森の中のティータイム

離婚を経験し子供達もそれぞれ独立 
猫とふたり暮らしの小さな発見をノートに。

おっちょこちょいにつける薬はない

2007-10-29 | 家族友人
普段は夜に電話をかけてこない友人から、昨夜かかってきた。
その朝見て感動した番組の再放送を、夜またやるというので
それを私に教えてくれるために。

ねむの木学園を主宰する宮城まり子さんを中心にとりあげたその番組の、
障害のある子供達が描く絵の表現の素晴らしさを、同じく絵を描く私に
見せたかったのだと思う。
宮城さんの子供達に寄せる思いの深さは、言葉などでは表せない重みで
彼女の心に感動をもたらしたらしく、「人の心を動かす原点は
やっぱり愛なんだよね」と、語った。
そうだよね・・と、私も先日感動した映画の話をし、うなずいた。

その後、話が彼女の娘さんのことに移った。
娘さんには二人の子供がいて、上の子の初めての授業参観に娘さんは
張り切って出かけたという。

だが、着いた時には授業は既に終わっていて、そこで初めて娘さんは
時間を間違えていたことに気付いたらしい。
友人曰く「でもねぇ、私も娘が小さい頃に同じ間違いをよくやってね。
それがいつも自分の都合良く、遅い時間に勘違いするんよね。
それが自分でも嫌になるんだけどね」

私は彼女のそんな正直さが好きだ。
可笑しくて憎めない。
多分、自分も同じようにおっちょこちょいだからだろう。

仕事上ではそのせいでミスをしないように、私は人一倍気を張り
いつも肩をがちがちに凍らせるように努力していたお陰で
殆どミスをしないで来た。
そのうちプライベートでも、迷惑をかけることを極端に恐れ
いつの間にか緊張症になってしまったが、本質は昔のままだ。

だから彼女のようにそのままの自分を全開にして生きている人を
見ると安心できる。以前の職場にも彼女のような人が居て、ある日
午後出勤の私が店に着くとシャッターが降りたままなので、
慌てて午前出勤のその人に電話すると、のんびり「もうすぐ
着くよー」と返ってきたことがある。
シフトを私のと間違えたのだ。

これは極端な例かも知れないが、私はどうしてもそういう人を
嫌いにはなれない。
彼女たちは一様に人柄が良く、感受性も豊かだったりするのだ。
彼女たちの、失敗しても自分を閉ざさないポジティブさに、
鈍感で図々しいと陰口を言う人もいるが、私はそういう人には
分からぬ苦労が彼女たちにもあることを知っている。
落ち込んでいないわけではないのだ。

一時間ほど話し込んだ後、彼女は「9時からだから見てね」
と言って、9時直前に慌てて電話を切った。
それから私も急ぎ、チャンネルを合わせた。
が、そんな番組やっていない。
不思議に思い、番組表に目をやると、あったあった。
8時から・・!

もう終わってるし。
さすが彼女。しっかり最後にオチがついてる(笑)
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バラの香りとカンガルー

2007-10-28 | 写真画像
昨日土曜日は、姉の運転でドライブがてら緑を堪能することに。
初めは私の下の娘と私との三人のはずだったけど、急遽飛び入りで
すぐ上の姉も参加。

お天気も上々で、海辺の道路に沿って植えられたコスモスの
美しい姿を楽しんだ後、グリーンパークに着いた。

子供の幼稚園時代に一度と、母が亡くなる前の年に
母と姉たちとで一緒に来た後は、ここには来ていない。
植物が大好きだった母の、楽しそうだった姿を思い出しながら
あの時と同じ場所に座ってお弁当を食べた。

母を思い出す場所が私たちにはたくさんあって、しばらくは
それらの場所に行くたび涙ぐんでいた私たちだったけど、
そういう時間をたっぷり母と過ごせたことが
どんなに幸せだったかを、今しみじみ噛みしめている。

バラ園のバラを姉たちが楽しむ間に、私と娘はカンガルー園に。
大きなカンガルーたちは、志村動物園に出てくるハッチみたいに
全ての仕草が人間の親父っぽくて笑える。
のんびり(ぐったり?)横たわっている姿は、テレビの前で
寛ぐ日曜日のお父さんみたいだ。

