引き続き、印象的な書きかけ記事である。
前の記事で、権利思想は難物だといった。
怪物、といってもいい。
今回と次回は、その怪物に挑むつもりである。人権は、侵すべからざる尊厳をもったものだとされるから、その理念を敢えて批判することはとてもやっかいだ。
だけど、僕が批判しようとしているのは、特定の個人が主張する人権ではない。所有権とか生存権とか社会参加権とかいった個別の権利でもない。人権ないしは権利という理念の近代社会における成立と帰結とを批判的に検討しようとしているのだ。
「経済人」が、ただ自己の経済的利益の最大化を動機として社会参加するだけの人間だとすれば、大いに問題がある。それは、アダム・スミス以前から考えられてきた問題である。人間を自然状態のままにして、何らの社会的規制も設けなければ、各人が自己の経済的利益を最大にしようと行為して、互いに衝突しあうことになるだろう。あるいは、各人は、ただ生存しようと欲するだけであってすら、その生存本能に基づく欲望と情欲によって闘い合うだろう。互いにホッブズの有名な「万人の万人に対する闘争」(リヴァイアサン)の状態である。
社会化する以前の人間の自由な「自然状態」という考えに対しては、歴史的・実証的な根拠がなく、「方法的な空想物語」に過ぎないという批判もある。ホッブズ的な犬狼の群れという自然状態の架空の物語にしろ、ホッブズを批判したルソーの描く平等にして自由の孤立状態という自然状態の神話にしろ、歴史的な実証性はほとんどなく、啓蒙化された社会と対比された極端な人間の類型にすぎない。
理性を根拠とした道徳性を追求する啓蒙主義的で合理主義的な立場を正当化しようとする近代の神話こそ、ホッブズ、ロック、ルソーらの想定した人間の「自然状態」という空想物語である。自然状態と対比される理性的存在としての人間こそ、自然法を認識し、徒な利己的動機に突き動かされることなく、他人の幸福、全人類の幸福を実現しようとする真に社会的な存在者だとホッブズやロックやルソーは考えた。しかし、ロックは、その経験論において、誠実に、人間の理性はあくまで有限な人間の理性であって神の全知の理性ではないのだから、自然法を認識できないと述べている。ヒュームに至っては、ついに、人類愛が否定される。理性に目覚めたとき、人間は、はじめて、社会的な存在者になる、と彼らは言うが、そのとき、理性とは、自己が生存し、しかも他者との関係のなかで相互の生存を脅かさずに生存できるような生の技芸に過ぎない。
問題は、理性が、単に生きるための生の技芸ではなく、ソクラテスが言ったように、よく生きるための生の技芸でもあるということである。単に生きるためなら、人間は、犬狼の群れだか、孤立した人間の自由で平等な貧しく厳しい原始的な自然的状態だかに過ぎない。しかし、よりよく生きようとするとき、人間は相互に利害の一致する点を追求し始める。理性的な人間は、私の利益の追求、私の生存の必要と、あなたの利益の追求、あなたの生存の必要とが相克する点ではなく、調和一致する点を探す。
自己の利益を最大化するように振る舞う人間にとって、理性とは、まさにそのための戦略的な方法となる。社会環境も自然環境も有限で、人間の技術にも限界があるから、すべての人間が得られる経済的利益の総量もそのつど限られたものとなる。そこで、限られた財をめぐって利害の衝突する各人が闘争状態に陥り、互いに利益を奪い合って衰退していくような犬狼の群とならないためには、一定の条件が必要である。しかもそれは、各人の利己的動機を圧殺するような外的規制ではなく、各人の利己的動機を各人が克服するよう促すような崇高な内的理想でもなく、各人の利己的動機を保持したままそこからまっすぐに導かれてくるような内的で自発的な規制でなければならない。なぜなら、求められているのは、ただ個別的な状況を打開するためだけの小手先の調整ではなく、人格の内面的な陶冶を必要とする崇高な理念でもなく、近代市民社会のごく普通の市民が内的な必然性を感じながら受容できるような強い条件であり、したがって、どんな個人、どんな組織にとっても、あらゆる状況下で、常に有無をいわせない説得力をもつような規制だからである。
各人が自己利益の最大化だけを共通の動機として参加しうるような社会を制度的に整備するためには、個人の立場から見れば、自己の利益を最大化するために必然的に承諾しなければならない内的な条件、社会全体から見れば、各人の利益を公正に最大化することを許容しつつも全体の秩序を守るために必要な最低限度の条件が、明確にされる必要である。
この条件を探し出し、クリアな合理的思想体系にまで仕上げたのは、ホッブズ、ロック、ルソーらだった。彼らが、産声を上げたばかりの近代市民社会のために西洋世界の伝統のうちから掘り出してきたのは、人間存在の限りない「価値」という考えと、人間による自然支配の「権利」という考え、そして土地や水や食料や奴隷といった有限の資源を独占した支配者層の「所有」という考えだった。人間の生が実現する「価値」は、ルネサンス以来、諸学と諸芸術の中心に置かれた考えであり、個々の人間が存在するということにかけがえのない「価値」があるという考えは、古代ギリシア以来、民主主義の源泉をなしてきたものだった。一方、人間による自然の「支配」という考えは、キリスト教を通じて中世ヨーロッパにもたらされ、西洋の世界観、自然観を形成した。また、特定の個人による財の「所有」という考えは、世界を数量化する科学と技術に長けたエジプトやオリエントの古代社会からもたらされた。というのも、所有とは、土地所有にしろ自然資源の所有にしろ奴隷の所有にしろ、この現実世界を数量的に計測し、分割し、配分し、配分されたものに個人名をつけ、それ以外の人の干渉を排することからはじまるからだ。
