ワイルド7の血脈

月刊望月三起也を応援するブログです。

望月三起也総合研究所

2011-04-04 14:06:08 | Weblog
望月三起也総合研究所

 今日、月刊望月三起也4月号更新されていましたね。

私も作りました。

非公式サイト「望月三起也総合研究所」。
一回目の文章、「ワイルド7の魅力ー反逆、反抗、レジスタンスのあり方とは何か」と共に、上梓したかったのですが、間に合いませんでした。

インターネットは、かさばらないので、雑誌よりも保存に良いのですが、
文章もやっぱり、生ものと同じように思えています。

一度、読んだ文章、書いた文章、特に、長文となると過去のものへ戻って読む気になるものは、少ないです。

でも、本当は、それではいけないと「普遍的」なものを求めて
「文学」もあるのだと思います。

主題別、研究となりますが、共通の資料となるようにやっていきたいと思います。

気軽に、書き込み提案、お願いいたします。

みなで、もっと盛り上げながら、ハードボイルドの領域の開拓をしていきましょう!


くじけず、不屈の精神で!

ワイルド7ブログの展開

2011-04-04 02:09:47 | Weblog
http://wild7.jp/bbs2/c-board.cgi?cmd=one;no=1951;id=#1951



俄然やる気が出てきましたよ!
さっきまで、出かけていて帰ってきて、仮眠。
起きると再び、緊張感が走りました。

そうそうこの感じ、いいですね~。
(先生の言いたい放題風に)

この緊張感の充実感、悲壮感?
「困難な時こその覚悟」が、ここにあるじゃないですか。

そうなんだよ。
ワイルド7に求めていたのは、この緊張感なんだよ。
このドラマ、生のドラマだったんですよ。

まだ、その本当の魅力が何だったのか、半分眠っている私には、言い当てられませんがね。

退屈な日常に、ワイルドの銃弾を!!

…。

てな、感じで、私もこれまで、荒れに荒れ放題で放置していた自身のブログの手直しから始めていきたいと反省しておりました。
ブログって放置していると変な告知のペンペン草がはえてくるものなんですね~。
不思議です。
自然界も人間界も同じなんですね~。


ワイルド7の血脈
http://blog.goo.ne.jp/wild7_2008

ワイルド7 FC
http://grunherz.cocolog-nifty.com/wild7fc/

ぐりゅーん・へるつさんとは、同じ頃、ブログを作った仲間だと思っています。
また、中庸を射た意見、冷静な判断(スナイパーにはこれが必要)、
その存在感が大きいです。
ぐりゅーん・へるつさん的ファンがもっと増えないだろうか。
現に、一人は、いるのだからといつも思いながら、私も書き込みをしておりました。
みなが、てやんでぃ江戸っ子でぃ!って感じだったら書き続けることもなかったかもです。
その位、ぐりゅーん・へるつさんの存在は、大きいのです。
本編の投稿でもそれが裏付けられているように思います。

表のファンのぐりゅーん・へるつさん
裏のファンの私。
まるで、インファナル・アフェアじゃないですか。

先の読めないドラマだから面白いのです。
可視化するからツィッターは、面白い。
それは、整理されているからではなく、過程も全て、みせるから、一気に、
可視化すると「朝まで生テレビ」で、東こうきさんが、述べていました。

てな、感じで、冷徹な草波勝隊長、リーダー飛葉、自称ヘボピーになりたい私。
謙虚なチャーシュー、両国らしからぬ頭脳派などなど面白く展開できていけたならと思います。


望月三起也総合研究所、非公式サイトをもっと盛り上げていきましょう!!

一人ひとつのブログには、盛り上がらないそれぞれの忙しい理由もこれまでの中でわかってきたりしています。

頑張りましょい!!

エキストラ問題

2011-04-04 02:07:47 | Weblog
内容は、わかりませんが、削除されているようなので、事務局さんに任せて良いと思いますよ。

削除から学ぶものもあろうと思います。
私も学んでいます。

貴重なファンを失うのは、先生だって望んでいないでしょう。

特に飛葉さんの様な熱烈なファンですから。


スタッフと話したなら良いんじゃないでしょうかね。

事務局の見方は、また別でしょうけれども。


飛葉さんも自身のブログを作ると良いと思いますよ。


どの位が良いのか悪いのか本当の所、誰にもわかっていないのです。
しかし、飛葉さんが、悪意でそれをしているとは、誰も思ってはいないと思います。



もっと、心の広いワイルド7ファンの場所を作って行きましょうよ。


もし、ワイルドやめたとしてもその後の飛葉さんを応援して行きたいと思っていますので、是非、自身のブログなどで、思っている事を書いてみてください。

なかなか名文章であると思ったのですが…

2011-03-27 18:08:15 | Weblog
放射能の問題で、削除されたウルトラセブンの話もありますし、
また、資本主義原理論として、考えていた具体的な内容でしたが、
日本の勉強量の限界として、読むほうも苦しいものがあったと
甘んじたいと思います。


それでも、読みたい勇気を持つ人の為に、私の掲示板に入れておきます。


日本は、あまりにも「思考上」タブーがあり過ぎます。
だから、北野たけしにみな、期待してしまうのではないかと思うのです。

タブーのない正論を正論として描ける日本を作るために、私も命を賭けて描いているのです。

復興する町の中で

2011-03-27 16:24:56 | Weblog
東京の水も放射能汚染が、報告され乳児に飲ませないようにと流布されたり、(今は、解除されていますが)、夏の計画停電の話が出たり東京も無傷ではありませんでしたが、大きくは、変わってもいないと思われます。

