天上の月影

勅命のほかに領解なし

徳号列示

2016年12月31日 | 浄土和讃を読む

 ■本文
『讃阿弥陀仏偈』にいはく  曇鸞御造
 南無阿弥陀仏[釈して『無量寿傍経』と名づく、讃めたてまつりてまた安養といふ。]成仏よりこのかた十劫を歴たまへり、寿命まさに量りあることなし、法身の光輪法界に遍して、世の盲冥を照らしたまふ、かるがゆゑに頂礼したてまつる。
また無量光と真実明と号(なづ)く、また無辺光と平等覚と号く、また無碍光と難思議と号く、また無対光と畢竟依と号く、また光炎王と大応供と号く、また清浄光と号く、また歓喜光と大安慰と号く、また智慧光と号く、また不断光と号く、また難思光と号く、また無称光と号く、超日月光と号けたてまつる。
 無等等 広大会 大心海 無上尊 平等力 大心力 無称仏 婆伽婆 講堂 清浄大摂受 不可思議尊 道場樹 真無量 清浄楽 本願功徳聚 清浄勲 功徳蔵 無極尊 南無不可思議光{以上略抄なり。}
『十住毘婆沙論』にいはく
自在人[我礼]清浄人[帰命]無量徳[称讃] 以上

 ■文意
  『浄土和讃』は、「冠頭讃」二首に続いて、「讃阿弥陀仏偈和讃」四十八首が列せられますが、その前に右の文があります。何のことだかわかりにくいですが、徳号列示と呼ばれ、「讃阿弥陀仏偈和讃」の依り所を示されたものです。
 すなわち、親鸞聖人が非常に尊ばれた方の一人に、中国の曇鸞大師という方がおります。真宗相承の第三祖、七高僧の第三番目です。「正信偈」に「本師曇鸞梁天子」といわれている「曇鸞」がそうです。その生涯の詳しいことは、後に『高僧和讃』の所で述べるはずですから、いまは省略しますが、およそ千四・五百年ほど昔のお方です。日本でいえば、曇鸞大師が亡くなって三十二年後に聖徳太子がお生まれになっています。聖徳太子より数十年前のお方ということです。
 その曇鸞大師がお書きになった書物に『讃阿弥陀仏偈』というのがあります。そのほか『無量寿経優婆提舎願生偈』(略して『往生論註』とも『浄土論註』ともいい、単に『論註』ともいわれます)や『略論安楽浄土義』(ただしこれは曇鸞大師のものかどうかわかりません)がありますが、いま「讃阿弥陀仏偈和讃」はその題が示すように、『讃阿弥陀仏偈』によられたものです。これをヤワラゲホメたものであるから「讃阿弥陀仏偈和讃」というのです。
 さて、右に掲げた本文は、「讃阿弥陀仏偈和讃」のもとになっている『讃阿弥陀仏偈』の文章です。
 まず「讃阿弥陀仏偈にいはく」というのは、『讃阿弥陀仏偈』という書物の中に次のようにいわれているというのです。ここに題号が示されます。そして「曇鸞御造」というのは、曇鸞大師がお作りになったということです。お書きになった人の名を示したのです。ここまでは親鸞聖人の言葉ですが、この次からまさしく『讃阿弥陀仏偈』の言葉になります。
 すなわち、
  南無阿弥陀仏 釈して『無量寿傍経』と名づく、讃めたてまつりてまた安養といふ
というのは、『讃阿弥陀仏偈』の冒頭の言葉です。
 曇鸞大師は『讃阿弥陀仏偈』を述べられるにあたって、まず「南無阿弥陀仏」といって、阿弥陀仏に南無する、阿弥陀仏に帰依することを示されたのです。続いて「釈して『無量寿傍経』と名づく、讃めたてまつりてまた安養といふ」というのは、曇鸞大師自身が『讃阿弥陀仏偈』の題号を解釈されたものです。すなわち、『讃阿弥陀仏偈』は『大無量寿経』を依りどころとして阿弥陀仏を讃嘆するものであるから『無量寿傍経』ともいい、また安養、これは浄土のことですが、その安養浄土の荘厳を讃嘆するものであるから『安養偈』とも名づけるというのです。
 しかし、実はこれには問題があるのです。『讃阿弥陀仏偈』はもともと漢文で書かれた書物なので、ここのところを原文通りに示すと次のようです。
  釈名無量寿傍経奉讃亦曰安養
いまこれを親鸞聖人は、
  釈して『無量寿傍経』と名づく、讃めたてまつりてまた安養といふ
と読まれたわけですが、実はこれは親鸞聖人独自の読み方であって、通常は、
  釈して無量寿と名づく。経に傍(そ)へて讃め たてまつる。また安養ともいふ
と読むのです。すなわち、題号に『讃阿弥陀仏偈』といった「阿弥陀」は、「無量寿」と釈されるというのです。そして「讃」は「経に傍(そ)へて讃めたてまつる」ということ、『大無量寿経』によって無量寿仏(阿弥陀仏)のお徳を讃めたてまつる偈文だというのです。
 通常はこのように読み、解釈されるのですが、親鸞聖人はあえて独自の読み方をすることによって、『讃阿弥陀仏偈』を『無量寿傍経』として、経典と同等に見ていこうとされたのでした。
 続いて「成仏よりこのかた十劫を歴(へ)たまへり、寿命まさに量りあることなし、法身の光輪法界に遍じて、世の盲冥を照らしたまふ、かるがゆゑに頂礼してまつる」とあります。これは『讃阿弥陀仏偈』の本文です。これを和讃されたのが「讃阿弥陀仏偈和讃」の第一首です。すなわち、
  弥陀成仏のこのかたは
   いまに十劫をへたまへり
   法身の光輪きはもなく
   世の盲冥をてらすなり
です。『讃阿弥陀仏偈』をヤワラゲホメ(和讃)ていくのがこれから後の「讃阿弥陀仏偈和讃」であることを示すのです。
 つぎに「また無量光と 真実明と号(なづ)く」以下は、『讃阿弥陀仏偈』に述べられた阿弥陀仏の異名です。それを三十七、並べているのです。
 そして最後に「『十住毘婆娑論』にいはく」以下は、その『讃阿弥陀仏偈』に出る三十七の仏号は、龍樹菩薩の『十住毘婆娑論』の「易行品」に出る三名、すなわち「自在人」「清浄人」「無量徳」にならったものです。そこで親鸞聖人は、『讃阿弥陀仏偈』のほかに『十住毘婆娑論』にも三名があることを示したのです。
 こうした異名をもって阿弥陀仏のお徳を讃嘆していくのが、これから後に説かれる「讃阿弥陀仏偈和讃」なのです。