近代の社会思想家たちは、民主主義こそが市民社会の唯一可能なあり方だと確信していた。民主主義について詳述するゆとりはないが、今、簡単にこれを要約すれば、民主主義思想は当該社会において人間だと認められたすべての市民が行政、立法、司法、軍事、教育、祭祀等を根幹とする政治に参加できるという考え方を基本とする社会思想であるといえる。政治のどの部分にどこまで参加できるかというのは、各時代、各社会においてそれぞれ異なるが、それよりも重大な違いは、各時代、各社会においてどこまでの人たちが人間と見なされているかである。支配者階級にある健康な成人男性だけを人間と見なすような社会も多かったのだ。
どの時代にあっても、民主主義思想が直面する最初の課題は、人間を超えたものと見なされている人による政治を正当化するような別の思想を排することだった。王とか祭司とかいった、絶対的・超越的な存在に結びつくような人たちこそが唯一正当な政治の担い手であるという考えを排し、政治を人間の手によって行うことを正当化することが、民主主義思想の最初の課題だったのだ。神権政治を正当化するのは、どの時代にも見られる信念、つまり、人間を超える存在、人間ではない絶対的で超越的な存在にこそ、至高の価値があり、世界の他の一切の価値はその絶対的な価値を中心として派生的に成立するというような哲学的ないしは神学的な信念である。民主主義思想は、素朴な状態のものであれ洗練されたものであれ、この信念と対決していった。民主主義の基礎には、別の信念があったからだ。それは、人間と見なされるすべての存在には、一人ひとり、そのつどかけがえのない価値があり、それこそが人間の生活世界における他のすべての諸価値の中心である、という考えである。
ここから出発した近代民主主義社会は、当然のことながら、その後、「誰が人間であるか」をめぐる長い試行錯誤と闘争の道をあゆむことになった。「すべての人間に、政治に参加する権利がある」というとき、政治のどんなところにどのようにどこまで参加することができるのか、という問題は、制度的な問題である。しかし、「すべての人間」というのは、どういう範疇なのか、という問題は、哲学的な問題である。近代の民主主義の歴史のうち、もっとも重要なのは、「すべての人間」という範疇を、それこそ血と汗と涙に満ちた道のりのなかで、ゆっくりと拡大していく歴史である。支配者階級の健康な成人男性以外の人たちが社会的に認知された「人間」の範疇に入れられていったのは、近代の民主主義的な市民社会が発足して以後のことである。無産階級、低所得者、奴隷、女性、有色人種、帰化人、異邦人の寄留者、在外の異邦人、先住民、犯罪者、犯罪被害者、子ども、障害者、高齢者などが、生物学的な意味においてではなく、社会に参加できる存在という意味で「人間」と見なされるようになったのは、せいぜいここ100年かそこらのことであるし、その歴史はまだまだ続いている。人権思想や人権運動の歴史のうちもっとも熾烈で、もっとも成果の多い、今なお進行中のテーマこそ、この「人間」の範疇の拡大というテーマなのだ。
この歴史は、近代西欧の黎明期に社会思想を展開した哲学者たちが、民主主義を制度的に実現するための思想的な基盤として、個々の人間存在には不可侵にして諸価値の中心となるようなかけがえのない「価値」がある、という伝統的な考えを採用したときからはじまった。そのとき、彼らが対決し克服しようとしたのが、もうひとつの伝統に根ざした考え、たとえば王権神授説に代表されるような人間を超えたもの(から付託された人間)による政治という考えだったのだ。誰が人間なのかという問いは、彼らがあまり手をつけなかった問いであり、近代を通じて、西欧哲学ではほとんど正面から論じられてこなかった問題である。
近代初頭の社会思想家たちにとって、より差し迫っていた課題は、人間による政治を社会的に実現するために個々の人間存在の「価値」という哲学的・神学的な観念を、科学的な操作や制度的な適用が可能な政治学的・経済学的な概念に置き換える作業だった。彼らは、哲学から科学を作り出そうとしていたのだ。そして、それは時代の要求でもあった。そこで彼らが個々人の「価値」という観念を制度的に利用可能なものにするために採用したのが、すでに広く社会に浸透していた他の2つの考えだった。彼らは、人間存在の「価値」という言葉を、人間による財の所有と自然支配の「権利」という言葉に書き換えるという手法で、時代の要求に対応した。
個々の人間の存在には、かぎりない「価値」があり、この生活世界の他のすべての諸価値は、この比類のない「価値」を中心として整序される、という人間理解は、そのままでは近代の実定的な社会制度に適用できなかった。社会に参加する人間相互の制度的な共通理解は利己的な動機だけというような社会では、先述のように、利己的な人間ばかりが社会に参加するという再帰的な転換が起こるが、そういう社会では、各人がそれぞれ比類のない「価値」があるという考えは、熾烈な闘争状態を過熱させるだけのものであるか、あるいはせいぜいただの念仏に過ぎない。
