先日、たまたまお客様お二方より、墓誌に彫刻する年齢について、ご質問がありました。
お一方の方丈様は、「行年は、お母様のおなかの中にいた1年間を、数え年に足した年齢」とご説明され、もう一方の方丈様は、「享年は・・・お母様のおなかの中にいた1年間を、数え年に足した年齢」とご説明されましたと、おっしゃられました。
さて、いったいどちらが正しいのでしょうか?
ネットの中で、非常に説得力をもった回答がありましたのでご紹介します。
有限会社エムシープロデュースの代表者 井手一男氏が、ご自身のブログで質問に答えると言う形で、回答されています。
==============<摘記>====================
【享年】と【行年】の違い
<享年>・・・何年生きたか。従って「歳」はつけない
<行年>・・・何歳まで生きたか。従って「歳」をつける
私の考えですが、<享年><行年>とは一般に同義語であり、
「天や大自然から享(う)けた年数」という意味を表しこの世に存在した年数のことです。
しかし、権威あるアナウンスの定番では、少しばかり解釈が違います。
<享年><行年>とは、ずばり年齢を指していると解釈しているようです。
死んでなくても、今私は享年あるいは行年46歳という考え方が根底にあります。
理論的に数え年と、享年・行年を比較しますと、
数え年は、生まれた時に1歳、以後正月ごとに1歳加齢。
享年・行年は、誕生日の十月十日前から、死を迎えるまでの年を数えたもの。
ですから、必ずしも数え年と享年・行年が一致するわけでもないのです。
そして地域や各寺院の考え方により、享年・行年の考え方も違ってきます。
地域の慣習が一番優先されているのが現実だろうと思いますよ。
私の属する浄土真宗本願寺派でも、法名に享年や行年を用いていますが、
満年齢で記しているものが結構あります。
(実情に照らしての判断だろうと思いますが)
参考までに、仏教辞典によれば享年・行年とは、天・大自然から享(う)けた年数
という意味で、この世に存在した年数のこととあるようです。
「この世に存在した」という意味の解釈を誤らないことですね。
====================================
ご興味のある方は、下記のブログへ行かれてみると、非常に詳しく判ります。
http://www.mcpbb.com/blog/archives/2006/03/post_162.html
お一方の方丈様は、「行年は、お母様のおなかの中にいた1年間を、数え年に足した年齢」とご説明され、もう一方の方丈様は、「享年は・・・お母様のおなかの中にいた1年間を、数え年に足した年齢」とご説明されましたと、おっしゃられました。
さて、いったいどちらが正しいのでしょうか?
ネットの中で、非常に説得力をもった回答がありましたのでご紹介します。
有限会社エムシープロデュースの代表者 井手一男氏が、ご自身のブログで質問に答えると言う形で、回答されています。
==============<摘記>====================
【享年】と【行年】の違い
<享年>・・・何年生きたか。従って「歳」はつけない
<行年>・・・何歳まで生きたか。従って「歳」をつける
私の考えですが、<享年><行年>とは一般に同義語であり、
「天や大自然から享(う)けた年数」という意味を表しこの世に存在した年数のことです。
しかし、権威あるアナウンスの定番では、少しばかり解釈が違います。
<享年><行年>とは、ずばり年齢を指していると解釈しているようです。
死んでなくても、今私は享年あるいは行年46歳という考え方が根底にあります。
理論的に数え年と、享年・行年を比較しますと、
数え年は、生まれた時に1歳、以後正月ごとに1歳加齢。
享年・行年は、誕生日の十月十日前から、死を迎えるまでの年を数えたもの。
ですから、必ずしも数え年と享年・行年が一致するわけでもないのです。
そして地域や各寺院の考え方により、享年・行年の考え方も違ってきます。
地域の慣習が一番優先されているのが現実だろうと思いますよ。
私の属する浄土真宗本願寺派でも、法名に享年や行年を用いていますが、
満年齢で記しているものが結構あります。
(実情に照らしての判断だろうと思いますが)
参考までに、仏教辞典によれば享年・行年とは、天・大自然から享(う)けた年数
という意味で、この世に存在した年数のこととあるようです。
「この世に存在した」という意味の解釈を誤らないことですね。
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ご興味のある方は、下記のブログへ行かれてみると、非常に詳しく判ります。
http://www.mcpbb.com/blog/archives/2006/03/post_162.html