 おとついより、「朝まで生テレビ」から、日本の一流芸人たけしの番組である、情報7daysニュースキャスターをみたりしていました。

 時事を混ぜないで、文章を書くのは、難しくなっていると思いますし、最大の関心事であると思っております。

 朝まで生テレビでは、ライフスタイルを変えることの考察がなされていました。
確かに、湯水の様に電気を使う生活よりは、三丁目の夕日の頃の方が、人間の暖かみもあろうし、賛成と思ったりしておりました。
情報7daysニュースキャスターのたけしの毒舌から多分、Mステのことの他でもあろうかな?他でもそうなのか?
思えたのは、震災に乗じて、商売をする無名のミュージシャンの指摘などなど
ミュージシャン、画家の世界の営業とボランティアの狭間についてです。

 更に、昨日、一度録画しておいた「ライアーゲーム劇場版」を予告とおり朝方、観ていたのですが、欲望と情熱の関係に決着をつけたいなと思ったりしていたのでした。
たけしは、無名なミュージシャンが、この期に乗じて、商売していると指摘。
絵は、楽しいから描いていて、ゴッホもそうだ。
おいらの絵は、売らないと言っている。(たけし最新刊『超思考』 幻冬舎から)

 いつもそんな時に思うのは、これまた、日本が誇る世界の宮崎駿アニメ「ナウシカ」の
「我々も確かに、火を使う。だが、多すぎる火は何も生まない」と言う言葉です。
この言葉は、全く、そのままの言葉になっていて、多すぎる火、こそが、原子力の火だったのであり、ライフスタイルを変えるための警告が、ここにもあったのだと気がつくのです。

 しかし、一流だったら震災にてボランティアを行っても売名行為にならないのだろうか?
その一線は、どこからなのだろうか?

 その理想と現実的欲望=資本主義原理について考えるマグマが、メラメラと燃えるものについて、「ライアーゲーム」は、有効であり、哲学的な思考実験がここにあったのです。

 更に、数日前に録画してあった「尾崎豊ドラマ」も消化しつつ、全く、タイムリーだよ。今日は、金八先生ファイナルもやるし、なんて思っていたのでした。
26歳で死んだ尾崎豊、その苦悩の軌跡は、謎ばかりであるけれども、その人の死は、真実であり、苦闘の証だと思ったり、
大漫画原作者梶原一騎は、何歳で?と気になって調べていたら50歳で若くして死んでいたんだと一人勝手に、感銘を受けたりしていたわけです。

 この全ての連鎖は、無関係な様で、関係しているのだと思っていますし、私によい情報を与えてくれています。

 おれおれ詐欺やら霊感商法、騙し騙され肥大化してきた日本の資本主義社会ですが、ワイルド7最初の全48巻の闘いの歴史と符合していて、蘇る記憶が、この中にもあり、その内在性こそが、今回の映画化もまさに失敗できないものだと思っているし、そして、短い人生の中でチャンスは、一度しかないのだと思うし、この中にあって、あしたのジョー、カムイ外伝の劇場版を超えて、後出し立候補としての魂を本当に、新しいファンに伝えていけるかの問題になっていると考えているのです。

 26歳で真実の生涯を終えた尾崎豊、そして、50歳で去った梶原一騎、男の生き様として、ただ、量産するだけ、話題性だけの劇場版復興を望月三起也ファンも勿論、先生自身も、飛葉さんのような熱血ファンも望んでいないんだと思っているのだと思っています。

 今、飛葉ちゃんなら、被曝覚悟で、原子力発電所を復興する役がそれでしょう。
最前線の苦闘を持っていなくてはならないと思います。

チャンスは、一度、失敗は、許されない!

チャンス到来!
(てな、感じで、序章とします。今後、これを膨らませて、それぞれを主題に書いていきたいなと思っているわけです)


 まさに、少数先鋭で利用している月刊望月三起也掲示板ですが、ちぐはぐなワイルド7=野生の七人程度の枠でありますが、更に、百花繚乱に新しいファンが、増えていくことを希望しております。
mixiは、喧々諤々、無内容なのに、2チャンネル同様論争論争?論争になってるの?状態です。


劇場版を待望するファンのみなさん!遠慮せずどんどん書きましょう!
漫画ファンの越境、文化ファンの越境、応援メッセージ描ける仲間を増やしましょう!
(読みきれないほどでもね!)

つまり民主主義と資本主義は両立しないという考えですか。

2010-01-16 18:28:44 | Weblog
マイケル・ムーアインタビューから


《つまり民主主義と資本主義は両立しないという考えですか。》

 民主主義と資本主義は正反対なんだよ。資本主義は少数が利益を得るように設定されている。対して民主主義はすべての人の利益を考える。経済活動がどう行われるべきかという問題に対し、民主主義者として僕らにどのくらい発言権がある?社会の中で最も重要な経済についての発言権もないのに、民主主義とは呼ばないだろう?