個々人の存在の「価値」を各人の「権利」という言葉に置き換えたとき、はじめて、利己的な動機から内的に必然的に導かれる社会参加の条件が明確になる。人間の存在の価値のうち、社会的に認知され共通に理解された正当性こそ、「権利」である。
人間に認められた正当性のうち、近代市民社会において最初に採用されたのは、人間による自然支配と、個々人の所有の正当性だった。人間による自然支配の「権利」という考えについては、近代初頭の社会思想家や哲学者たちは、この考えにまとわりついていた宗教的な色彩を脱色したほかは、ほとんど何も手を加えなかった。折からの自然科学の勃興と西洋人にとって手つかずの大陸の発見により、人間は自然に服従することによって自然を支配するというベーコン的な「人間帝国」の繁栄への道はしっかりと約束されていたかに見えたのだ。近代を通じて、自然科学と技術は野放図に発展していった。
ロックたちが提起したのは、個々の人間の存在の「価値」という考えを、個々の人間の所有の「権利」という考えに結びつけるような、新しい考えだった。個々の人間存在の「価値」が不可侵のものであるのと同様に、個々の人間の所有の「権利」も不可侵のものであった。そして、存在の「価値」は対象化することも数量化することもできないが、所有であればその対象を限定し数量化できるのだ。各人が財を所有することを不可侵の「権利」として認めるという考えは、経済的な利益を追求する利己的な個人たちの群に対しても、非常に説得的である。それは、彼ら/彼女たちの利己心と社会性とから必然的に帰結するような考え方であり、「万人の万人に対する闘争」の状態を回避するための内的な条件となる。
近代の権利思想の出発点が、支配と所有の権利についての思想、つまり統治権の思想だったことは注目に値する。近代市民社会の思想的な基礎を築いた偉大な哲学者たちは、選ばれた特定の個人や階級が独占していた支配と所有の「権利」を、個々の人間存在の不可侵の「価値」という民主主義的な考えと巧妙にすり替えて、すべての個人に解放した。哲学的な価値論は不要になり、権利論とか人権思想とかが議論の中心を占めるようになった。価値論は、それを論じる論者自身の人格的な陶冶を必要とするため、極度に難解であるが、権利論は、そうした人格の陶冶を必要としない。個々の存在の価値を評価するためには、人は、個々の存在においていかなる経緯でいかなる価値が実現されるのかを知る知者にならなければならない。その知は、ひとつの存在をめぐって世界全体を透察するような知である必要がある。それは、哲学なのだ。しかし、個々の所有と支配の権利を尊重するという場合には、哲学は不要である。所有はその対象を特定することができ、特定された対象については数量化することができるものであるし、また、支配は自然に対して無制限に行えるのだから、一切は容易に可視的になり、したがって知者にも賢者にもなる必要はない。所有について自己にも他者にも納得させ認知させるためには、自然科学に匹敵する社会科学と万人が自発的に従う社会制度が整っているだけよい。所有の対象について説明するためには、数量化された世界を説明する知の体系である自然科学は、所有の対象について説明する方法を与えてくれ、社会に参加する各人が内的な必然性と説得力をもって合意する約束事、つまり社会制度は、所有の主体の正当性を保障してくれる。人間の行為と所有を合理的に説明し正当化するためには、各人がただ利己的な動機に基づいて行為する権利の主体であることを認めればよかった。自然科学とは便利なもので、ひとつの事例がクリアかつディスティンクティヴに説明されれば、それ以降は同様の事例に対しては説明などしなくてもよいとされるのだ。社会科学は、まさにその点を自然科学から学んだ。個々の存在の限りなくかけがえのない価値など、捨象するのが科学である。
所有と支配の権利が合理的に説明され正当化されれば、あとはいちいちその説明と正当化を個別の事例のたびに繰り返さなくてもすむ。だから人は、ひとたびそれを説明し相互に承認すれば、あとは個別の事例にそれを無批判に適用するだけでよいのだ。近代市民社会では、利己的な動機によって社会的な行為をする人間が、その行為のたびごとに、該当する事例に関する権利とその保証制度を確認し、権利を侵害しないよう、侵害されないように振る舞えいさえすればよい。自己の利益を社会参加のなかで最大化するためには、権利の尊重は、どうしても従わねばならない必然的な条件である。価値評価のための人格の陶冶など不要なのだ。なぜ近代市民社会ではそんな機械的な処理が可能なのかというと、各人が互いの権利を尊重し自己の権利を主張しつつ利己的に行為するときに、原則的にはそれだけの条件で、社会全体が調和する、という制度理論が基礎になって社会制度が形成されているためである。
