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映画「ホワイトリリー」:百恵ちゃんの歌の歌詞ではないけれど「これっきり」ではないですよね?

日活ロマンポルノのリブート(再起動)プロジェクト第5作かつ最終作となる「ホワイトリリー」は,かつて異なるジャンルを縦横にカバーする職人として,旧シリーズの屋台骨を支えていた小沼勝に師事していた,中田秀夫の出番となった。「劇場霊」や「リング」で世に出た中田監督だけに,ホラー風味の味付けがあるのではという予感もあったが,出来上がった写真は「品のよい昼メロ」のフレームを守った,むしろ「端正」と言っても良い作品となった。

「ホワイトリリー」というタイトルが,かつて旧シリーズで制作された那須博之の「セーラー服 百合族」に由来するのは間違いないだろう。レズビアンにとって,百合の花が女性のシンボルを意味するものとして,普遍的な存在なのかどうかは知らないが,劇中で女性器を象徴するものとして描かれるショットは,かなりベタだ。そのシーンに象徴されるように,美しく才能溢れる師匠に全てを捧げる覚悟を持った若く美しい弟子,という定型的なキャラクターによって構成される物語は,どこまでも既視感に溢れたメロドラマとして展開される。
師匠(山口香緒里)からどんなひどい仕打ちを受けようとも,ひたすら師匠に尽くす弟子(飛鳥凛)の姿は,「百合族」の進化形でありながら,中田の心の師匠たる小沼勝が得意としたジャンルのひとつである「SM路線」をも継承するもの,という見方も出来るかもしれない。

ただ類型的なキャラクターを際立たせるような斬新な描写があるかといわれると,そこはやや苦しい。主役二人の絡みは美しいが,扇情的な粘着性には欠ける。おそらく一番官能的なシーンは,冒頭でテレビ出演のために出掛ける山口が,飛鳥に「ワンピースのファスナーを上げて」と指示した際,ろくろを廻していたために師匠の服に泥が付くことに配慮した飛鳥が,ファスナーを口にくわえてゆっくりと上げていくクロースアップのショットだろう。同様の接写は後にも何度かあり,いずれもそれなりの効果を挙げてはいるが,百合に唇を寄せるというあまりにも創意工夫に欠けたショットが,かえって全体の官能的なレヴェルを下げてしまっているという印象も受けた。

それでもこの5週間,来週は誰がどんな趣向で来るのか?という期待感を感じながら過ごさせて貰ったことへの感謝は尽きない。潔く脱いだ女優たちのこれからの発展と(何だか会社の創立記念日の挨拶みたいだけれど…),そう遠くない将来に,リブートの続編が実現されることを強く望む。
★★★☆
(★★★★★が最高)
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