枠組みを超えて

《社会主義についてはどう思いますか。》

 ロシアで起こったことが原因で、社会主義に悪名がついたのは残念なことだ。だからといって、資本主義は良くないから、じゃあ社会主義に向かおうということではない。今までの枠組みを超えて考えるべきだ。 もう21世紀なんだし、僕らは僕らの時代に合ったやり方をみつけなければいけないんじゃないか。


《資本主義社会で、かつ民主主義が機能している国もありますね。》

 僕は、起業してお金をもうけること自体が悪いと思っているわけじゃない。でも、他者を搾取したり、利益を不公平な形で分配したりしたら、それは一線を越えている。かつては民主的な資本主義があったかもしれない。しかし100年、150年前の姿を使って資本主義を定義することはできないんだよ。

《自由競争だったのが、何か違うものに変化したと?》

 その昔は、どの町にもそれぞれ町の靴屋とかアイスクリーム屋があったよね。資本主義を信奉する人たちはそもそも自由なんか信じていないし、競争を欲していない。彼らがむしろ一番求めていない競争だ。利益を独占したいんだよ。


《資本主義の基本は欲望の充足にあります。そして欲望は人間の特性でもありますが。》


そりゃ、目の前にチョコチップ・クッキーの皿が置かれたら、できるだけ多く食べようとするさ(笑い)。健康面で良くないことが分かっていてもね。でも、10枚のクッキーがあったとして、僕が9枚、最後の1枚を残りの9人が分け合うのは、果たして良いといえるかい?それが今の状況なんだ。

《米国人はそんな資本主義を容認しているようにも見えます。》

そうなんだ。無知を強いるシステムの中で育てられたからね。ほとんどの米国人はイラクがどこにあるか知らないんだよ。位置もわからない国に侵攻し、後で調べればいいと思う国なんだ。そんな国が世界のナンバーワン・パワーを持っていていいと思う?僕があなたの国の人間だったら怖いと思うけどね。


「夢」こそ危険

《米国の問題は、実は「アメリカン・ドリーム」に内在するものではないですか。》

 答えは、イエスだ。夢っていうところが危険なんだ。いつか金持ちになれるって、鼻先にニンジンをぶら下げるようなものだ。君たちの国では「君もいつか大金持ちになれる!」なんて子どもを育てたりはしないだろう?「何それ、冗談も大概にしとけよ」で終わるよね(笑い)。

《日本人にとって、米国は長い間、あこがれの存在でしたが。》

 確かにいいところもあるよ。しかし、米国のようになってしまう、と言いたいんだ。ジャズやジーンズの話をしているんじゃない。米国化が進めば、暴力も増えるし、銃の数も増え、アホな人々が増えてしまうんだよ。今すぐ止めないと(笑い)。

《米国の好きなところはどんなところでしょうか。》

 まず言いたいことを言えるところだね。米国人の明るい人柄も好きだし、

(後略)

愛蔵版 ワイルド7から

2010-01-14 12:57:08 | Weblog
愛蔵版ワイルド7全12巻は、2002年10月から2003年3月まで刊行されたのだから、もはや7年の歳月が経過しています。

その後、ぶんか社版文庫も出ていますが、幾冊かは、のりで購入したものの全巻集めても読むためではなく本箱を狭くするためでしかないと思い、今回は、集めておりません。

次回の再編集、再販の時もあろうと思いつつ、同じ本ばかりで、本箱を席巻するのはやめておこうと思った次第です。

同じ本を買うのには、それなりの訳があるのですが、新たに書かれた解説を読みたいと言うのが大きなものとしてあります。

愛蔵版第一巻目は、

危険な取材ノート

「現実感のない悪は読者の共感を得られない。だから、これからも危険な取材にチャレンジだ!!」

皮ジャン、だっせえ、ブルゾンじゃんよと、今の若い読者は言うかもしれません。連載当初はチョオ・イケメンの主人公を創ったつもりなんですがね。
 言葉は時代の変化。今読み返すと当時のセリフが妙に新鮮に感じたりします。
 ”だしィ”やら”いける?””する?”といちいち語尾を上げる言葉遣いが当たり前。いい大人まで使っている現在、セリフにいちいち「?」マークをつけなくちゃ正しくない。「?」だらけのセリフって”ウザイ”でしょうから私、使いません。



あとがきにかえて/望月三起也

ってな具合に、現在進行形もわかるのが楽しくもあるものです。
さらりと現代の若者批判をかつての若者代表の漫画ワイルド7の作者が述べているのも良いです。


第二巻では、再び、土山しげる氏
第三巻は、故人赤塚不二夫先生
「女もバイクもガンも、望月の描写は日本人離れしているんだ」と嫉妬しています。
望月三起也漫画は、アメリカンコミック的であるのが魅力だけれども今は、中国コミック的「創天航路」もあり多彩を極め面白いと個人的に思っておりました。

第四巻 小池一夫先生登場
「30年を経て、今、時代がふたたび『ワイルド7』を必要としている」

この主題点は、私自身が、今現在、感じていた主題点と合致しているので、更に展開したいと思っている所です。





更に、余談ですが、
「夜明けのマッキー」大都社版昭和59年初版

はじめに
        望月三起也

「夜明けのマッキー」は、昭和45年5月から12月まで少年サンデーに連載した作品です。
 この作品は、それまでの作品の集大成として、私なりに全力をかたむけて書いた作品です。
 物語は、栄光の座をすて、虚飾に満ちた太平の日本を飛び出し、殺人、破壊、恐怖の内戦にゆらぐアフリカへ飛んだ新鋭カメラマン麻樹が、命の限界に身をおいて、真実の生き方をさぐる苦悩の姿を描いたものです。
 この作品から”生きることとは何だ!!”という、作者の叫び声ききとっていただければ幸いです。



