ホワイトステージのハウスクリーニング

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たぶん、きっと、ラッキーな人。(準備って大切)

2017-08-08 22:24:22 | ハウスクリーニング
 小学校の時、勉強のできる賢い友人が私立の中学校に行きました。 
その友達から学園祭に来なよと言われ2回ほど遊びにその学校に行った記憶があります。
最近知ったのですがその学校のグランド?が私の大好きな「真田幸村(これから親しみを込めて幸っちといいます。)」がこしらえた「真田丸」の跡地というではありませんか。
知らず知らずのうちに私は真田丸の中にいたんですね。 なぜこんなところに真田丸を築いたかは歴史好きの方ならご存知のように大阪冬の陣で幸っちはとっても堅固で天然の要害だらけの大阪城の唯一の弱点はこの場所と思ったそうです。(本人に確認していませんが)

ということは、いざ戦が始まると敵の主力は唯一の弱点のここから攻めてくる公算が非常に高い。といことはこの場所で敵の主力と戦い勝利すれば負けないということ。ということはここに敵を確実にやっつけてしまう仕掛けが必要だよね。 と幸っち考えたんじゃないかな。(本人に確認してませんが)

秀吉豊臣が生きていた頃、幸っちは人質として大阪城にいたそうです。その時秀吉さんからよくして頂いたみたいです。
当時は全国から大名の子供等が人質として大阪城にいたと思います。 私の憶測ですが、大阪城で働く人たち(秀吉の直の部下等)は全国からくる人質や大阪に来る人にやさしく思いやりのある接し方をしていたと思います。人質でありながらお客さん扱いしていたんじゃないかと思います。
秀吉さん天下といえど力のある大名はまだ健在であり油断できない状況下。だとしたら幸っちをはじめ人質達と仲良くすることで無用な争いをさけていたのではと思います。 仮に人質たちを虐げてたらそのうち革命起こされるでしょうから。 

大阪城で人質だった若い頃の幸っちは大阪城の内部の様子、城の外の様子はばっちり抑えていたはず。またいろんな人(有力な大名や武将)をまじかで見たり話す機会もありとても勉強になる環境下にあったのではと思います。 その時淀殿にも会ってただろうし、話をしていたかもしれないですね。
大坂の陣が始まった時、幸っちと淀殿は40代後半ということを何かで見ました。ということはほぼ同級生ですね。
この「ほぼ同級生」って大きなポイントだと思いますね。大坂の陣の時幸っち24歳 淀殿79歳 だったら幸っちを大阪城に招かないし、大軍を任せることもなかったし、城から離れたところに砦を築かせる許可もださなかったと思います。 あくまで私の勘違い予想ですが、淀殿は幸っちたち人質に優しかったと思います。淀殿も小さい頃からヘビーな思いしてるので人質の気持ちがわかるはず。 とっても人柄がいい淀殿のために幸っちは最後まで淀殿の味方についたのでは。 もし若い頃嫌な思いさせられてたら最後まで味方するはずないでしょうし。

関ケ原の戦いで負けたチームに属した幸っちは14年間?田舎暮らしで見張りにチラ見されながらの生活をしたそうです。
そうです。後の人生は監視されながらのわびしい人生です。
時代は徳川の時代。14年間目立った戦もなし。応援していた豊臣家も1大名になってしまい栄光の豊臣家も今では過去の話。
そんな状況下の幸っちならあきらめてのんびり暮らすのがふつうでしょうよ。

と・こ・ろ・が、、、、幸っちなんと14年間準備してたそうです。 何の準備かって? 戦の準備。 
全ての大名が徳川に忠誠を誓い、世の中は平和。 なのに幸っち、戦の準備って? もう戦は今後ないでしょう。そんな空気。

幸っちは監視の目を盗んで、武芸に励み、打倒徳川に向けありとあらゆる策を練り、情報を集め、仲間をみつけていたそうです。
14年間の間、いつ戦がおこるかわからないのに、自分が必要とされるかわからないのに、当時人生50年といわれていたとかいないとか、とするならもう幸っち・・・そろそろ・・・・  そんな中でいつ戦が起こるかわからないのに「準備」をしていたらしいです。

もし大坂の陣がなかったら幸っち死ぬまで「準備」してたんでしょうね。後世の人に知られずに。
しかしラッキーな人は違います。戦が起こるんです。淀殿から幸っちカモン!監視に見つからず大阪城まで急ぎで!!

そんなこと起こるんですね。幸っち、たぶん、きっと、ラッキーです。
14年間の努力が発揮される場所が与えられたんです。 年齢的にもラストチャンス。当時50歳が寿命だとしたら。
ハードな現場を取り仕切ることができるぎりぎりの年齢で大坂の陣じゃないかと私は思います。 幸っちラッキーです。

大阪城に久しぶりに入城した時の幸っちの気持ちってどんなんだろう。若い頃は人質として。今はこの城を守り、お世話になった方からの応援要請での頼りにされる武将として。 長い間の「準備」が幸っちを自信に満ち溢れた武将にし、大阪城にいた方は頼もしく見ていたと思います。(個人の感想)

久しぶりに淀殿とあった時、幸っちはなんと声を掛けたんでしょうね。 
私の予想ですが「お久しぶりです。」的なことを言ったと思います。(個人の予想)

そうそう幸っちをはじめ浪人(元西軍についていた武将)の意見は軍議で採用されず大阪城にずっといた人たち(身内)の意見で決まったそうです。
幸っちは大阪城を出てこちらから攻めると主張したそうですが意見は却下。長い間練りに練った作戦なのに残念。 

