森の中のティータイム

離婚を経験し子供達もそれぞれ独立 
猫とふたり暮らしの小さな発見をノートに。

秋から冬に変わる時

2007-11-30 | 動物
もうすぐ冬になる季節が、私は好きだ。
山や公園の木々が一斉に色づき、道に美しい絨毯を作る。
カサコソと、踏んで音がする中をゆっくり歩くのも楽しい。
こんな時はカメラを持ち出していっぱい写真を撮る。

      
たくさんの用事が家で私を待っているけど(笑)、
こんな僅かな時間でも、心に豊かさと潤いをもたらしてくれるから
大切にしたいと思う。
 
      

古い友人から喪中を知らせるハガキが届いていた。
私もそのお父さんから自宅でカクテルをご馳走になったことがあり
知らずにいた失礼を詫びるために、電話を入れた。

倒れてからの大変だった半年間のことを聴いて、思わず涙がでた。
自分も含め、人はこうして死んでいくものだと受け止められる
年齢になったけれど、家族の思いや悲しみには、いくつになっても
慣れることがない。
久しぶりの近況も、私の比ではない出来事の連続に、驚くことばかりで
また会って話したいとの言葉に、近い内に会うことを約束して電話を切った。


      

      街を歩くと、今まで気付かなかった店のプランターが、
      実はとても素敵だったことや、あちこちの何気ない装いの
      小さな変化に目が留まることが多い

      

ボクの居たこの2年弱の間、馴染みの動物たちがたくさん死んでいった。
だけどボクが居ないことは、まだまだ受け入れられないでいる。
ボク、もうすぐまた寒い冬が来るよ・・。
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子供達へ

2007-11-28 | 思い・つれづれ
昨日の夕方ちょっとした口論があって、子供の成長に親一人で
関わることの責任の重さを痛感。

ただ、親の自分も面倒がらずに行き違いなどを言葉にしてちゃんと
説明したり、子供が自分の気持ちを家族に打ち明けることで、
互いに親として人間として少しずつだけれど日々成長してきたように
思う。

私は身近にある活字を手当たり次第読むクセがあるのだけれど、
そういう中で、自分の心に響く言葉に出会うことも多い。
そういう記事や文を見つけたら、トイレの壁にペタペタと貼る。
そうすると、否が応でも子供達はそれを目にすることになる(笑)
それは私が言うよりずっと効果的だし反発も少なく、自然に
心に留めてくれていたりする。

最近は熱心に観るようなテレビ番組も殆ど無いけれど、そんな中でも
思いがけず偶然観たドラマとバラエティ番組で、心にピンと響く
言葉があった。

「誰かのことを全て解ろうなんて、どんな人にも絶対にできない。
その人の根っこの部分が信じられるなら、それでいい」
ドラマのセリフのその部分だけしか聴いてなかったけれど、
それは、過去実際に友人の言葉尻だけを捉えて批判する別の友人に、
自分が言ったこととほぼ同じだったし、今でも自分の中の大切な部分
だからだ。
言葉だけではなく、その人が「どう思って」そう言ったかだ。
大切なのは気持ちだと、いつもそう思って人に接していれば
言葉の表現によりいちいち流されることもなくなるだろうと思う。

もうひとつ、昨日の「学校へ行こう」で、IKKOさんが言ったこと。
彼(彼女?)のことは少ししか知らなかったけど、有名になる前には、
周囲の無理解の中、様々な苦労があったことは分かる。
美容の道を進む決意がどんなに強くても、挫折や迷いで幾度か
夢を諦めようとしたと言う。
「そんな時、人は必ず愚痴や諦めに同調する友人を見つけて逃げようと
するだろうけど、決して諦めてはダメ。自分を信じて努力して突き進めば
夢は必ず叶う」と語気を強めた。

ちょっとヤンキー風の高校生たちが、その言葉に涙ぐむ姿は
いじらしく、他人の評価を恐れていては、道は開けないことを
ちゃんと証明してくれる人間の言葉って、やっぱり強いなと
思った。
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野良猫の死Ⅱ

2007-11-26 | 動物
昨日おばあさんに約束した深夜の捜索を終えて家に戻り
寝る準備をして、さあ床に就こうとしていた1時半頃、
突然近くの通りを数匹の犬が大きく吠えながら駆け抜ける
音が聞こえ、急いで玄関のドアを開けて見た。

すぐ傍のスーパーの裏口にあたる場所で一段と大声になったが、
狭い道路を挟んだ向かいにはデイケアセンターがあり、
そこの小さな植え込みの中に住む2匹の子猫と一匹の雄猫のことが
とっさに頭に浮かんだ。
いつも夕方から夜にかけて餌やりに来る人がいて、その人に
ボクを見かけなかったかを訪ねたことで、その猫たちのことは
知っていた。

