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映画「マンチェスター・バイ・ザ・シー」:壊れた心を癒す海風

映画を観る際にはスクリーンに映像が映し出されるまで,監督や主演俳優等々,主要な情報以外は極力耳にしないでおくようにしている。そのせいで実際に作品を目の当たりにして驚いてしまうことがしょっちゅうある。本作も冒頭で主人公のリー(ケイシー・アフレック)が,兄が倒れたという報せを受けて病院に向けて車を走らせるシーンを観て,「えっ?右側通行?マンチェスターってイギリスじゃなく,アメリカ東海岸の町?」と初めて知った次第。何となく想像していた「一年中曇り空の,斜陽の炭鉱町で生きるおじと甥の物語」というイメージを修正しつつ観た本作は,しかし作品のクオリティ自体が何よりの驚きと言える秀作だった。

過去に自らの不注意のせいで愛する子供たちを死なせ,妻をも失った男が,兄の死で一人取り残された甥パトリック(ルーカス・ヘッジス)の後見人になっていたことが,弁護士に託されていた遺書によって判明する。それについて生前の兄から相談されたこともなかったリーは,自身が自らの悲劇から立ち直っていない精神状態もあり,ひたすら困惑する。そんなおじの言動からパトリックもまたリーに反発する。
そんな二人が,兄の親友やパトリックの母,リーの別れた妻(ミシェル・ウィリアムズ)らとのやり取りを通して,再び心を通わせていく。

こう書いてしまうと,感動の人間ドラマ,というクリシェで簡単に括れてしまいそうなのだが,これが私にとっては監督作として初見参となるケネス・ロナーガンは,大ヴェテランとしか思えない練達の業を繰り出して,観客を137分間画面に釘付けにする。
パトリックの過去と兄の死を除くと,ドラマティックな出来事は何一つ起こらないのだが,その何ということもないエピソードの連なりが,ショットを繋ぐタイミングとも相まって素晴らしいリズムを生み出している。それは,かつて小津安二郎が必ず台詞の後10コマと次のショットの台詞の前6コマを空けることで,得も言われぬ独自の「間」を作り出していたことを想起させるほどだ。

ラスト近く,街角で偶然に出会ったパトリックと前妻が,それまで伝えずにいた想いを吐き出しながらも,結局最後まで気持ちがすれ違ったまま別れていかざるを得ないシークエンスは,オスカー受賞時,ケイシー・アフレックが過去に起こしたセクハラ事件のせいでプレゼンターのブリー・ラーソンから握手を拒否された件をも忘れさせるほどの切なさを湛えていた。事件の真相はともかく,本作が持つ叙情の深さは紛れもない本物だ。
★★★★
(★★★★★が最高)
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