オトーサンは、子どもの運動会や学芸会では、せっかくスケジュールを合わせて学校に来ても、まともに応援もできない哀れな役回りである。
ビデオ・カメラの仕事があって、ムスメやムスコが出番のときは、ひたすら撮影。
したがって、まったく応援ができない。
だから、僕は、一度も、撮影したことがない。
ムスメ・ムスコからは、あとでいつも文句がでる。
友達の誰彼のところでは、家族みんなで運動会のビデオの上映会をして盛り上がるのに、とか、せっかくリレーで抜いたのに、とか。
不況からか知らないが、どこのオトーサンも運動会に朝から来て、ずらっと三脚をならべて撮影会。徒競争や騎馬戦や組み体操になると、芸能リポーター顔負けに、最適な撮影場所を求めて懸命に走る。
いじらしいほどである。
僕にはできない。
しかし、父は、これでも懸命に応援しているのだ。
チョーえこひいきして、自分の子どもたちだけを応援している。
うちによく遊びにくる誰々ちゃんも何々くんも、そりゃもちろん見かければ応援するけど、僕の目と体は自分の子どもたちだけを追跡している。そして応援する。
そのために、私的な記録が残せないだけのことなのだ。
どーせリレー代表に選ばれたりしたら、学校の誰かがスナップ写真を撮影して、一枚○○円で売ってくれるから、あたらしいビデオを買うよりそれを買った方がいい。
オトーサンは、ビデカメやデジカメのモニターを通してではなく、この目で見られることのすべてを見たいのだ。そして、マイクが音を拾うことを警戒して黙っているのではなく、気持ちのままに大声で応援したいのだ。
そういう父の気持は分かることは分かるが、自分たちの運動会や学芸会が動画で残らないと子どもたちは不満らしい。
まあ彼らの気持ちは、こちらとしても分らんでもない。
彼らの記憶には、おねえちゃんの出番のときにはあんなに応援していたのに、とか、カイのときだけ大声で応援して自分にはちっとも応援してくれなかった、という思いが残る。自分の出番のときには応援している人なんて聞こえんし見えんわな。少なくともうちの子らはそうだ。彼らに互いの記憶を補いあう知恵はないので、結局、オトーサンは全然応援もしてくれないし、ビデオも写真も撮ってくれないという不満ばかりが残る。
今朝の朝日のののちゃんのパパのように、こちらが目立つよう工夫しなくちゃいけないかもしれない。グラウンドの中で子どもたちが競技中にこっちを見つけられること、つまり目立つことが、撮影者にも応援者にも、必要なのかもしれない。
しかし子どもの要求は複雑だ。運動会前日、阪神タイガースの応援用メガフォンを物置から出していたら、そんな恥ずかしい真似はするなという。
おやじはだまってビデオ撮影。それでいいという。
来年はどうしよう。いや、次の学芸会はどうしよう。
撮影係になると、運動会にしろ学芸会にしろ、撮影している画面以外の何も見えない。なーんにも体験しない。
なにも体験しないのだ。
そんなのはいやなので、やはりおやじはおやじなりの一番長い日の過ごし方で応援させてもらう。
その日のために、子どもらには、まっさんの歌でも聞かせよう。
誰か、僕に変わって我が家専属の運動会・学芸会撮影係になってくれないかな、昼飯と晩飯ぐらいは出しますよ。
ビデオ・カメラの仕事があって、ムスメやムスコが出番のときは、ひたすら撮影。
したがって、まったく応援ができない。
だから、僕は、一度も、撮影したことがない。
ムスメ・ムスコからは、あとでいつも文句がでる。
友達の誰彼のところでは、家族みんなで運動会のビデオの上映会をして盛り上がるのに、とか、せっかくリレーで抜いたのに、とか。
不況からか知らないが、どこのオトーサンも運動会に朝から来て、ずらっと三脚をならべて撮影会。徒競争や騎馬戦や組み体操になると、芸能リポーター顔負けに、最適な撮影場所を求めて懸命に走る。
いじらしいほどである。
僕にはできない。
しかし、父は、これでも懸命に応援しているのだ。
チョーえこひいきして、自分の子どもたちだけを応援している。
うちによく遊びにくる誰々ちゃんも何々くんも、そりゃもちろん見かければ応援するけど、僕の目と体は自分の子どもたちだけを追跡している。そして応援する。
そのために、私的な記録が残せないだけのことなのだ。
どーせリレー代表に選ばれたりしたら、学校の誰かがスナップ写真を撮影して、一枚○○円で売ってくれるから、あたらしいビデオを買うよりそれを買った方がいい。
オトーサンは、ビデカメやデジカメのモニターを通してではなく、この目で見られることのすべてを見たいのだ。そして、マイクが音を拾うことを警戒して黙っているのではなく、気持ちのままに大声で応援したいのだ。
そういう父の気持は分かることは分かるが、自分たちの運動会や学芸会が動画で残らないと子どもたちは不満らしい。
まあ彼らの気持ちは、こちらとしても分らんでもない。
彼らの記憶には、おねえちゃんの出番のときにはあんなに応援していたのに、とか、カイのときだけ大声で応援して自分にはちっとも応援してくれなかった、という思いが残る。自分の出番のときには応援している人なんて聞こえんし見えんわな。少なくともうちの子らはそうだ。彼らに互いの記憶を補いあう知恵はないので、結局、オトーサンは全然応援もしてくれないし、ビデオも写真も撮ってくれないという不満ばかりが残る。
今朝の朝日のののちゃんのパパのように、こちらが目立つよう工夫しなくちゃいけないかもしれない。グラウンドの中で子どもたちが競技中にこっちを見つけられること、つまり目立つことが、撮影者にも応援者にも、必要なのかもしれない。
しかし子どもの要求は複雑だ。運動会前日、阪神タイガースの応援用メガフォンを物置から出していたら、そんな恥ずかしい真似はするなという。
おやじはだまってビデオ撮影。それでいいという。
来年はどうしよう。いや、次の学芸会はどうしよう。
撮影係になると、運動会にしろ学芸会にしろ、撮影している画面以外の何も見えない。なーんにも体験しない。
なにも体験しないのだ。
そんなのはいやなので、やはりおやじはおやじなりの一番長い日の過ごし方で応援させてもらう。
その日のために、子どもらには、まっさんの歌でも聞かせよう。
誰か、僕に変わって我が家専属の運動会・学芸会撮影係になってくれないかな、昼飯と晩飯ぐらいは出しますよ。