権利保障の制度を確立することで、近代市民社会は、利己的な動機に基づいて社会に参加する各人が互いに利益を争い合って個々の人間存在の価値を破壊するような修羅の世界に陥ることなく、文明社会にふさわしい社会的秩序と文明人にふさわしい利益とを保障することができるようになった。これこそ、近代人の幸福を支える体制であった。所有の権利が社会的に確立されたことで、所有する財の管理と交換のシステムを整備し、文明社会が各時期に直面する難局に対処すればよいということになった。人間の存在の価値をその所有の権利に書き換えることに何らの疑問ももたない人たちは、すすんで自己の所有する財を豊かにすることに従事した。豊かさは対象化し数量化できるものだった。所有の権利という考えは、自己利益の最大化という彼ら/彼女たちの動機にぴったりとなじむものだった。人間存在の価値が所有の権利へとすりかえられることに疑義を呈する人たちには、経済システムの周辺で独自の価値を創造することに従事する専門家になるという道があった。芸術家も詩人も文学者も哲学者も軍事的英雄も、存在から所有へ、価値から権利へ、という時代の流れに抗して価値的な生を追求する特異な人たちになった。市民の大半は別の人たちだった。彼らは、特異な専門家が作り出した価値を評価し解説し利用可能なものにして提供してくれる職人たちを必要とした。こうして価値は数量化され対象化され、商品化されて、財として流通し、交換され所有され、消費された。
仮に人間がどれほど利己的であったとしても、各人に所有の権利を保障する制度があれば、そのような個人が参加する社会は調和する、という社会理論が、社会制度を整備するためのさまざまな指針を提供した。そのような社会に参加する個人には、利己心を満足させつつ絶えずくすぐり続けるような利益の配分があり、その所有を保障する制度があった。そのような社会は、自発的に発展し拡大する強力な運動体であった。社会の成員のみんなが、豊かさとは何かについて、共通の理解をもっていた。多くの成員がそれを確信し、疑いを挟まなかった。そして、社会の豊かさは、そのまま、それを配分し所有する個人の豊かさを意味した。ただ自己利益のみを追求する近視眼的な視野を超えて、自己利益の将来的な増大のために、他者のために、全体のために行為する市民が現れた。自他の所有権を認め合いつつ各自の利益を最大化するべく、全体の利益を増大させようと意図して科学的で合理的な判断を下すこうした市民たちこそ、近代市民社会の発展を担う人々だった。近代初期の社会制度理論は、そうした市民たちこそが、社会道徳と人間の幸福の担い手であるという一般的な理解をもたらした。
それらすべてが実現されるための哲学があった。それは、実定的な制度理論を基礎づける哲学で、制度が十分に整い、市民の活発な社会活動がはじまり、経済と政治が合理的に運用されてさまざまな難局にも対処しうるようになる近代の最初の時期に、亡命生活や隠遁生活を送っていた哲学者たちによって、考えられた。
まるで京のみやこを守るための呪法を施した陰陽師のように、近代市民社会の社会制度が安定を保つための思想的な基礎づけを行った哲学者たちがいたのだ。
彼らはまず、人間の営みを利己的な動機だけに限定した。そして、利己的な動機による行為を社会的に保証するための条件として、個々の人間のそのつどの存在が実現する不可侵の「価値」という考えを個人の所有の「権利」という考えに書き換えた。
所有権思想の確立とともに、権利思想のインフレーションが起こった。生存権、社会参加権、自己決定権。
ひとつの生命であるということのかぎりない価値は、自己というひとつの生命を所有する権利に書き換えられた。所有の権利を主張できるのは自己の生命だけではなかった。生存権だけでなく、統治権も親権も、所有権に基礎づけられ、所有権から派生的に導かれた。早い話が、生命を所有する権利の主体が神から人間に代わっただけのことなのだ。あとは人間という範疇の拡大だけが課題だったわけである。
存在の価値、あるいは生命の価値から、所有の権利へ、という理念的な転換が、近代市民社会の発足時に思想的なレベルで起こり、社会制度を根柢から規定する理念となったのである。それは、社会思想の基礎が哲学から科学へと転換するという出来事でもあった。個人としての自己が所有権を主張しうる財が数量的にどれだけあるか、各人が所有権を主張しうる財の社会的な配分は公正か、といった尺度だけで、生命の価値も、人間の幸福も、社会の福祉も、評価されるようになるまでは、もはや時間の問題だった。
前の記事で、権利思想は難物だといった。
怪物、といってもいい。
今回と次回は、その怪物に挑むつもりである。人権は、侵すべからざる尊厳をもったものだとされるから、その理念を敢えて批判することはとてもやっかいだ。
だけど、僕が批判しようとしているのは、特定の個人が主張する人権ではない。所有権とか生存権とか社会参加権とかいった個別の権利でもない。人権ないしは権利という理念の近代社会における成立と帰結とを批判的に検討しようとしているのだ。
「経済人」が、ただ自己の経済的利益の最大化を動機として社会参加するだけの人間だとすれば、大いに問題がある。それは、アダム・スミス以前から考えられてきた問題である。人間を自然状態のままにして、何らの社会的規制も設けなければ、各人が自己の経済的利益を最大にしようと行為して、互いに衝突しあうことになるだろう。あるいは、各人は、ただ生存しようと欲するだけであってすら、その生存本能に基づく欲望と情欲によって闘い合うだろう。互いにホッブズの有名な「万人の万人に対する闘争」(リヴァイアサン)の状態である。