小ぶりでシマシマのしっぽのワラビーたちの柵の傍に、
破れた穴から出てきたらしいカワイイ目の子がウロウロしていた。
飼育員さんに訊くと、「この子はポチタマにも出たんですよー。
いたずらっ子なんですよ」と教えてくれた。

      

もしかして、飼育員さんに育てられたというあの赤ちゃん?
こんなに成長しても人間が好きなのか、全然人を怖がらずに
平気で身体を寄せてくるし、落ちた葉っぱを拾ってはむしゃむしゃ
食べるので、一枚拾って渡すと、それを両手で持って目の前で
食べてくれた。

独占状態でたくさん撫でて堪能したので、娘も私も大満足して
バラ園に行き、姉たちと合流。

 

そのバラの美しさは、特別花が好きなわけではない私にも、
言葉にならないくらいの感動をくれた。
皆で歓声をあげながら、これもたっぷり堪能し
地上の楽園ってこんな場所かもしれないねーと、帰り道
携帯やデジカメで撮った写真を眺めながら皆で話した。

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今を生きること

2007-10-25 | 思い・つれづれ
以前にもブログを始めた目的の一つは、私自身の「カタルシス」
だと書いたけど、やっと本当の意味でそれが出来たお陰なのか
少しずつ心が軽くなっていくのを実感している。
熟睡出来る日があることが嬉しい。

大辞林によると、カタルシスとは抑圧された感情や体験を
言葉や行動として外部に表出して、心の緊張を解消することとある。

そういう場所が欲しいと思った。
ただの日記だけれど、見知らぬ誰かが見ているかも知れない緊張感。
それが誰なのかを、互いに特定されないからこそいい。

特定されるほどの情報は出さずとも、嘘は書かないという
距離感と安心感。
だからむやみにアクセス数を稼ぐ必要もないし、意味もなく(笑)

たまたま見たという偶然に導かれた共感や反発がいい。
でも出来れば反発を持たれる相手には勘弁していただきたい
という程度の、圧迫のない放出に留まることにしている(笑)
見知らぬ相手に対してでも、それくらいの配慮とマナーは必要だと思うから。

日記の内容が含むキーワードによっては、とんでもない数の
アクセスをいただいたりで、無知な私はたまに仰天したりするけど(笑)
更新すれば必ず思った以上の方々が見てくださるということが、
書くだけで浄化できるからと思って始めた自分にとっては
新鮮な驚きであり不思議な気分。

こんな拙文に付き合ってくださり、有り難くも申し訳なく(笑)
でも、内にこもる傾向のある方にはぜひお薦めしたいと思う。

元々内気だったらしいけど、こもるタイプではなかった私は、
自浄作用が進むにつれ、以前のように自然が美しく感じられる
こんな季節、どうにも家に居られない。

遠出や人混みは苦手なので、専ら歩ける場所を目的もなく歩く。
そうして見つけた雑貨屋や古本屋、アンティークの店で
初対面の方と話をするのも楽しい。

大抵は姉や娘たちも付いてくるし、友人と一緒だったりするが
一人でも構わず行く。
様々な発見があったり、質問に答えていただいたりする。
一人の時はそれなりの楽しみ方がある。


頬に風を感じたり空の澄んだ青に吸い込まれるような気分で歩く
この季節が好きだ。ぐったりと死んだようだった夏とは違って
毎日のように猫との隠れんぼを思いっきり楽しめるし
ご飯も美味しい。昨日も焼き魚・煮物と一緒に、お隣のおばあさん
からいただいたお手製の大根の葉のお漬け物が美味しく、
食べ過ぎるくらいに食欲も出た。

そして友人が録ってくれる週5本(!)の海外ドラマを観る時間も
楽しみの一つ。
お陰でレンタルビデオ代助かってます(笑)有り難うー♪
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ケータイ大喜利

2007-10-23 | 番組
最近NHKの「ケータイ大喜利」にハマっている。
笑える。
どんなに機嫌が悪くても。
悲しいことがあったとしても(笑)

前回の放送では、
「何だそれ?小学校校歌の歌い出し」のお題で
「残念ながら君たちは♪」が、私も一番良かった。

あ、でも「ウォーウォーウォーウォー、イェーイェーイェー」
も、笑った!
あったら可笑しいーこんな校歌!

