富岡製糸場世界遺産伝道師協会 世界遺産情報

「富岡製糸場と絹産業遺産群」は日本で初めての近代産業遺産として2014年6月25日付でユネスコ世界遺産に登録されました。

第1回研修会(みどり市・桐生市・日光市足尾町)を行いました。

2017年06月09日 11時54分27秒 | 世界遺産伝道師協会

第1回研修会(みどり市・桐生市・日光市足尾町)を行いました。

 

 6月2日(金)、本年度の1回目となる「現地研修会」を26名の参加者で行われました。

 午前8時すぎに、22名を乗せた中型バスは高崎駅東口を出発し、本日の研修会が始まりましたが、今回の研修地が群馬県のみどり市・桐生市と栃木県の日光市足尾町のため、参加者の便宜を図り乗車場所を、わたらせ渓谷鉄道「大間々駅」前にも設けたことから、ここで4名の参加者が乗車し、26名全員が揃いました。

 高崎駅を出発して大間々駅へと向かいましたが、車内では近藤会長から「物見遊山ではなく、伝道師としてしっかりと学習してほしい」との挨拶に始まり、井上理事(研修担当)からスケジュールと留意事項の説明と、この研修会全般の講師として町田(睦)さんの紹介がありました。

 大間々駅には若干遅れたものの無事到着し4名と合流し早速、本日最初の研修場所「光栄寺」(みどり市大間々町)へ、そして住職から「上州観音36か所の一番札所とのことや、かつてここ大間々地域は養蚕が盛んで桑を霜害から守る仏として信仰を集めた霜除観音が安置されており、4月18日は縁日となっている」との話を聞くことが出来ました。

 次の見学地、みどり市大間々町塩原の「穴原薬師堂」へは10分程で到着です。ここにある「馬鳴菩薩石像」は一面六臂(顔が一つ、腕が6本)の県内随一の光背坐像で、蚕蛾を載せた宝冠をかぶり、左手に束ねた生糸、蓮花と蚕卵紙を、右手に糸枠、桑の枝葉、蚕の掃き立ての羽を持ち、毛蚕を掃き立てている姿をしています。

 穴原薬師堂からは次の見学地の「桐生市黒保根町歴史民俗資料館」(桐生市黒保根町水沼)に向かいましたが、この間の車内では町田講師の紹介で、この研修会に参加している西塚さんから水沼製糸所に関するエピソードとして、西塚さんの高祖母の西塚うめさん(富岡製糸場3・5代所長速水堅曹の姉)が、明治7年5月に工女として、ここ水沼製糸所に来られたこと、ここでの出来事などを話してくれました。

 

黒保根町歴史民俗資料館には10分ほどで到着しましたが、すでに館内には解説をしていただく川池さん(黒保根史談会会長)が待機をされていて、早速に旧黒保根村のこと、この歴史民俗資料館のこと、そして明治初期の民間で初めての器械製糸所「水沼製糸所」を設立した星野長太郎や実弟で明治9年にアメリカに渡って生糸の直輸出を開拓した新井領一郎のことについての話をお聞きした後、資料館の裏手にある「水沼製糸所跡」では、当時の石垣と長屋門や動力源の水車跡の一部を見学し、資料館前の国道122号線を挟んだ南側の星野家の墓所を訪ねました。この墓所には長太郎夫妻の墓や長太郎の子息元治夫妻の墓もあります。

 

 

ここでも町田顧問から「元治の妻キクは、世界遺産「富岡製糸場と絹産業遺産群」の構成資産の一つ「高山社跡」に関する重要な人物の町田菊次郎の長女です」との説明がありました。

 予定より遅れ気味となってはいるものの、次は日光市足尾町を巡ることになります。足尾へ向かう車内では町田講師による水沼製糸所関連の話や星野長太郎の実弟新井領一郎がアメリカへ渡ったエピソードなどや和田英の「富岡日記」に関する話を織り交ぜた軽妙な話に聞き入っているうちに足尾の町に近づいたところで、井上理事から当初の予定を変更して昼食前に足尾町掛水の「古河掛水倶楽部」と「和田英居住の役宅(社宅)」を先に見学するとの案内がありました。そのために一旦、NPO法人「足尾歴史館」に立ち寄り、ここから足尾銅山などの解説をしていただく小野崎さん(日鉄鉱業株式会社名誉顧問及び足尾銅山の世界遺産登録を推進する会顧問))をバスに乗車していただいき足尾銅山を巡ることになりました。