社会化する以前の人間の自由な「自然状態」という考えに対しては、歴史的・実証的な根拠がなく、「方法的な空想物語」に過ぎないという批判もある。ホッブズ的な犬狼の群れという自然状態の架空の物語にしろ、ホッブズを批判したルソーの描く平等にして自由の孤立状態という自然状態の神話にしろ、歴史的な実証性はほとんどなく、啓蒙化された社会と対比された極端な人間の類型にすぎない。
理性を根拠とした道徳性を追求する啓蒙主義的で合理主義的な立場を正当化しようとする近代の神話こそ、ホッブズ、ロック、ルソーらの想定した人間の「自然状態」という空想物語である。自然状態と対比される理性的存在としての人間こそ、自然法を認識し、徒な利己的動機に突き動かされることなく、他人の幸福、全人類の幸福を実現しようとする真に社会的な存在者だとホッブズやロックやルソーは考えた。しかし、ロックは、その経験論において、誠実に、人間の理性はあくまで有限な人間の理性であって神の全知の理性ではないのだから、自然法を認識できないと述べている。ヒュームに至っては、ついに、人類愛が否定される。理性に目覚めたとき、人間は、はじめて、社会的な存在者になる、と彼らは言うが、そのとき、理性とは、自己が生存し、しかも他者との関係のなかで相互の生存を脅かさずに生存できるような生の技芸に過ぎない。
問題は、理性が、単に生きるための生の技芸ではなく、ソクラテスが言ったように、よく生きるための生の技芸でもあるということである。単に生きるためなら、人間は、犬狼の群れだか、孤立した人間の自由で平等な貧しく厳しい原始的な自然的状態だかに過ぎない。しかし、よりよく生きようとするとき、人間は相互に利害の一致する点を追求し始める。理性的な人間は、私の利益の追求、私の生存の必要と、あなたの利益の追求、あなたの生存の必要とが相克する点ではなく、調和一致する点を探す。
自己の利益を最大化するように振る舞う人間にとって、理性とは、まさにそのための戦略的な方法となる。社会環境も自然環境も有限で、人間の技術にも限界があるから、すべての人間が得られる経済的利益の総量もそのつど限られたものとなる。そこで、限られた財をめぐって利害の衝突する各人が闘争状態に陥り、互いに利益を奪い合って衰退していくような犬狼の群とならないためには、一定の条件が必要である。しかもそれは、各人の利己的動機を圧殺するような外的規制ではなく、各人の利己的動機を各人が克服するよう促すような崇高な内的理想でもなく、各人の利己的動機を保持したままそこからまっすぐに導かれてくるような内的で自発的な規制でなければならない。なぜなら、求められているのは、ただ個別的な状況を打開するためだけの小手先の調整ではなく、人格の内面的な陶冶を必要とする崇高な理念でもなく、近代市民社会のごく普通の市民が内的な必然性を感じながら受容できるような強い条件であり、したがって、どんな個人、どんな組織にとっても、あらゆる状況下で、常に有無をいわせない説得力をもつような規制だからである。
各人が自己利益の最大化だけを共通の動機として参加しうるような社会を制度的に整備するためには、個人の立場から見れば、自己の利益を最大化するために必然的に承諾しなければならない内的な条件、社会全体から見れば、各人の利益を公正に最大化することを許容しつつも全体の秩序を守るために必要な最低限度の条件が、明確にされる必要である。
この条件を探し出し、クリアな合理的思想体系にまで仕上げたのは、ホッブズ、ロック、ルソーらだった。彼らが、産声を上げたばかりの近代市民社会のために西洋世界の伝統のうちから掘り出してきたのは、人間存在の限りない「価値」という考えと、人間による自然支配の「権利」という考え、そして土地や水や食料や奴隷といった有限の資源を独占した支配者層の「所有」という考えだった。人間の生が実現する「価値」は、ルネサンス以来、諸学と諸芸術の中心に置かれた考えであり、個々の人間が存在するということにかけがえのない「価値」があるという考えは、古代ギリシア以来、民主主義の源泉をなしてきたものだった。一方、人間による自然の「支配」という考えは、キリスト教を通じて中世ヨーロッパにもたらされ、西洋の世界観、自然観を形成した。また、特定の個人による財の「所有」という考えは、世界を数量化する科学と技術に長けたエジプトやオリエントの古代社会からもたらされた。というのも、所有とは、土地所有にしろ自然資源の所有にしろ奴隷の所有にしろ、この現実世界を数量的に計測し、分割し、配分し、配分されたものに個人名をつけ、それ以外の人の干渉を排することからはじまるからだ。
近代の社会思想家たちは、民主主義こそが市民社会の唯一可能なあり方だと確信していた。民主主義について詳述するゆとりはないが、今、簡単にこれを要約すれば、民主主義思想は当該社会において人間だと認められたすべての市民が行政、立法、司法、軍事、教育、祭祀等を根幹とする政治に参加できるという考え方を基本とする社会思想であるといえる。政治のどの部分にどこまで参加できるかというのは、各時代、各社会においてそれぞれ異なるが、それよりも重大な違いは、各時代、各社会においてどこまでの人たちが人間と見なされているかである。支配者階級にある健康な成人男性だけを人間と見なすような社会も多かったのだ。