ともすれば、望月三起也ファンは、粗暴で、兵器が好きで好戦的と思われやすい外見を持つのだけれども、人間の本質としての暴力や強くなりたい願望が兵器、又は、早く走りたいと言う気持ちがバイクへと結びついて、文明は、発展していたのだけれども、それを人を本当に幸福にしたり平和、平静な心へと向かわせているのかの問いの現状が、ここにあると感じていたのでした。
白土三平先生が、神話・伝説シリーズや他の忍者ものでも暴力をそのまま裸で描くのも同じではないかと思い、その暴力や力への憧れとは何かと言う
根本的な問いをここに感じてきたわけです。
(もちろん、純粋にマニアな楽しみもそれぞれの世界に導入としてあるとは思っておりますが。)

もうひとつのアフリカもの「はだしの巨人」では、
カストロ・ゲバラを真似たような全高連、荒神のセリフから始まる
「我々全高連MM派の幹部5人だけでじゅうぶん襲撃できるわけさ」

もちろんそれらは、狂言回しとしても登場してくるのだけれども
ワイルド7は、警察内部にあって、ゲリラ戦法そのもののような俊英さを持つから魅力的でもあり
21世紀の今は、前時代的遅れたスタイルにもみられているのだろうと思うのです。

夜明けのマッキーの様に、大きな問題意識を掲げた作品は、娯楽性を半減させたりもどかしさの中で、どっちつかずに沈没する場合もあるかも知れない。


その葛藤の中で、良い作品だけを残していきたいし、語る土壌にあげていきたいものだ。



新ワイルド7第二巻徳間書店版あとがきにて


初め、依頼があったとき新構想の連載物を考えていた…。
作者は絶えず新しいモノにチャレンジしたいものだ。だけれど『ワイルド7』の熱心な読者の声もあって『新ワイルド7』を描くことにした。ワイルド7のメンバーのキャラクターに読者の熱烈な想い入れがあるのではなかろうかと…。
 キリストじゃないけれど、復活した今、読者の手と自分の手が10センチくらい離れていて、「新ワイルド7」を描くことによって同じ想い入れが太いパイプでつながるじゃないかと…。
 四畳半モノはイヤだ、活劇物を描きたい!日本風ハードボイルドがボクの世界だ。
(後略)

日本の中で、行動したいと思っても出来ない閉塞感があり、それについて、

梶原一騎の「あしたのジョー」も
本宮ひろ志の「男一匹ガキ大将」から「サラリーマン金太郎」まで答えてきた。

武論尊と池上遼一の世界がある。

「北斗の拳」のころの武術ブームから知略を基本とする漫画が
「信長の野望」「三国志」の周辺に出来上がってきている現在にとってもワイルド7は、その輝きを保てているのかと言うのが、現在、私の第3の主題となっていると言うわけなのです。

飛葉は、男一匹ガキ大将の戸川万吉の様に、外見は、ケンシロウのようなマッチョではない身近な存在であり、心の弱さも持つどちらかと言うと身近な存在でもあるのだけれども、池上遼一の描く、主人公とにてういる様で、そうではない。
その比較論は、後日にまわすのだが、



このことを引き合いにして言いたい事は、
昨今の月刊望月三起也事務局のその少年の「男大空」的展開の方向さえ曇らせるような狭い管理の仕方についてです。

ただ、マッチョだったケンシロウ期を越えて、今や「三国志」仲間意識、連帯、知力、組織、チームワーク全てを考える頭脳派の時代に入っていると言うのに
小さなことばかりを気にしているようにしか思われないと言うことです。



けいおん!は、現実にあったイベントへ行きました程度の報告のようなものであり、息抜きのように音楽漫画の話題で息抜きさせる以上の目的では書かれていないものです。
ワイルド7の幅を、ヤングキングの表紙、2号は、リキだったけれども
1号は、ラブコメ風の表紙。
それと同じく、全てが、ワイルド7の周辺と言えども現在進行形の流れの中から離れるものではないだろうということです。

時代を読んでいたからワイルド7は、傑作でもあったと言うこと、その新しい
言論の幅さえ規制するだけの先細りでは
この先、のびのびした文章を誰も書き出せないのではないでしょうか???




主客転倒とは言いますが、それは、部分だけを見ての話ではないでしょうか?
旧掲示板から書き続け、そして、ファン感謝デーの記録その他、書き出してきた上で、今の漫画状況も70歳の大先生にも伝える意味を含めて、書き出していたもので、無意味とは考えていないと言うことです。


アジアの片隅とは、吉田拓郎言い草ですが、
暗黒アジアは、アフリカと同様に、同じく、前近代的な鎖国状況をいつも感じています。


ギターリストの魂の伝達は、分野は、違えども
ワイルド7の魂の伝達と同じではないか?と言う含みを書き出したかったが、
読み出そうと言う考えのない人にはわからないだろうと言うことです。



望月三起也作品が、可愛そうに思えます。


いつから、ここは、北朝鮮になってしまったのでしょうか?

せめて、少数の仲間でしかありませんが、ここからでも目覚めた情報を
実践や躍動のメッセージを広げていく場所へとしていきたいとこれまで書き込みをしてきているわけです。

本当の意味の対話はこれからだと考えています。

ワイルド7の哲学

2009-12-15 22:20:36 | Weblog

具体的内容に踏み込んだご返信ありがとうございます。
また、読むのに時間を頂くことになるかも知れませんが、
これは、話し合いの場として与えられているものとして、
私の方もお答えを載せると言うことにしたいと思っております。


《先の【※掲示板の書き込みについて】に記したように、書き方の問題ではなく、
内容の問題だと捉えていただけたらと思います。》

内容の問題であるとの認識が私の方にもありましたので、そこにある誤解について語りだしているとことでした。

《この掲示板の趣旨としては、望月ファンが「気軽に楽しく」コミュニケーションできる場として設置したものですので、
残念ながらこの場の内容としては、そぐわないものがあるという事をご理解ください。》

