開)する遊覧船があったので、
お祝いを持って乗ってみようかと・・
なので地図をさんざん見ていたので塩釜の複雑な地形、覚えています!
あのような形だと、確かに被害に差が出そうですね。。。
もちろん被害が少ない場所が多い方がいいのですが、
住んでらっしゃる方の立場で考えると、複雑で苦しい場面があちこちにあるんだと、
hakoさんのコメントで思い知りました。

そういえばポッポもあの日以来、地震には敏感です。
目を丸くして体を細くし、その後ウロウロします。
スマホでインコの動画などを母に見せていると、
やきもちなのか後ろでギャーギャー言ったり^^;

そしてブログの「なんかヨウム?」、知ってました!
私にもインコ・オウムブログ友達が何人かいるのですが、
そこからブックマークを飛んで飛んで辿り着いた記憶があります。
5,6年前ですが・・・
グッズとか作られている方なんですね。

元気君を見れて嬉しかったです^^
やっぱり若いですね~うらやましい。


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