どの時代にあっても、民主主義思想が直面する最初の課題は、人間を超えたものと見なされている人による政治を正当化するような別の思想を排することだった。王とか祭司とかいった、絶対的・超越的な存在に結びつくような人たちこそが唯一正当な政治の担い手であるという考えを排し、政治を人間の手によって行うことを正当化することが、民主主義思想の最初の課題だったのだ。神権政治を正当化するのは、どの時代にも見られる信念、つまり、人間を超える存在、人間ではない絶対的で超越的な存在にこそ、至高の価値があり、世界の他の一切の価値はその絶対的な価値を中心として派生的に成立するというような哲学的ないしは神学的な信念である。民主主義思想は、素朴な状態のものであれ洗練されたものであれ、この信念と対決していった。民主主義の基礎には、別の信念があったからだ。それは、人間と見なされるすべての存在には、一人ひとり、そのつどかけがえのない価値があり、それこそが人間の生活世界における他のすべての諸価値の中心である、という考えである。
ここから出発した近代民主主義社会は、当然のことながら、その後、「誰が人間であるか」をめぐる長い試行錯誤と闘争の道をあゆむことになった。「すべての人間に、政治に参加する権利がある」というとき、政治のどんなところにどのようにどこまで参加することができるのか、という問題は、制度的な問題である。しかし、「すべての人間」というのは、どういう範疇なのか、という問題は、哲学的な問題である。近代の民主主義の歴史のうち、もっとも重要なのは、「すべての人間」という範疇を、それこそ血と汗と涙に満ちた道のりのなかで、ゆっくりと拡大していく歴史である。支配者階級の健康な成人男性以外の人たちが社会的に認知された「人間」の範疇に入れられていったのは、近代の民主主義的な市民社会が発足して以後のことである。無産階級、低所得者、奴隷、女性、有色人種、帰化人、異邦人の寄留者、在外の異邦人、先住民、犯罪者、犯罪被害者、子ども、障害者、高齢者などが、生物学的な意味においてではなく、社会に参加できる存在という意味で「人間」と見なされるようになったのは、せいぜいここ100年かそこらのことであるし、その歴史はまだまだ続いている。人権思想や人権運動の歴史のうちもっとも熾烈で、もっとも成果の多い、今なお進行中のテーマこそ、この「人間」の範疇の拡大というテーマなのだ。
この歴史は、近代西欧の黎明期に社会思想を展開した哲学者たちが、民主主義を制度的に実現するための思想的な基盤として、個々の人間存在には不可侵にして諸価値の中心となるようなかけがえのない「価値」がある、という伝統的な考えを採用したときからはじまった。そのとき、彼らが対決し克服しようとしたのが、もうひとつの伝統に根ざした考え、たとえば王権神授説に代表されるような人間を超えたもの(から付託された人間)による政治という考えだったのだ。誰が人間なのかという問いは、彼らがあまり手をつけなかった問いであり、近代を通じて、西欧哲学ではほとんど正面から論じられてこなかった問題である。
近代初頭の社会思想家たちにとって、より差し迫っていた課題は、人間による政治を社会的に実現するために個々の人間存在の「価値」という哲学的・神学的な観念を、科学的な操作や制度的な適用が可能な政治学的・経済学的な概念に置き換える作業だった。彼らは、哲学から科学を作り出そうとしていたのだ。そして、それは時代の要求でもあった。そこで彼らが個々人の「価値」という観念を制度的に利用可能なものにするために採用したのが、すでに広く社会に浸透していた他の2つの考えだった。彼らは、人間存在の「価値」という言葉を、人間による財の所有と自然支配の「権利」という言葉に書き換えるという手法で、時代の要求に対応した。
個々の人間の存在には、かぎりない「価値」があり、この生活世界の他のすべての諸価値は、この比類のない「価値」を中心として整序される、という人間理解は、そのままでは近代の実定的な社会制度に適用できなかった。社会に参加する人間相互の制度的な共通理解は利己的な動機だけというような社会では、先述のように、利己的な人間ばかりが社会に参加するという再帰的な転換が起こるが、そういう社会では、各人がそれぞれ比類のない「価値」があるという考えは、熾烈な闘争状態を過熱させるだけのものであるか、あるいはせいぜいただの念仏に過ぎない。
個々人の存在の「価値」を各人の「権利」という言葉に置き換えたとき、はじめて、利己的な動機から内的に必然的に導かれる社会参加の条件が明確になる。人間の存在の価値のうち、社会的に認知され共通に理解された正当性こそ、「権利」である。
人間に認められた正当性のうち、近代市民社会において最初に採用されたのは、人間による自然支配と、個々人の所有の正当性だった。人間による自然支配の「権利」という考えについては、近代初頭の社会思想家や哲学者たちは、この考えにまとわりついていた宗教的な色彩を脱色したほかは、ほとんど何も手を加えなかった。折からの自然科学の勃興と西洋人にとって手つかずの大陸の発見により、人間は自然に服従することによって自然を支配するというベーコン的な「人間帝国」の繁栄への道はしっかりと約束されていたかに見えたのだ。近代を通じて、自然科学と技術は野放図に発展していった。