笑いが足りないアナタ、お一ついかがですか(笑)
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自分の足で歩こう

2007-10-22 | 思い・つれづれ
このブログを始めて間もない頃に、転機があった。
以前にも少しだけ触れたことだけど
ある人の言葉により、突然打ちのめされ、
愕然としたこと。
そして、
「自分が思うほどには、信用していた人から
信頼されていなかった」のだと気付かされた時のこと。

それまで、これは私のやり方ではないと思うことがあれば
自分の気持ちを無理に変えないでいたけれど
他人に対して自分のやり方を押し通すことはなかった。
相手と上下関係があるからとかいうのではなく、
それは相手を尊重するという、当たり前の気持ちからだ。
だから、自分も当然尊重されていると思っていた。

ところが、そうではなかったのだと知る出来事があった。
気付かずにいた自分が恥ずかしく
大人同士、対等だと思っていた自分が情けなかった。

人生の長い時間を費やして話をした相手に、
「そんな人間に見られていたのか」という悲しみ。

これがどれだけ私を苦しめ、
私のプライドをズタズタにしたことか。
だからこそ、長い間、私はその部分には
触れずにいたかったのだろう。

でも、その後気付いた。
誰かが悪いのではなく、双方思い違いをしていたのだと。

人はひとりでは生きられないけれど、
一人になる時間も必要だ。
あまりにも深く他人と付き合うと、
それができなくても、これでいいのだと
自分に納得させて、
自分は人を裏切らず精一杯の誠意で接していたつもりでも
何処かで無理をして(させて)いたことに
ふとした拍子に気付かされてしまったのではないかと。

どんなに応援したい人にでも、
直接の歩みに手を出してはいけないように、
私たちも自分の足で歩かなければ
本当の意味の信頼関係だって
築けなくなる。
例え親子にだって、少しの距離が必要なんだもの。

私がこのことをここで言えるまでに、
随分時間がかかったけれど、
これを言えなければ本当の意味で
新しいことに前向きに取り組めない気がして。
この場所があったことも、これで
少しは意味を持つだろう。
全てはここから始まったことだから。
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マニーの雑貨

2007-10-19 | 雑貨インテリア
昔の手作りに触れたので、思い出したもの。
MANY(マニー)の雑貨。

子供が小さかった、20年以上昔。
薄いブルーの縁取りをした、サクランボ模様のティーカップに
一目惚れして、結婚して初めて自分のためにそれを買った。

当時はまだ世間ではインテリアとか雑貨への関心が低く、
「生活の絵本」「私の部屋」といった数少ない雑誌で紹介される
ものは、欲しくてもなかなか手に入れられずにいた。

    

嬉しくて大切に使っていたけれど、まだ小さかった娘が
次々に割ってしまい、とうとう受け皿一つだけになっていた;

木のコースターも、全ての柄を集め大切に使った後、
殺風景だった玄関の壁にアーチ型に貼って楽しんだ。

機械刺繍のドイリーも可愛くて、フレームに入れて
部屋に飾り楽しんだ。

他にも幾つかマニーのモノがあったはずだけど・・
書店で、マニーの歴史と共にあった雑貨たちの写真を見つけて
懐かしく眺めた中に、昔持っていたものが幾つかあったっけ。

女の子が一度は持つ「カワイイもの」への執着。
それが無くなったのは、いつだったろう?
ハッキリと覚えていないけど、自分の中で何かが変わった
時期なんだろうな・・。
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昔の手作り

2007-10-18 | DIY・ハンドメイド・クラフト
一つ前の記事で、昔作っていたオーナメントというのは


          
こんなタイプのものが多かった。

いくら子供向けに作ったと言っても、やはり私の好みの色味で
今見ても少し地味だったかな・・と、反省(笑)
それでもやはり子供が大きくなるにつれ、部屋に合わなくなって
こういう類のモノは作らなくなった。