ですがテンション下がらないのが幸っち「いつでもできるかぎりベストを尽くす」精神に溢れてます。
大阪城で敵を迎えることになった時に幸っちは城の弱点に出城を築くことを提案。そこの責任者に立候補します。
最初は却下だったらしいです。 最前線なので敵と通じて謀反の恐れありと疑われたとのこと。
幸っちの兄はチーム家康のメンバーなので疑われて仕方なし。 

ですがなんとか説得して真田丸を完成させる。 きっと淀殿が応援してれたんでしょう。淀殿がNOといえばまず無理でしょうから。
私の予想ですが人質時代から幸っちと淀殿は仲が良かった、またはたまに挨拶するだけの関係だが信頼関係みたいなものができていた。
秀吉さんがみんなに「幸っちは賢いよ、信用できるよ」と言っていた。
そうなにかプラスの事がないと大阪城から少し離れたところに出城は築けない。 

そうそう、真田丸があった学校のグランドにこんなのがあったよ。


そうそうこの辺一帯は坂が非常に多く波打っている感じで真田丸がなくても前進するのが少し困難な地形です。
むかしは谷がいくつもあったそうです。

大坂冬の陣は真田丸での戦いで幸っちが大勝利をおさめ和議が結ばれる。
この時も幸っちは和議を反対して戦いを続行するべきと主張するが通らず。 
幸っちをはじめ浪人たちの言うことはなかなか通りずらいみたいですね。

和議の結果、真田丸は壊され、堀も埋められて、さあ大変。

家康徳川は全国の大名に再度招集をかけ大阪城に大軍で集結。 
防御力のない大阪城に浪人(無職の武士等)は豊臣に勝ちめなしとして前回より集まりが良くない状況。

状況は・・・

○全国の大名は徳川応援。 
○豊臣に味方する大名なし。
○豊臣家にいるのは素性のわからないチンピラのような浪人中心(まとめるのが大変)
○もう豊臣家に財宝はないらしい。
○徳川方勝利間違いなし。各大名精鋭の兵士を引きつれ大阪に集結。だって自国が敵に攻められる心配ナッシングだから。(みんなチーム徳川)
 家康の前でいいとこ見せちゃおう!と思っている。テンション高めだと思う。(個人の感想)

○豊臣VS全日本。
○状況が状況だけに豊臣方の武将がいつ寝返るかみんな不安。

しかしプラスの面もある。

○豊臣方の素性のわからない浪人たちはこのまま生きていたとしても野垂れ死にか極悪に生きるしかない。
 それなら敵将を打ち取りミラクルで豊臣が勝って褒美を手にするほかない。それしか生きることができないという覚悟をもっている人もいたと思う。

プラスの面以上。

今まで幸っちの意見は軍議で通らずの状況。それでも幸っちは工夫と知恵で頑張ってきた。
そして最後の戦い大坂夏の陣でも幸っちの意見は通らず・・・・ 結果・・・・

噂によると幸っちに家康が再三寝返るように手紙を送ったらしいです。
そのたびに幸っち断ったそうです。 家康に送った手紙の内容でこんなんあったとか。「もし日本の領土半分をあげるといわれてもお味方しません。」
とっても奥が深い手紙だと思います。 私なりの解釈ですが、「さすがに日本の領土半分をくれることはない。それぐらい裏切ることはないという意思が伝わる内容」「味方をするつもりはないので最後まで全力で戦います。」という気迫が私には伝わります。(個人の感想)

戦の結果は精鋭たち揃いのチーム家康のメンバーを次々に打ち破りとうとう家康の本陣に2度攻撃をし家康を切腹直前にまで追い込んだとか。
信じられません。 兵士の数でも、装備でも、すべて圧倒していたのに家康本陣にたどり着けるのはまさにミラクル。
家康本陣前にはそれこそ精鋭の中の精鋭屈指の侍だらけのはずが・・・

まさに死を覚悟したどこにも属さない浪人たちの凄まじさを感じます。
そのメンバーを指揮した幸っちはまさに鬼神のごときの働きぶりだったのでしょう。

私は仕事柄大阪城の近くを車でうろうろしています。 真田丸のあたりもちょいちょい通ります。 最後の激戦となったといわれるあべのハルカスあたりもよく通ります。そして幸っちが最後を迎えたという神社もよく通ります。 
そういえば京橋で一人暮らししていた時も窓からうっすら大阪城が見えてました。

幸っちはとても運がいいと思います。あきらめずに努力したことがすべて発揮できる舞台があったんだから。
たぶん、きっと、ラッキーな人です。 不遇の時代があまりにも長かったけど、大舞台で自分の意見通らない事多々あったけどその度にあきらめずにベストな状況を作り出した。 あきらめない心がとんでもないラッキーを呼び込んじゃいましたね。
想像できないほどの困難や難しい判断の連続だったと思うけど、振り返ってみればまさに大器晩成の代名詞。

たまに幸っちが最期を迎えたという神社を通るときに私は幸っちの最後は・・・・・きっと大阪城を見たんだろうなと思います。
当時は高い建物がなくどこからでも大阪城が見えたはずです。 どんな風に大坂城は見えたんでしょう。

若い頃人質になった頃の大坂城か。 長い蟄居生活から脱出して久しぶりに見た大阪城か。 最後の出撃の際に見た大阪城か。
きっとその時々に見た大坂城の印象は違うはず。

最期、大阪城はどんな風に見えたんでしょうか・・・・
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