犬は数十メートル離れたこちらから見ても、興奮した様子が分かるほどで
全部で4匹いたようだけど、吠えたてて何かを追いつめた後に、フギャー
という鳴き声を最後に静かになった。
何かを捕らえたことに間違いなかった。

ただならぬ様子に、助けようと走り出した娘を私は制止した。
昼間ならともかく、4匹もいたのでは娘も襲われると判断したからだ。
私も娘もそれから殆ど眠れずに悶々と朝になるのを待った。

朝早くその場所に行ってみると案の定、黄色の人懐っこい雄猫が
無惨な姿で横たわっていた。首にはいくつかの噛まれた後があった。
恐らく7月の日記に書いた野良猫の死も、この犬たちの仕業だろう。
野犬化した捨て犬たちなのか、ボクが居なくなった頃からよく見かける
ようになった。

いつも1時半くらいの深夜なので、窓越しに確認しただけだったが
おばあさんのアパートの周りを大声で走り回っていた時は、ボクを
追いかけていたのかもしれない。
4匹もいたのでは、賢いボクだってひとたまりもない・・。
娘も私と同じことを考えていた。

でも、たとえそうでも、犬が悪いのではない。
捨てる人間が悪いのだ。
繁殖業者に対し、ちゃんとした資格制度も設けずに放置する国も
殺処分するだけで、これといった対策も考えずにいる行政もおかしい。
生き物を飼うなら、命に対して責任を持つべきだし、病気になれば
愛情とお金をかけて世話をするという買う側への教育もしないと
捨てる人間に罰則を設けるだけでは、野良猫野良犬は減らない。

野良猫の死を告げることをためらって、おばあさんには
電話できずにいたけど、さっきあちらから電話があり、
泣きながら「もう諦めました・・」と仰るので、その猫のことを
話し、「ボクの亡骸など何処にもないので、きっとボクは何処かに
逃げて生き延びていますよ」と、言った。
私にはそう言う他に、おばあさんを慰める言葉が見つからなかった。

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姪が雑誌に!

2007-11-25 | 雑貨インテリア
時々買う全国誌に姪っ子が出ていると聴いて、早速買ってみた。
見開き4ページ(!)の特集まで組まれて、収納のお手本に
されていた。姪っ子は都会に住むわけでもなくどちらかと言えば
田舎と呼んだ方がピッタリの県に居る。

いつも姉から聞いていたので、キレイに整頓して安い生地を上手に
縫っては、インテリアに生かしたり娘の服を作ったりしていることは
知っていたけれど、プロの写真を通してその工夫の数々を見ると、
それがよく分かった。

他に特集されていた方々のように、お洒落な新築のマイホームに
住んでいるならまだしも、姪一家は古い借家をコツコツリフォーム
していて、私にはそれが尚更いじらしかった。
与えられたものをそのままではなく、自分なりに工夫して生活する
楽しみは、姉から自然に引き継ぎ覚えたものだと思う。

姪は雑誌のアンケートに答えただけらしいのだけれど、懸賞には
当たらず、逆に取材に来られたらしい(笑)懸賞は多分そのための
囮みたいなものかも;

ウチの娘たちは、昔その従姉のお姉ちゃんにピアノを習っていた。
雑誌を見ながら「○○ちゃん、偉いねー」と、暫く感心、感動(笑)
この影響で、ちょっとだけ部屋を片付けたりしている。
よしよし、長続きさせてよね~(○○ちゃん、サンキュー)

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毎日ベランダ猫を探しに、しばらく近所を歩く。
でも、この連休中は姉たちと続けて出かけていて一度ずつしか
歩いていなかったが、今朝おばあさんからまた電話があり
昨夜遅くにかすれた鳴き声が、階段の下で聞こえたと言う。
今晩その時間におばあさんのアパート周辺を見回りますと
約束して電話を切った。
ちょっと怖いけど、今晩も娘と一緒に探してみよう。




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動物を飼うということ

2007-11-19 | 動物
猫がいなくなって毎日のようにおばあさんから電話がある。
あげた写真を、別に住む娘さん二人に見せたところ、
我が家の方を本宅と思ってたようだと言われたらしい。

確かにそうかもしれない。
ベランダから家の中をじっとみていたあの目は、「何故入れてくれないの?」
と訴えるようだった。
娘のアレルギーさえなければ野良だと思っていた時に多分、家に入れ飼ったと
思う。