気軽に楽しくと言う事はわかりますが、ワイルド7や望月三起也先生の作品は、昭和期のものも多くあり、歴史的に紐解くもの、
平成的に新解釈を加える形の楽しみもあると考えています。
その楽しみ方に幅があるのではないか?
そして、ここは、リアルタイムの少年少女だけではなく、
かつての少年少女であり、懐かしむ「大人」も交えた場所にもなっていると思っていますので、
多様性の幅こそが問題になっていると考えています。

ですので、今後は以下の基準を踏まえた上でのご利用をお願い致します。

●自殺や社会問題などファンサイトの範疇を超える議論を前提としたものは、掲示板・コメントとも書き込みはご遠慮ください。

このことについての「誤解」と逆提案としては、
別の書き込み「ワイルド7の哲学」として後に書き出したいと思っております。

●望月先生や望月作品を語る上で、それを補うためにカムイ伝やコードギアスなどを引き合いに出されるのは構いませんが、
あくまで望月先生の公式サイトですので、主客転倒するような内容はご遠慮ください。

主客転倒については気をつけたいと思いますが、「ガンダム」との比較論その他、サブカルチャー論も
表現上のものとしてお認めになっているのだと感謝したいと思っております。


●上記の内容でもご自身のブログからのトラックバックは構いませんので、その際は最も関連性の高いと思われる記事に
トラックバックしてください。

これについてはこれまでもこれからも大いに活用させていただきたいと思っています。

●作品に関する論稿のようなまとまったものは投稿としてお送りください。その際は事前に事務局宛にメールにてご連絡ください。

書き込みの場所の選択については、その即効性や自由性として掲示板が最適と判断する理由
長文が、嫌いとする人が「気楽ではない」と判断する「書き方」ではない「内容」の問題については
また、事あるごとに、まずは、「ワイルド7の哲学」の方で、書き出すと言うことになると思います。

●他のサイトやブログで書かれたものを、そのままコピーし書き込む事はご遠慮ください。

これもケースバイケースではないでしょうか?著作権物であるなら従いますが、自身の書き込み、または、
対話上必要な引用と言うものがあります。
ただ、実際に書き出したものより温度差があり冷たいものと受け取られる「書き方上の問題」があろうと思っておりますが、
問題の中心ではなく些細なことではないかと思っております。

●掲示板の書き込み内容は長期的な保存を保証するものではありません。
「その時その時の気楽な会話を楽しむ」といったものであるという事をご了承ください。

この事は、前掲示板の経緯からも承知しております。
「その時その時の気楽な会話」についても否定するところではありませんが、
インターネットと公共性、そして、月刊望月三起也と言う場所の影響力を
それほど狭いものと考えているファンも決して少なくないだろうと
言うこともご理解頂きたいと考えています。

ご自身としては不本意かもしれませんが、決して少なくない方々から、
ワイルド7の血脈さんの書き込みへの疑問の声が寄せられているという事実を受け止めてください。
お互い望月ファン同士として、是非、大人の対応をお願いしたいと思います。


書き込みへの疑問については、誤解が解けるかどうかわかりませんが、
せっかく事務局さんの方から与えられているこの場所もありますので、
「ワイルド7の哲学」と言う書き込みの中で、長くなるかも知れませんが、
書き置きのみでもさせていただく事、お許し願いたいと思います。

是非、大人の対応として、ここにある誤解について
話し合うこの場所としてのテーブルに書き込みを
お許し願いたいと思います。






「ワイルド7の哲学」

はじめに


ワイルド7の哲学と言うよりも「血脈の哲学」と考えられるかもしれませんが、
掲示板の問題と更に、「内容の問題」が具体的に提示されておりますので、
お答えしていきたいと思っております。

何故、この点が引けない場所となっているのか
そして、この問題を通して、提案することが重要とするのかと言うことは
説明したなら誰でも簡単にわかることではないかと思っています。

 その前に、月刊望月三起也が始まって以来それほど書き込み手が増えている
わけではありませんが、(ワイルド7の七人?それとも十人範囲でしょうか)
熱烈に支持しているファンとして、
長文の書き込み手でもあり、多くのトピックの創造を手がけていて今回の件につきましても
直接ご助言を頂いているぐりゅーん・へるつさんに感謝の意を示しながらそこから
語りだしたいと思います。
また、グッズ問題を中心に書き込みが盛んなのも書き込み手やファンを増やしたいためのものだろうと
推測しております。


《ただ、サブカルチャー関連の話など、この掲示板の趣旨とは離れ過ぎていると思うんですね。
「望月作品と他作品への影響」あたりまでは範疇だと思いますが、それ以上の話は、
別のところでやられた方がイイと思います。》

この点については、
●望月先生や望月作品を語る上で、それを補うためにカムイ伝やコードギアスなどを引き合いに出されるのは構いませんが、
あくまで望月先生の公式サイトですので、主客転倒するような内容はご遠慮ください。

あくまで望月先生の公式サイトであること、
主客転倒とは何かと言う範囲で、表現の自由の幅についての問いとなっていると言うことだと
思います。

この中で、主客転倒しないかぎり全てが禁止されていないことがわかりますので、
サブカルチャー関連が逸脱ではない「内容」と「書き方」の問題としてあるのだと
言うことになっていると思います。