ロックたちが提起したのは、個々の人間の存在の「価値」という考えを、個々の人間の所有の「権利」という考えに結びつけるような、新しい考えだった。個々の人間存在の「価値」が不可侵のものであるのと同様に、個々の人間の所有の「権利」も不可侵のものであった。そして、存在の「価値」は対象化することも数量化することもできないが、所有であればその対象を限定し数量化できるのだ。各人が財を所有することを不可侵の「権利」として認めるという考えは、経済的な利益を追求する利己的な個人たちの群に対しても、非常に説得的である。それは、彼ら/彼女たちの利己心と社会性とから必然的に帰結するような考え方であり、「万人の万人に対する闘争」の状態を回避するための内的な条件となる。
近代の権利思想の出発点が、支配と所有の権利についての思想、つまり統治権の思想だったことは注目に値する。近代市民社会の思想的な基礎を築いた偉大な哲学者たちは、選ばれた特定の個人や階級が独占していた支配と所有の「権利」を、個々の人間存在の不可侵の「価値」という民主主義的な考えと巧妙にすり替えて、すべての個人に解放した。哲学的な価値論は不要になり、権利論とか人権思想とかが議論の中心を占めるようになった。価値論は、それを論じる論者自身の人格的な陶冶を必要とするため、極度に難解であるが、権利論は、そうした人格の陶冶を必要としない。個々の存在の価値を評価するためには、人は、個々の存在においていかなる経緯でいかなる価値が実現されるのかを知る知者にならなければならない。その知は、ひとつの存在をめぐって世界全体を透察するような知である必要がある。それは、哲学なのだ。しかし、個々の所有と支配の権利を尊重するという場合には、哲学は不要である。所有はその対象を特定することができ、特定された対象については数量化することができるものであるし、また、支配は自然に対して無制限に行えるのだから、一切は容易に可視的になり、したがって知者にも賢者にもなる必要はない。所有について自己にも他者にも納得させ認知させるためには、自然科学に匹敵する社会科学と万人が自発的に従う社会制度が整っているだけよい。所有の対象について説明するためには、数量化された世界を説明する知の体系である自然科学は、所有の対象について説明する方法を与えてくれ、社会に参加する各人が内的な必然性と説得力をもって合意する約束事、つまり社会制度は、所有の主体の正当性を保障してくれる。人間の行為と所有を合理的に説明し正当化するためには、各人がただ利己的な動機に基づいて行為する権利の主体であることを認めればよかった。自然科学とは便利なもので、ひとつの事例がクリアかつディスティンクティヴに説明されれば、それ以降は同様の事例に対しては説明などしなくてもよいとされるのだ。社会科学は、まさにその点を自然科学から学んだ。個々の存在の限りなくかけがえのない価値など、捨象するのが科学である。
所有と支配の権利が合理的に説明され正当化されれば、あとはいちいちその説明と正当化を個別の事例のたびに繰り返さなくてもすむ。だから人は、ひとたびそれを説明し相互に承認すれば、あとは個別の事例にそれを無批判に適用するだけでよいのだ。近代市民社会では、利己的な動機によって社会的な行為をする人間が、その行為のたびごとに、該当する事例に関する権利とその保証制度を確認し、権利を侵害しないよう、侵害されないように振る舞えいさえすればよい。自己の利益を社会参加のなかで最大化するためには、権利の尊重は、どうしても従わねばならない必然的な条件である。価値評価のための人格の陶冶など不要なのだ。なぜ近代市民社会ではそんな機械的な処理が可能なのかというと、各人が互いの権利を尊重し自己の権利を主張しつつ利己的に行為するときに、原則的にはそれだけの条件で、社会全体が調和する、という制度理論が基礎になって社会制度が形成されているためである。
権利保障の制度を確立することで、近代市民社会は、利己的な動機に基づいて社会に参加する各人が互いに利益を争い合って個々の人間存在の価値を破壊するような修羅の世界に陥ることなく、文明社会にふさわしい社会的秩序と文明人にふさわしい利益とを保障することができるようになった。これこそ、近代人の幸福を支える体制であった。所有の権利が社会的に確立されたことで、所有する財の管理と交換のシステムを整備し、文明社会が各時期に直面する難局に対処すればよいということになった。人間の存在の価値をその所有の権利に書き換えることに何らの疑問ももたない人たちは、すすんで自己の所有する財を豊かにすることに従事した。豊かさは対象化し数量化できるものだった。所有の権利という考えは、自己利益の最大化という彼ら/彼女たちの動機にぴったりとなじむものだった。人間存在の価値が所有の権利へとすりかえられることに疑義を呈する人たちには、経済システムの周辺で独自の価値を創造することに従事する専門家になるという道があった。芸術家も詩人も文学者も哲学者も軍事的英雄も、存在から所有へ、価値から権利へ、という時代の流れに抗して価値的な生を追求する特異な人たちになった。市民の大半は別の人たちだった。彼らは、特異な専門家が作り出した価値を評価し解説し利用可能なものにして提供してくれる職人たちを必要とした。こうして価値は数量化され対象化され、商品化されて、財として流通し、交換され所有され、消費された。