ベランダの箱の中に入れていた、ボアで出来た部屋用のペットハウスを
来年用にもう一つ買い置きしていたのも、野良だと信じていたからだ。
夏前に飼い主さんがいると分かった時には、冬、外の寒さに耐えて彷徨う
ボクの身を案じた日々が笑い話になり、どんなにホッとしたことか。



飼い主さんは私の怪我の心配までしてくださる。
私は本当は外飼い反対だったし、もし外に出さなければこんなことにも
ならなかった思うけれど、それを今更言っても仕方がない。
私が話し相手になることで、飼い主さんの心が少しでも癒されるなら
いつでもそうしてあげたいとも思う。

もしも本当にボクが私の身代わりになってくれたのなら、代わりに
残されたおばあさんをよろしくお願いしますよと、言われている気が
しなくもない。

近くの動物病院にも心当たりがないかを訊いてみたし、ご近所の
知り合いに会う毎に声をかけたけれど、忽然と消えたボクをあの後
見た人はいない。もしかしたら心ある人に野良として拾われ、
室内飼いをしてくれているのかもしれないと思えば少しは気も
晴れるが、今日も窓の外を眺めながらため息をついている。

来ないとすごく淋しいよ・・・ボク;;
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ボクも生きてるよね?

2007-11-16 | 動物
昨日も何度かボク(ベランダ猫)の飼い主さんから電話があった。
色々な思い出話と、友人の心ない言葉に傷ついたという話。
出かけようと誘う友に、「猫が帰らないので、その気になれない」
と返事すると、「猫くらいのことで!」という言葉が返ってきたという。

私もそんな経験がある。「たかがハムスターが死んだくらいで」
と言われたが、直前まで抱いていた手の平のぬくもりがどんなに
愛おしく切なかったか。
ペットロスとは、もしかしたら周囲の無理解な言葉によるものも
含まれるのかもしれない。





おばあさんの家には殆ど夜しか帰らなかったらしく、ボクの写真が
ないと仰るので350枚以上撮っている我が家の画像から30枚ほど
を選び、近所のラボでプリントしてもらいその日のうちに娘が届けた。



夜、おばあさんからお礼の電話があった。
何度も何度も見て、びっくりしていますと。
「お話に聴いていたよりも、可愛がっていただいたことがもっともっと
よく分かりました。」
「見なきゃ良かったと思うくらい、可愛くて」と泣き笑いのような
声で。
でも、「本当に嬉しくて感謝しているんですよ。大切にします」と
仰ってくれたので、届けて良かったねと、その後娘と話した。



実は画像を選ぶとき、娘と私はどれもコレも可愛くて選びきれず
交代しながら数時間かけ選んだので、その言葉を聞いたときの
嬉しさは尚更。
おばあさんに「ボクはきっと何処かで生きていますよ!」と
励ましながら、私たちも同時に、希望を捨てずにいたいと
自分自身を励ましている。
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・・・生きてる

2007-11-15 | 動物
不思議な体験をした。
先週土曜日、気持ちの良い天気に誘われて、姉と娘と共に
8キロ余りを歩いた。

海沿いの道を歩くのは心地よく、途中で美味しい海の幸を味わったり
イルカショーの水槽底部分が見えるガラス張りに顔をくっつけるように
して優しいイルカの表情を見て、ほっこり和んでの帰り道。

その場所にさしかかるといつも胸が締め付けられるような
不思議な感覚に襲われるのだけれど、やはり今回もまたそうだった。
その昔、幼い安徳天皇を怖がらせないようにと、海の底に竜宮城が
あると話して入水した場所に因み、竜宮城に似せて建てられたという
赤間神宮。通りを挟んだ入水場所には、海底に繋がる苔だらけの階段
がある。

そこを見つめているといつも悲しく切ない気持ちに襲われるのだ。
怨念とか全然信じない私だけれど、子を持った母親だからなのだろうか
染みついた悲しみがそこに漂っているのを、ひしひしと感じてしまう。

そして、帰り道立ち寄った近くの観光名所で、私は怪我をした。
歩道と車道を隔てるコンクリートで胸を強く打ち、今もまだ痛い。
そうでなくてもそそっかしい私が、近々来るという友人に案内するための
店を探して上ばかり見て歩いていたのだから、躓くのも当たり前だ。

翌朝、ベランダ猫の飼い主のおばあさんから「金曜の朝から猫が帰ってこない」と電話があった。
家に最後に来た時間は、どうやら私が怪我をした頃の時間だったと、
留守番していたもう一人の娘から聞いていたので、探してみますが
前にもあったことだから心配しないようにと言って、電話を切った。