これは、掲示板の包容力の範囲の問題となっていると思っていますし、
多様性が認められない事への事務局も交えた屈服になってはいないだろうか?
しいては、作品にも影響を与えてはいないかと言う「ど真ん中」の問題だと
言う事が私の立場なのです。

望月三起也先生の公式サイトだからやっていますし、時事性としての問題としての具体例としての自殺者問題
を語っているのですが、
それが、伝わりづらい意味は、以下に分析説明をしますが、幾度も繰り返し説明しなくてはならないだろと
思っている点でもあります。


《ワイルド7を引用して自殺の問題を語るなんて、すごく面白いと思いますが、
この掲示板の趣旨からは越えているので、こういうテーマはぜひご自身のブログで展開されると良いと思います。》

テーマとしては興味深いので、私は読みに行きますよ。

<しかし、書き方を間違えましたが、この問題は、個人ページでやっては意味がないとは思われないでしょうか?>

このように答えましたが、
これは、補足がいると思っています。
ワイルド7のど真ん中にかつてあったと私が思っていた問題点であるから
個人ページでやっても意味がないだろうという意味であって、

ぐりゅーん・へるつさんのやってらっしゃるブログでの、ワイルド7のセリフ研究などは、私の方でも
楽しみに読んでいるものです。
ただ、コメントしている暇がないのがいつも残念と思い、恐縮している所です。
ブログの更新を楽しみにしているのは事実です。

私にとってのブログは、バックアップ用になっていますが、まとまったものを書いてトラックバックが、最適であっても
それぞれが、仕事もあるでしょうし、学業もあるでしょうし、ない時間を作ってやっていることだと思います。

掲示板を使うかトラックバックが良いのかは、また、別な時にゆっくり語りたいと思います。

問題の核心ではないと思っています。

ぐりゅーん・へるつさんが、いて、親切丁寧で具体的に読み、返答してくださる方が、実際にいる
望月三起也先生の公式ページだからこそ私も書いているのですし、
「考えること」を怠らない方にのみ訴えるために書いているものとなっております。


そのような理解者をファンの中にも増やしたいと考えていますし、勿論、ファンにも語りかけているわけです。

望月三起也先生自身も現在のW7の執筆に追われているでしょうし、月刊望月三起也の本編のコメントの仕事もあるでしょうから
掲示板まで見ている暇はないでしょうし、読まなくてはならない義務のあるものとは考えていますが、
それで、ふと眺めてみたい文章を私も書きたいと思っていますし、以外と面白いと思って貰えるものをと
思っております。
掲示板は、隣りにあるものでもあるからです。

「そんな考え方もあるのか」
などなど思って貰えるだけでもよい可能性のあるものを書きたいと思っていますし、
時間がなく急いで書いている故に乱筆になる場合は、あるのですが、
情熱が伝わるように配慮しているつもりです。

ぐりゅーん・へるつさんや健太郎さんその他の方がいらっしゃるからこそ書いているのだと言うことです。
悪意や敵意を持って書いたものは一つもありません。
ただ、漫画界やサブカル全体を見渡した70歳代の先生も対象にして
歴史や時代の重みと時事性を直撃した書き込みをも念頭に置いているためにわかりづらい所もあり、
ご迷惑もかけたと考えております。

それは、時間的制約で、書いたものを後で、保全したり、補足したりする意図も含まれているのだと思っています。



まず、最初に、ぐりゅーん・へるつさんとの対話部分を具体的なファン状況として書き出してきたのは、
ファン感謝デーから一年、望月三起也先生の作品と銃器、バイクなどなどを愛していてそれが、伝わる中で
それを大事にしたいと考えている事がわかりつつ、沈黙していても互いに読者でもあったし、私の方は、
こまめによくやってらっしゃると感心していたからです。
ぐりゅーん・へるつさんが、ワイルド7と望月三起也作品の内部へ話を進めてらっしゃったので、
70歳の高き読者にも読み応えのある外部との関連、更に、「漫画界に思うこと」「サブカル論」「ワイルド7以後の社会情勢」
などなどについても語れる掲示板であろうかの問いを発しているわけです。

それぞれが、具体的歴史と時間を持っています。

掲示板に何を書き込むべきであって、その他は、違うかもしれないと言うのは、
ファンの側の自治によるべきものであるのですが、
それが、惰性に屈するなら何も書き出せないものとなり、
何かを書くにも他人を気にしなくてはならないものとなるし、集団や村のしきたりに従うと
言うこととなろうと思っています。
相手を思いやるべきと言うのはわかりますが、文字は、時には、ナイフにもなりますが、
ナイフそのものではないのであるし、
それは、その「掲示板の許容する範囲」の問題であり、「包容力」の問題であると考えています。

骨抜きの掲示板を望月三起也先生が望んでいるとは思っておりません。

そして、相手や他者を思いやるのも勿論、必要なのですが、独立した主張や自立心をも
養う必要のある所ですし、ワイルド7のそれぞれの個性とチームワークの中から
学びだした所だと考えています。


自治は、ファンとしての側に尊重されるべきですが、残念ながら事務局は、現状に屈したとしか思われないのが
本当に、残念です。


別紙に、『自治としての提案』を書きます。
私としては、ファン感謝デー以来の望月三起也ファンであるぐりゅーん・へるつさんその他を頼もしく思っておりますし
書き込みの全てに対して、尊重したいと思っているのですが、
問題は、私の書き込みの方となっておりますので、問題は、簡単だと思っております。

私は、弁明を交えながら、その問題意識が「ど真ん中」であること
「時事性」を持って、語り、理解もを求めなくてはならない点であることを以下に説明していく予定でいるからです。



