こころを合わせてLet's Play ! (ギター)

三重県四日市市で活動しているギターサークル・サルビアのナビゲータ役Itouの個人発信ブログです。

遠い日の思い出

2008年09月27日 05時37分39秒 | つぶやき
幼かった日の記憶です。
国道沿いで東風をまともに受ける私の家は瓦が飛び壁伝いに雨漏りも始まりミシミシと音を立て危険な状態にあったようです。
「避難しよう!」と荒れ狂う嵐の中を敷地内の母屋に移ったのは記憶しています。
蝋燭の灯を囲み身を寄せ合っていて、時々、父や兄達が工場見回りから戻り大きな声で何かを叫んでる・・ような。。。
そんな中でも眠りにつくのが子供ですから私の記憶はこんな感じです。
昭和34年9月26日深夜の伊勢湾台風が四日市の西方を通過した時間のことです。

翌朝、目が覚めるといつも見る光景とは違う世界が広がっていました。
行きかう車の数は少なく木々は倒れ物は散乱して工場の屋根は半分なくなり空が見えていました。父と兄達は自転車で周辺を見回りに行って状況を祖父に伝えていました。
祖母と母は大鍋でご飯を炊いて姉・叔母・従姉妹も一緒に見たこともない数のおにぎりを作っていました。
出来ると兄達がそれを自転車に乗せて運んでいきます。
工場で働いてもらっている人達の家々が浸水や倒壊の被害を受けていたので炊き出しをしていたのですね。
その日は多分夜まで続いていたので私は一日中食べ物に囲まれていた記憶があります。それが伊勢湾台風の思い出。

歴史的な災害なのに私の思い出は身体で感じたミシミシ感と炊き出し光景と長く水に浸かっていた地域で自転車遊びしてたことぐらいですね。


ギターネタは尽きているので(笑)そんな思い出話でも。。
この頃はギターは弾いていたかな?
ん・・・ポロンポロンとおもちゃ程度だったのかなぁ。。
小学3年生は確実に記憶があります。「おお牧場はみどり」とか「カチューシャ」とかコード弾いて歌ってた。
アルバのハバネラも兄の見よう見まねで弾いていましたね。
ほほほ、微かにギターネタになりました。(笑)

え~、そんな年代です。(笑)
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