それから幾度も子供達と探し、顔見知りの人たちに聞いて回ったけれど、
未だに猫は見つからず、どちらの家にも帰ってこない。

鬱ぐ気持ちを抱えながら、怪我のために一度は取りやめた友人たちとの
約束を守ろうと思い直し、昨日、5年ぶりに会ってきた。
二回り以上年上の友人は以前よりもっと「我が道を行く」元気さで
喜んでくれ、太極拳を教える友人も相変わらずのおおらかさだ。

私がその気にならずとも、見舞いに来ようと計画していたらしいが
良かった・・・会いに行って(笑)
突然来られたら我が家は絶対パニックですから!
それでも、私は途中からの参加で、場所も近くのお店に変更してくれ
たから出来たこと。

笑いすぎて、打った場所が痛かったくらいにおしゃべりした。
別れ際、みんなで握手。
次があるかどうか分からないと、年長の彼女が言っていたことを
心のどこかで皆、少しだけ思っていただろうけど、今度は彼女の家の
猫たちに会いに行くことを約束して別れた。
絶対行こうねと、近くに住む友人とも話した。

家に帰るとまたおばあさんから電話があり、少し諦めた口調で、
「あの子はお宅のような優しいご家族に可愛がられて幸せだったと
思います」と話され、私は再び猫を探しに夕方の町を歩いた。
歩きながらふと、あの怪我の身代わりにボクが犠牲になったのかも
しれないという考えが、急に不安となって胸に広がっていき
もうボクに会えないのかもしれないという悲しみが、じんわりと
重い心に押し寄せてきて、涙が止まらなかった。
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ブームの落とし穴

2007-11-07 | DIY・ハンドメイド・クラフト
      
      ケンミンビーフン買ったら付いてきたエコバッグ

      
      余り布でロゴを覆うと使えるかも(笑)

大好きな雑貨の世界にも、その時々のブームはある。
インテリアの世界でも今、アンティークがブームだが、何故か
アンティークなのに、「今どき」のブームがあったりする(笑)

雑誌に掲載されれば、昨日までの古道具が一躍脚光を浴びたり、
突然高値で取引され、品薄になったりする。
商売をする人にとっては、時代の動きに敏感であることは
もちろん必要不可欠だけど、買い手側がそれに振り回されるのは
ちょっと悲しい。

それがブームになるとたちまち、手入れもされずに放置されていた
傷だらけの机に30万もする高値をつけてはばからない業者さんには
美味しい商売だろう。

そもそもブームに火をつけた人は、百年使える海外の古いけれど美しい
家具たちに魅せられ、それらを見る目を活かして海外の専門業者に
塗装を剥離させ、更に元々の美しい木目に手入れを施して見事に再生
させるプロセスを経ていたが、それに続けとばかり、どう見ても
家具を見る目は素人としか思えない人たちがチョイスした海外モノは、
農家の納屋に放置され腐りかけていた雨ざらしのガラクタだったり
するのだ。

自然素材を使った手作り雑貨のブームもアンティークブームも、
本来は自然回帰や人の手を経たモノ達を大切に使って、これまでの
使い捨てを止め、生活そのものを楽しもうという原点に基づくもの。

今持っているものが思い出の品で、デザインを少し変えればまだまだ
使えるのに廃棄し、アンティークに手を伸ばすなら本末転倒だし、
そういう人は本当のインテリア好きであるはずがない。

インテリア雑誌や雑貨の本では、30代前半の主婦の「新たなカリスマ」が
続々とデビューしているけれど、彼女たちのファッションもどうやら
そのライフスタイルと共に憧れの対象になるらしい。

この頃、雑貨屋さんに行けば必ず同じように綿や麻のマフラーを首に
ぐるぐる巻いたり(夏の暑い時も!)ブカブカのリネンで作られた服を
重ね着した女性を何人も見かける。
私も綿や麻の服は大好きでいっぱい持っているが、いくら「カリスマ」に
似合っても、スタイルが余計に悪く見えるデザインは敬遠する。

自分に似合わぬモノは絶対に着ない主義(笑)の自分から見たら、
「○○みたいになりたい」までは解るとしても、
「○○になりたい」というのは、不思議な心理だし解せない。
そういう人はいくら自然の服に身を包んでも、ブームが去れば
ダサイと捨てるだろうし、永遠に流行りを追っかけているだろう。

      

      
     一昨日作った娘のブックカバー(シンプルにと言われ、刺繍を断念;)

