性転換手術‐美容外科医のBlog

日本で唯一、開業医として永く本格的なMTFSRSに携わってきた医師が、GID(性同一性障害)治療について語ります。

激務の開業―最初の事故(2)

2006-05-24 | Weblog
これは事故を患者さんのせいにしているのではなく事故というものはいくつもの要因が不幸にも偶然に重なって起きることが多いということを言っているのです。夜の10時に手術が終わって麻酔を覚まし、私と助手を務めていたナースは夕食の弁当を手術室から10mも離れてないナース控え室で食べてました。2人のスタッフが手術室に残ってまだ朦朧としている患者さんをみており、患者さんには当然まだモニターが付けられてました。もう少し意識がはっきりしてから隣の安静室に皆で移動させるつもりでした。私が弁当を食べ終わる頃、手術室にいた2人のスタッフがナース控え室に戻ってきました。私は“あれ?今患者さんは手術室に1人だな”と気になりましたが、モニターがつけられているので、 異常があればアラームが鳴るから大丈夫かと思いました。実は普段の私ならそういう状況なら常に直接患者さんの傍に行って容態を自ら観察し確認します。ところがこの日だけは連日の出張と激務の重なりで疲労が極限状態で、少しの時間ならこのままでいいかと腰が重くなっていたのです。しばらくして患者さんを安静室に移動させようと全員で手術室に戻ったら、心肺停止状態になっていました。詳しい状況の説明は言い訳がましいので省きますが、実は血中酸素モニターが外れており、呼吸抑制が生じてもアラームが鳴らない状態になっていたのです。呼吸抑制の原因はたぶん手術終了時に点滴の残りに入れた強めの鎮痛剤レペタンの副作用でしょう。点滴は空になっており、薬の効果が強く出始めた時点で呼吸抑制が生じたと思います。すぐに気道挿管し蘇生処置を開始し、心拍はすぐに復活しましたが、自発呼吸がなかなか戻らず、結局あきらめて救急センターへ搬送することになりました。転院先の病院で数日後に自発呼吸は復活しましたが、意識レベルはあまり戻らないままでした。それでさらに治療が長引くことを考え、患者さんの故郷の四国の病院にヘリで移送転院することにしました。私は毎月治療費と補償費をもって面会に行きました。1年がたち、回復状況も頭うちになってきた頃、長期の補償額(損害賠償)について裁判所で話し合い、当院の管理責任の至らなさを全面的に認めていた私は素直に裁判官の和解案に応じました。事故から10年経った現在も毎月の高額な補償は続いており、決して忘れることができませんから、このことがその後絶対に不注意で医療事故を二度と起こさないという私の決意を持続させてくれました。