ドールハウスも、シルバニアファミリーの影響でどんどん膨らみ
子供と一緒に手作りしたモノも幾つかあった・・。
楽しかったな・・12分の1の小さな世界で
集めた道具を並べて子供と一緒に楽しんだあの頃。
懐かしい思い出と一緒に、今でも大切にしまっている。



          



          
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雑貨屋めぐり

2007-10-16 | DIY・ハンドメイド・クラフト
少しバスに乗るいつもと違う場所でのウォーキングに、
友人にも声をかけてみた。彼女は銀行以外行きたい場所がないと言うので、
結局私の好きな雑貨屋めぐりに付き合ってもらうことに(笑)

    

この大きな糸巻きは、先日ブログにも書いた雑貨屋でアンティークとして
売られていたもの。よく見ると、1968年と記してあった。
これがアンティークなら、私の方がもっと立派なアンティークだっ(爆)
その店を再び訪ね、そこでは買えなかった紫陽花のドライフラワーを
別の店で安く買った。名前は忘れたけど、これも紫陽花の一種だそうだ。

それからまだ行ったことがなかったフランス雑貨の店で、
麻袋に入った小さなマルセイユ石けんを買った。
    

お手頃価格のパスタランチを楽しみ、他にも色々なお店を見てまわった後、
3時頃に友人は帰宅。

よく行くブティックからのお得意様?セールとやらの招待状も
持ってきていたけど入る気がせず、布地屋さんに行き、
5時には私も帰宅。

留守中、ベランダ猫の飼い主さんから「最近猫が毎夜出て行っては
そのまま一晩中帰ってこない」と、娘に電話があったらしく、
急ぎ夕飯の仕度をし、ベランダ猫を探しておばあさんの家まで送っていった。
一体、毎晩どこをうろついてるんだろう?不思議な猫・・(笑)

最近また、タンスにぎっしり詰まった古い服のリメイクを
あれこれ考えるのが楽しい。
こちらは洗って縮んだ古い無印のセーターのセンター部分に
2カ所ジグザグミシンをかけて切り離し、三つ折りにして
似た糸でかがり、ボレロ風にリメイクしたモノ。
    

綿のレギンスを何枚かもっているので、普段着のワンピやチュニックに
合わせた時、上に羽織るモノが欲しかったから。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
こうして見ると、私は自分や家族に必要なものしか作っていないな。
いくらカワイイと思っても、使わないタペストリーに長時間費やす
根性も暇もないし、無駄なことのようで、性に合わないのだ。
昔はこれでもオーナメントとか作ったんだけど。
私が作るきっかけはいつも、欲しいモノがあっても市販の物に見つけられず
仕方なくか、捨てるのがもったいないかのどちらかだもの(笑)

このラフな(笑)家用めがねケースも、実はお土産でもらった岩塩の麻袋を
捨てがたくて、サッとステッチしただけ。
老眼鏡入れとして結構役立ってます(笑)
    




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置き去り犬チビのその後

2007-10-11 | 動物
昨日夕方、娘と散歩の途中にチビの家へ寄った。
ちょうど、飼い主のおばあさんが庭に出ようとしている所だった。
「あら~チビちゃんは今、おじいちゃんと散歩に出たところなんですよ」
私たちのガッカリした様子に恐縮されるおばあさんに、丁寧に挨拶をして
その場を離れ、少し先の古本屋に向かってまた歩き出した。

少し歩いた所にある児童公園に、チビは居た。
「チビー!チビちゃーん!」声をかけると、チビは急いで駆け寄ろうと
おじいさんが転びそうになるほどリードを引っ張ってきた。

「チビ!元気だった?」お互い嬉しくて嬉しくて、
顔舐めも何度もされては抱きしめることの繰り返し、数分。
というのも、いつもはフェンス越しの「ロミオとジュリエット」
どんなにこの腕に抱きしめたかったことか!!