仮に人間がどれほど利己的であったとしても、各人に所有の権利を保障する制度があれば、そのような個人が参加する社会は調和する、という社会理論が、社会制度を整備するためのさまざまな指針を提供した。そのような社会に参加する個人には、利己心を満足させつつ絶えずくすぐり続けるような利益の配分があり、その所有を保障する制度があった。そのような社会は、自発的に発展し拡大する強力な運動体であった。社会の成員のみんなが、豊かさとは何かについて、共通の理解をもっていた。多くの成員がそれを確信し、疑いを挟まなかった。そして、社会の豊かさは、そのまま、それを配分し所有する個人の豊かさを意味した。ただ自己利益のみを追求する近視眼的な視野を超えて、自己利益の将来的な増大のために、他者のために、全体のために行為する市民が現れた。自他の所有権を認め合いつつ各自の利益を最大化するべく、全体の利益を増大させようと意図して科学的で合理的な判断を下すこうした市民たちこそ、近代市民社会の発展を担う人々だった。近代初期の社会制度理論は、そうした市民たちこそが、社会道徳と人間の幸福の担い手であるという一般的な理解をもたらした。
それらすべてが実現されるための哲学があった。それは、実定的な制度理論を基礎づける哲学で、制度が十分に整い、市民の活発な社会活動がはじまり、経済と政治が合理的に運用されてさまざまな難局にも対処しうるようになる近代の最初の時期に、亡命生活や隠遁生活を送っていた哲学者たちによって、考えられた。
まるで京のみやこを守るための呪法を施した陰陽師のように、近代市民社会の社会制度が安定を保つための思想的な基礎づけを行った哲学者たちがいたのだ。
彼らはまず、人間の営みを利己的な動機だけに限定した。そして、利己的な動機による行為を社会的に保証するための条件として、個々の人間のそのつどの存在が実現する不可侵の「価値」という考えを個人の所有の「権利」という考えに書き換えた。
所有権思想の確立とともに、権利思想のインフレーションが起こった。生存権、社会参加権、自己決定権。
ひとつの生命であるということのかぎりない価値は、自己というひとつの生命を所有する権利に書き換えられた。所有の権利を主張できるのは自己の生命だけではなかった。生存権だけでなく、統治権も親権も、所有権に基礎づけられ、所有権から派生的に導かれた。早い話が、生命を所有する権利の主体が神から人間に代わっただけのことなのだ。あとは人間という範疇の拡大だけが課題だったわけである。
存在の価値、あるいは生命の価値から、所有の権利へ、という理念的な転換が、近代市民社会の発足時に思想的なレベルで起こり、社会制度を根柢から規定する理念となったのである。それは、社会思想の基礎が哲学から科学へと転換するという出来事でもあった。個人としての自己が所有権を主張しうる財が数量的にどれだけあるか、各人が所有権を主張しうる財の社会的な配分は公正か、といった尺度だけで、生命の価値も、人間の幸福も、社会の福祉も、評価されるようになるまでは、もはや時間の問題だった。








実は私はこれまで「人権」という言葉を敬遠してきましたが、それははっきりとした理屈があったわけではなく、単に好きではないという理由によるものです。「人権」という言葉が好きではないというと大変問題があると誤解されかねないので黙っていましたが、仮に人権問題にもろに関わる内容の授業をしても、いわゆる「人権に関する授業」などの登録手続きをしてこなかったのもそういった不明瞭な感情に由来しています。白頭庵氏の記事を読んでその感情に明瞭な理屈を与えてもらった気がします。
「人権」を含め、今もわれわれは多くの場合、アダム・スミスの時代に作られた概念で意志疎通を図っているように思います。そして、おそらく多くの場合、それらの概念に相当に違和感や嘘らしさを感じつつも、互いの交通のためには使わざるを得ないという事情があります。しかし使っている内にその嘘にならされてしまって、何が本当だったのかわからなくなっているということもまたあります。だからこそ、ここで白頭庵氏が掘り起こそうとされている事は重要だと思います。
ただ流通しているにはしているなりの理由があって、それに代替可能な概念なり思考システムが容易には作り出せないということがあると思うので、氏がもし人権概念を乗り越えようとされているとすれば、それは相当大変なことではないかと想像します。まだ書きかけであると断られているわけですから、読者としては次の展開を楽しみに待つことに致します。
人権に代わる概念が必要だという、僕の論旨を先取りするような理解をしていただき、感謝します。以前に読んだ古典を読み返しながら、ゆっくりと考えています。今、まだアダム・スミスの国富論を読んでいるのですが、これが終わったら、ヒュームの『人性論』と『道徳・政治論集』に戻って、そこから、ドイツ哲学に向かうか、ベンサムやJ.S.ミルの流れに向かうか、迷っています。せめてマルクスの『ブリュメール18日』ぐらいまでは読みたいと思うのですが、なかなかそこまではいけません。言いたい放題に書いているので、もう少ししっかりと推敲し、いずれきちんと書き直すつもりです。