      
      行きたい場所などの切り抜きを集めたクリアファイル用の
      カバーを、自分用に作ったが、ちょっと小さく出来た;
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グレイズ・アナトミー

2007-11-06 | 映画ドラマ
昨日、ちょうど娘のブックカバーを縫い上げたところへ
友人が録画してくれたドラマをわざわざ届けてくれた。

グレイズ・アナトミーを観て毎回思うのだけれど、デレクの
役がどうもにやけ過ぎに感じ、メレディスが何でこの人に
ああも惹かれるのか、私には今いち解らんのだよね・・。
隠し子がいた、市川染五郎にも似てる(笑)

それからクリスティーナを好演のサンドラ・オーさん。
彼女の無表情なアジア人女性の象徴のようなルックスに、
なぜかアメリカ人気質丸出しの自己中なキャラが、
この役の面白さなのだろう。

他の映画の役どころも、脇役ながらいつも光っている。
今回のセリフでも、クリスティーナの無神経な言葉の中に
彼女の心に隠れたバークへの愛情が見える。

手が思うように動かないことを言い出せずにいたバークの、
一番辛いはずの気持ちより何より、自分に率直に言わなかった
ことに腹を立てるところ。
「治ったって言った!」と何度も何度も責めるセリフは、
聞いてるこっちも辛くなるほどだ。
私がバークだったら気持ちが擦り切れて、多分とうに
別れてる(笑)
バークは器が大きいんだろうね。

愛を伝える術が巧い人って、それはそれで怖いけど
でも、不器用でも人の気持ちを思いやる余裕があれば
少しは言葉で伝わってくる。
クリスティーナの未熟さがこれからどう変わるのか
行き当たりばったりではない描き方で魅せてほしい。

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夕方の雨で、通路から動けなくなった野良猫のタマちゃんが
いつもの餌場でご飯を貰えなかったらしく、ウチへ来た。
大声で鳴くので「シーッ」と黙らせてご飯を食べさせたその後、
今度はレンタルで借りていた「向かいの窓」という
イタリア映画を観た。映画三昧の贅沢♪

主人公の女性は綺麗だったが、生活に疲れていてヒステリー気味。
人は良いが、がさつで友人の色恋に興味津々の親友。
生活力には欠けるが、お人好しで子供や妻を愛している夫。
可愛い盛りの子供達。

それらに囲まれた日々の中で、向かいのアパートの男性に恋してみたり
突然現れた認知症の老人の言葉で、封じ込めていた菓子職人への夢を
再び歩もうと決意する主人公の、心の動きがなぜか読めない。
それらのかけらをどう拾い集めても、共感もなく・・・。
これを絶賛していた人と私とは、多分感性が違うのだろう。

イタリア映画やフランス映画を観た場合によく感じることだけど、
彼等の生活の中心は、多分「エロス」なのだ。
グレイズ・・・でも時々そう感じることがある。
なんて節操のない・・と思うのは、私がオバサンだからか(笑)


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ケータイ大喜利(その2)

2007-11-04 | 番組
先日もブログに書いた、NHKのケータイ大喜利
昨夜もやっていた。

ずっと面白い人だと思っていた板尾さんの評価が、この番組では
今ひとつ、私にはピンと来ない。
笑いのセンスが違うのだろうが、たまに「分かってないな」と
思うことがあったりして。
忙しいのか、疲れていて楽しめていないのが伝わってくる。

ゲストが特に若い女性の場合、たまに的はずれなコメントをされ
面白さが半減してしまうことがあり、これも残念。

昨日も、私が一番面白いと思った「考えられへん」の十文字作品
    「戒名にドットコム」の、戒名が何のことだか分からなくて
コメントに苦労していた。
生放送だから、知識の豊富さと機転の利く頭の良さが求められる。

笑いのセンスと言えば、UKのコメディ番組「エキストラ」の
エグいギャグが、どうも私は苦手らしい(笑)
元々私は、「フレンズ」のようなコメディショースタイルで、
バックに笑い声が入れてあるものが好みではない上に、
下ネタや他人の身体上の欠点をあげつらって笑いをとるエキストラ
タイプのギャグが、昔からどうにもダメなのだ。

たくさんのWOWOW番組を録ってくれる友人にも申し訳なかったので、
この番組だけでも録画を断ったことで、少しは気も楽に。
(それでも充分多いけど・笑)

ケータイ大喜利では、ケータイというツールを使うだけに
時代のアンテナを常に張っていないと分かりにくいギャグもある。
流されるのは嫌だけど、大抵は笑いの中に小さな皮肉や批判があって
それを知っているからこそクスリと笑えるというものが、私好みかな。
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