    

後ろ足も、まるでどこも悪くない子のように走ってた。
薬は欠かせないようだけど、その様子が嬉しかった♪
それからおじいさんにも散歩を中断させてしまったお詫びと
お礼を言って別れたけれど、幸せな感触が心と身体にじーんと
しみ込んでくる感じに、ずっと満たされていた。

    


昨夜は本当に久しぶりにぐっすり眠れ、自分でも不思議(笑)
これって、きっと絶対、チビのお陰だねー。

    

最近、タロー君の可愛い笑顔の写真がアップされていて、
こちらまで幸せに包まれる気持ちになったけど、
動物の不思議なパワーのお陰で、たくさんの人間が助けられているんだよね。
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本からの知恵

2007-10-10 | 思い・つれづれ
先日触れた本の話。
自分の心と身体の状態を、イメージでヒーリングする実践法の本だ。
こんな本を買うからには、娘にも様々な悩みがあるのだろう。
悩みがあるとき、誰かに相談するよりも書店で解決法に繋がる本を
物色するというのは、ワタシ似かも(笑)
(実際にはこれとは別の実践法の本で、娘に大きな効果があったらしく、
それをレビューに書いた娘のところに、出版社の方から
販促のための宣伝コピーに使わせて欲しいとの申し出があった!)

私が買ってきた、主に精神面を癒す言葉の多い本とは違い、
それは気功法をベースに伝統医学や宗教面などから導かれた
知恵が元になっている。「李 敬烈」という人の書いたもの。
私自身はクリスチャンの思想が生き方の基盤になっているので、
宗教面が強調されたものは避けたいのだが、これは全ての人に通じる
人間の身体の習性とも言える部分について書かれているので
すんなり受け入れられた。


その中には、既にこれまでの自分の体験から得たこともいくつか挙げられていた。
例えば「~しなければという思いは、気が収縮していき融通がきかなくなり
他人に対して批判的になり、自分も他人も枠にはめてしまう」
「~しようという意志は気が拡大していくために意識が広がって、
同じ大きさの問題でも余裕を持って眺められ機転も利き良い結果が出せる」
ということ。言い換えれば、自らの意志で行うということが努力しても困難な時は、
そのこと自体が始めから自分には向いていないのだ。
この部分は気付くことがあって、決断を下すヒントにもなった。

それから、「場合によっては問題から気をそらすことも大事だけれど
真正面から向き合うことでストレスを完全になくすことができる。」
という部分は、私には特別頷けるところだった。
ごまかして前に進もうとしても、相手があることなら再び同じ思いをし、
更に深く傷つくことも多い。ならば正面から向き合う方がいいと
私も思う。

気をそらした方が良いのは、身体的痛みや他者への
批判的な気持ちや怒りに対してだと続く。
その手の不快な状態にあっても、少しの気持ち良さに全神経を
集中させることで、それらを消し去ってしまうということ。
これは言うより実際は難しい(笑)

二日前の朝、起きたら両手が浮腫んでいて赤ちゃんのようになっていて
「悪い病気かしら」と不安になり慌てたが、半日で消え、
コレも気持ちの問題かもと思おうとしているけど・・・
精神面の影響が大きいものと生活習慣などによるものとは
区別できそうで難しい。手遅れにならない程度に気をつけたい。


更に「マイナスの動機で夢が叶っても、幸せにはなれない」というもの。
見返してやるという思いなどで得たものに、人は決して満足できないからだ。
これは自分に全くない部分だから大丈夫。と思っていたけど、
逆に娘に、「それ以上無欲は反って良くないよ」と言われた(笑)
そうか・・夢持たなきゃね;夢見ていいんだよね。

そして、この本で私が最も好きだった言葉。
「現実とは自分の外側で起きる出来事ではなく
心の中で起こっているものなのである」
つまり、自分がその出来事や状態をどう感じたかで
捉える事柄も変わってくるということだ。

最後のこれは、太極拳を教えている友人が
最近感銘を受けたという本の話をした時に聞いた
その内容と同じだった。
偶然にも、めったに話せない遠く離れた場所で
同じ本を読んでいたことになる。
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