WILD THINK

ラテン楽団「Orquesta de WILD THINK」のバンマスが、日々思うことをダブワイズ

そんなにたくさんだとコンフュージョーン。

2006年02月26日 | 世間考
たまーに渋谷に行くと、「109」の屋上で大量のシャブをアブってて、そのせいでこの街にいる人はすげーハヤくてアッパーなんじゃねーかと思う。

先日ひょんなことから著名な音楽プロデューサー(ジャズとかボサノバとかのものすごく今をときめくシンガーをプロデュースしている)と飲んだ。西荻はハンサム食堂にて。
んで、なんで日本のミュージシャンはL.AとかN,Yでレコーディングしたがるのかっつー話になった。
僕はまぁ気候やらの関係でいい音が録れるとか有能なエンジニアがいるとか、あと単なるステータスとか、そんなとこだろうと思ってたけど、その人曰く「気分」の問題らしい。
N.Yは街が醸し出す独特の緊張感があって、それが演奏に反映するもんらしい。んで僕が興味深かったのがL.Aの話で、どうやらL.Aはゆるくて、なんかこれでいいやー、これでいこう、って気分になるらしく、東京のような情報がたくさんあり過ぎる所にいると、どれがいいのか分からなくなるけれども、L.Aだとなんだかゆるい空気が流れてて、善し悪しの判断がしやすくなるんだそうな。

これには僕も超共感した(L,Aにゃ行ったことにゃーけど)。

音楽雑誌とか読んだり、タワレコとか行くと、なんか良さげなソフトがたくさん紹介されてて、しかも全部が全部いろんなレトリックで褒めまくっていて、全部欲しい、買わなきゃ、とかいう気分になる。でも、そんな情報量消化できっこない。コンフュージョーン~。
いつごろか、僕はそんな気分になるのが嫌で、そういう場所にいくのは、自主規制、自主調整するようになった。あと、テレビもマンガもあまり見なくなった。2ちゃんねるとミクシーは全くしなくなった。イエスアイ。
んで、最近は友達が薦めたものを聴くとか、小さなレコ屋で試聴して買うとか、そういうつつましやかなチョイスをするようになったんです。ジャーガイダンス。

まぁとにかく世の中情報がたくさんあり過ぎて、決壊したダムのようになってるので、自分なりのヤバい治水術を身につけねばと思ったりしてるんです。バビロン。

人類学者レヴィ・ストロースは、法や貨幣やメディアによって媒介され、行われる間接的で一方的なコミュニケーションを「非真性な社会」と呼び、身体的な相互性を含む「顏」のみえる関係におけるコミュニケーションを「真性な社会」と呼んだそうだけれども、まぁちっとは後者にシフトしていきたいもんですな。とか思ったりしながらブログに書いてみたり。


あと、SINGO2が僕の通ってた大学に来た時に、情報がたくさんあり過ぎる世の中を「飯食いながら、ウンコしてるような状態」と比喩してたのを思い出した。
最近は情報を自主的に遮断することを「情報断食」って言うそうだ。


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