暇な方のみお読みいただくと幸いです。
長文が、お嫌いな方には、向かないのですが、
置いておこうと思います。




「ワイルド7の哲学」本文


たかが、子供の読み物じゃないか。軽く読み流して良いじゃないか。
そう言う意見の人もいると思います。
しかし、少年や少女の頃は、きっとワイルド7について、そうは、読まなかったものがあると思います。
ユキが、ワイルド7に入るきっかけになった部分などは、ぐりゅーん・へるつさんも触れておりましが、
随分とリアルであるし、社会の厳しさを教えるものが、その他にも随所にあった故に、たかが漫画じゃない
部分に熱狂したのではないかと思います。

現在の漫画を見渡しても作品は、輝いているし、描き方の手本となるものが多くあると思っています。


実際は、少年少女は、普通なら保護されているので、また別の意味で、戦争映画やアクション映画その他
架空の物語で、退屈を紛らわせている存在でもあると思います。
今のような平和でなく乱世であったり、戦国時代に生まれたならと思ったりしているのですが、
よくよく考えてみる大人になると「今の社会だって、十分競争社会」だし、「本当に、戦国時代に
産まれていたなら足軽のまま槍に刺されていた」だろう。

宝くじにあたる確立と豊臣秀吉になれる確率なら宝くじに当たる確立の方が高いだろうし、
その宝くじさえ、あたりは、しないだろうと気がつく。


架空の物語は、社会の中に溶けていっているし、
現実の中で生き死も事件も、あるのだと言うことに気がつくわけです。


思い入れのある登場人物が、死んで悲しい。
魔像の十字路は、何故?何故?

その不合理を考えていることの中で、現代の社会も十分に厳しいことを
ワイルド7は、教えてくれた作品でもあり、
普通は、弁護士や検事や刑事は、正義の味方のはずだが、そうではないと言う事も
少年漫画の中ではいち早く教えてくれた作品ではないだろうか?

政治が、腐敗することも。

それは、全て、少年漫画とは、思われない「現代」の投影であり、
説明責任をこの作品は、果たしていたと言うことだと私にとって
忘れられない作品となっていると言うことです。
説明責任とは、大人の代弁者としてのものですが。



しかし、青年か中年かわかりませんが、大人?になった飛葉の物語は、
それを本当に成長した世界として描かれているかと言う疑問があります。

時事的な政治や現代を描くのではなく、海外へ記憶喪失のまま出て行った設定で、
客観的に日本の社会を見渡す(まずは、日本語で書かれて日本の出版社にて世に
出るのでしょうから、W7の様にインターネット配信では、更に、広い海外の読者も
望まれるかも知れませんが)のは良いとしても
何かスカッとしない閉鎖性を感じざるおえずにきたと言うことです。



それを考えるに、また引き合いに出して悪いのですが、
コードギアスやガンダムの様な若い作家や改革革命派もしくは、学生運動に従事した
ことのある作家や反体制的でジャーナリスティックな視点で、現代の問題点を
追う精神を持ったものから「老い」だけを背負って
神話、野獣伝説、過去形になってしか回りも評価していないからではないかと
思っているのです。


その神話や懐古主義に陥らない為にも、現在進行性の問題点や悲劇を
考える書き込みを大人は増やさなくてはならないと思って
もっともわかり易い、自殺問題を取り上げたわけです。

ユキの自殺は、悲しい。
だが、現実には、毎年、三万人のユキが、自殺し続けていると考えたならどうでしょう。

これが、想像力の問題ですし、今の日本に欠如している危機感だと思っています。


現代の問題に照らし合わせて、再読するからワイルド7は、価値があるのだと
思っているのです。


ですから、どうか、かつて退屈していた少年少女の保護区を抜け出して
懐古主義だけの場ではなく現在進行形の
大きな意味でのワイルド7としての『現代の黙示録』たる視点を根付かせたいと
思って書き出しをしているわけです。






「あしたのジョー」の梶原一騎先生が、「今は、バカばかりがマンガを読んでいる」と言ったとか言わないとか
言い捨てて死んでいったとかいないとか。
望月三起也先生のコラムが、今回は、サッカーネタなのですが、
擬似スポーツ漫画、リアルな根性ものが書き出せなくなったのと同じく、暗黙の自主規制は、
いたる所にあり、個人保護法などなどもあいまって、

ワイルド7さえ、そのリアルな政治悪や社会悪を描く事から遊離、隔離され、
「むかし、むかし」のおとぎばなしに加えられつつあるのではないかと
わたしは考えられいると言うことです。

社会問題を書き込むことは、このワイルド7掲示板でもタブーとされるように
ただ、さわりごこちの良いものしか生き残れない社会の中で、
ワイルド7もまるで、ぼろきれの様に殺されていったのではないのか?
と言う想像力こそが、ど真ん中ではないかと考えていますので、
一歩も譲れないと考えています。


「自治についての提案」は、少しづつと言う事で、


書くのに二時間くらいかかりました。
推敲している暇がなかったのが残念ですが、このように考えています。
誤字脱字失礼致します。

苦闘するアクション映画現在進行形

2009-11-26 22:40:20 | Weblog
ブラッド・ダイヤモンド
http://wwws.warnerbros.co.jp/blooddiamond/main_site/