まずは「古河掛水倶楽部」(国登録有形文化財)です。ここは足尾銅山の旧古河鉱業の迎賓館として1899(明治32)年に造られた瀟洒な建物で、現在は古河機械金属(株)の福利厚生施設として使われています。

この掛水付近一帯には多くの社宅があった地区でもありますが、掛水倶楽部の一角には戸建の重役役宅が現存しており、うち一棟の副所長役宅(県指定有形文化財)があります。ここは和田英が晩年に子息の盛一(足尾鉱業所副所長)と居住していた役宅ですが1907(昭和4)年に72歳で天寿を全うした地でもあります。

 再び「足尾歴史館」に戻り、昼食を摂ったのちに、小野崎さんの案内で館内を一巡、館内には古河鉱業の創設者古河市兵衛や古河三代に仕えた木村長七のこと、また、足尾の建築物の数々が再現された模型の説明、そして足尾の山に緑を再生しようとする歴史の紹介と荒廃した地に緑が再生してゆくことを伝えるコーナーでは、小野崎さん自身が足尾に緑を育てる会の設立に携わっていることから、特に熱心に話されていました。

館内の説明後、バスは参加者と小野崎さんを乗せて北上、間藤駅や集落の家並を過ぎると古河橋ポケットパークに到着、ここ「古河橋」(国重要文化財)では、明治23年に架け替えられた道路用鉄橋として現存する貴重な橋で足尾銅山の誇れる産業遺産とのこと、それと対岸の「本山精錬所跡」については古河鉱業の経営で東洋一の生産量を誇る銅山になったことの説明を受けました。車中に戻り車窓からは、精錬所から排出された亜硫酸ガスで、いうところの公害で失われた山の緑が今日までも続けられている植林で取り戻しつつある姿を目の当たりにすることができました。

そうこうしていると「銅(あかがね)親水公園」に到着です。この公園は、よく整備をされている印象を受けました。吊り橋の銅橋の高欄には足尾町の町獣である「ニホンカモシカ」と町木の「シラカンバ」を配したレリーフが付けられています。また、この橋の上から壮大な「足尾砂防ダム」を一望にすることもできました。しばし晴れ渡った眺めを楽しみ、再び車中の人となり、次の「間藤水力発電所跡」へ向かいますが、その途中にある「龍蔵寺」に立ち寄り、無縁仏となった坑夫の墓にお参りしてから発電所です。この発電所は水力で1890(明治23)年の完成し、発電された電力は銅山の近代化の力となったが、今は、その証として鉄管と発電原動所の一部を見ることができました。

今回の研修会で最終地「宝増寺」(足尾町赤沢)です。この寺は和田英が役宅で死去したため告別式が行われた所です。これで今回の「研修会」での見学が終わりました。

「足尾銅山めぐり」では、有意義で分かり易い解説をしていただいた小野崎さんには「足尾歴史館」で下車をされましたが、参加者一同、改めてお礼を申し上げました。

今回の研修会を振り返ると盛りだくさんで、予定の時間を若干オーバーしたものの充実した一日でもありました。

帰途の車内では、始めに町田講師から「和田英の死去によると遺体は荼毘に付して遺骨として生地の長野県松代の蓮乗寺に埋葬された」との話がありました。しばらくは雑談での時間をすごしたのち、この研修を振り返って参加者からの感想などを聞くこととなりましたが、多くは有意義で充実した一日であったことや日頃の伝道活動と併せた近況などなど一人一人が思い思いに雑感をも含めて感想を述べました。

また、近藤会長からは「近代古文書読解講座」を開設したので参加希望者は連絡を、そして町田顧問からは、「群馬県蚕神調査プロジェクトチーム」を設置したいので、多くの方の参加をしていただきたいと、それぞれの連絡がありました。

今回参加された皆さんには、この研修会で得られた多くのものを伝道活動の糧としてお役に立てていただければと思います。

大間々駅には午後5時ころに到着し、ここで4名が下車。途中に休憩もなく高崎駅へ向かい午後6時には無事に到着し、それぞれの帰宅の無事を確認して本日の研修会を終えることができました。

(N島  進 記)

 

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