今、テレビでやっている

24 シーズン7
http://video.foxjapan.com/24/

ターミネーターTVシリーズなどなどを急ぎ目に見つつ考えたりするのですが、
はがゆいものを感じずにはいられない。

ターミネター4は、その会社が倒産?したり版権を売りに出したり
作品の内容的にも失敗していたのではないかと私も感じています。

ブラッド・ダイヤモンドは、傑作だと思っているのですが、
同じような舞台設定で進められている
24 シーズン7も今、深夜テレビでやっているのだけれども何か安易なものしか伝わってこないように思ったりしていました。

少年兵を育てる革命軍、それが、悪として描かれるのは、確かにブラッド・ダイヤモンドでも同じであるし、事実にも近いのだろうと思うのだろうけれども
一面的で、第二次世界大戦の時の映画の様にドイツ=悪としたり、東京裁判的に
善悪が、最初から決まっているように型どおり描いているだけとならないのかと言う危惧がそれです。


そのしちめんどうな理屈を掻い潜りながらエンターテーメント以上のエンターテーメントの中で、ワイルド7の現在の評価が高まりつつあると私は、考えているのですが、
やっぱり911以後、事実が先行し後追いになり安全パイの中で闘いを行っているようなはがゆさから逃れられないものを感じたりしています。


ドラマ論は、削除されたのですが、
「挫折した記憶」「誰も語たがらない」団塊の世代は、敗北した故に悪=挫折=転向したのだと言う時代の空洞も同じであり、ワイルド7の中にもその痕跡として残されていることをみるのも余禄であったのですが、
論が膨らまず残念に思っております。


ミッション:インポッシブルは、スパイ大作戦のリメイク作品として、
リメイクばかりのアメリカ映画の中の一本として生まれた作品。

ブライアンデパルマの一作目だけが傑作であると言うものもいるし、
二作目、三作目のアクションシーンは、ど派手だけれども観念的過ぎて、
その場限りの花火のようにも思われたりしている向きもあります。


しかし、三作目のいきなり始まる戦争映画さながらのアクション場面は、圧巻でした。


リローデットも良かったけれども三作目は、頂けない恨みもあります。


時代と真正面と向き合った作品として、ワイルド7の未来もあって欲しいと思っております。

「常識」は死語となったのか?返信2

2009-10-25 20:08:30 | Weblog
オヤブンのように
「悪い奴を全部倒せば、後は、良い奴しか残らねぇ」と叫びたい気持ちは、わからないわけではありません。

しかし、この位の簡単な論理さえ蔓延していない日本の状況だからインターネットもその他も混乱しているのではないかと思っています。

是非、熟考して欲しい点もありますので、お返事しておこうと思います。
他意は、ございません。

オヤブンもかつては、悪党として、虐げられる存在だったのだろうけれども
法律を守らない存在、収集日を守らない、曜日を守らない人間は、悪党としてしか正解はないとしてもそれで、話は終わらないだろうと言う論理を述べたと言う事です。

かつて悪党と呼ばれる存在、または、高額となった教育から
はじき出されたヤンキーと呼ばれたり不良と呼ばれる代表、ヤングキングの読者の中に含まれる者への容赦ない排除性がここには、含めれてはいないだろうか?と言う話です。

ワイルド7の作者たる大家、望月三起也先生の中に何らかの論理展開を求め含めるものがここにあるとしたなら
きっと、掲示板のスバム問題であろうと言う
「具体的で、そして、かしこく解決策を模索していける方向性」まで含めた喚起がここに含まれてしかるべきだろうと言うのが、私の考えの基本であったわけです。

ゴミの収集日が守られないのは、きっと今に始まった事ではないでしょうし、大家の先生が、身近なネタに不足して書いたとは思わない深読みをしたい。
時事性として、その苛立ちが、今、もっとも顕著なのは、
インターネットと言う便利な機械にゴミ=スバムを捨てるものだろうと言う事を述べたに過ぎません。

そして、それは、既に、解決に向かっております。

法律を守らないのは、悪である。
だが、飛葉もオヤブンもその複雑化する法律の中で、自身を見失い失敗した過去のある少年として描き出されている。

悪を排除するのは正しい。
浮浪者が、路上に寝るのも道交法違反だ。
カムイが、を離れるのもご法度だ。
そのように、排除の論理と国家社会主義的冷徹が、横行する社会に対して、
そうではないと「ワイルド7」も「カムイ外伝」も
いじめられていて、その社会の摂理と道徳に従っていた草食系男子「サムライ・ハイスクール」の中でも繰り返し語られてきて

オヤブンが、権力を持ち、被害者(未成年)が加害者(大人)になったから全てOKと言うものそれを読み取るだけでは狭すぎるのではないかと言うことを述べたいとしているだけの事です。


コードギアスR2にて、
「正義の中に甘んじて改革をなさないでいるのか?
それとも小悪となっても反逆をして、巨悪を打つか」と問うセリフがあるが、まさに、ワイルド7の精神も同じだと考えているのです。


芸能界の麻薬汚染、毎日起こっている殺人事件に対して、
大家の先生としては、あまりに小さな問い、主婦の視点のようであったのですが、それは、何らかの含みの部分があるのだろうと展開したと言うことです。


実際の解決策の例を示されない書きっぱなしでは、意味を成さないし、怒るだけ無駄でしょう。

しかし、今回、スバム問題は、本腰を入れて、解決例の一例を示すことが出来たのだから、同じ、土壌で考えを広げて行くのが良いと私は考えるだけです。

「語りっぱなしや泣くだけなら○○○でも出来る。解決策、実践の方向を示してこそ男だ」


こんな感じでしょうか?

では、11月の月刊望月三起也の更新を楽しみにしながらこれ以上は、語らないと言う事で…。


いつもながらの走り書きすみません。