 ■「讃阿弥陀仏偈和讃」の内容
 本文に入る前に、簡単に全体の内容を見ておきましょう。まず、
  讃阿弥陀仏偈和讃
とあります。これは題号です。そして、
  愚禿親鸞作
とあるのは、作者名です。親鸞聖人が曇鸞大師の『讃阿弥陀仏偈』によって「讃阿弥陀仏偈和讃」をお作りになったということです。そして、
  南無阿弥陀仏
とあるのは、『讃阿弥陀仏偈』の冒頭にならって、阿弥陀仏に南無することを示されたものです。
 続いて『讃阿弥陀仏偈』により、四十八首の和讃が列せられていきます。この四十八首
は、大ざっぱにいうと、阿弥陀仏のお徳、聖衆(浄土に住する方)のお徳、浄土のお徳をほめたたえるものです。そして、それによって、わたくしたちに対して、阿弥陀仏一仏をたのみ、その浄土に生まれたいという心をおこさせていくのであります。

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

冠頭讃(2)

2016年12月30日 | 浄土和讃を読む

■本文
 弥陀の名号となへつつ
  信心まことにうるひとは
  憶念の心つねにして
  仏恩報ずるおもひあり

 誓願不思議をうたがひて
  御名を称する往生は
  宮殿のうちに五百歳
  むなしくすぐとぞときたまふ

 ■文意
  この『浄土和讃』冒頭の二首は、冠頭讃と呼ばれ、『三帖和讃』全体の大綱を示します。すなわち第一首は勧信で、信を勧め、第二首は誡疑で、疑を誡める意味です。信を勧め、疑を誡めるのが『三帖和讃』であるから、そのことを冒頭において、端的に示されたものと窺われるのです。
 そこでこの冠頭讃二首は、ことに重要な和讃ですから、昔の学者方は丁寧にいろいろと解釈されています。例えば柏原祐義氏の『三帖和讃講義』には昔の学者方の学説を五つ取り上げておられます。そうした昔の学説はもちろん尊重していかねばなりませんが、いまそれらを離れて、わたくしに文意を窺ってみたいと思います。
 まず、第一首が勧信、第二首が誡疑であるということは、この二首は対照的なものということができます。すなわち、第一首に対して第二首があり、第二首に対して第一首があるということです。
 そこでこの二首を比べてみると、第一首の「弥陀の名号となへつつ」に対する第二首の言葉は、「御名を称する往生は」でしょう。そして第一首の「信心まことにうるひとは」に対する第二首の言葉は、「誓願不思議をうたがひて」でしょう。そして第一首の「憶念の心つねにして 仏恩報ずるおもひあり」に対する第二首の言葉は、「宮殿のうちに五百歳 むなしくすぐとぞときたまふ」になります。
 そこで共通するのは、第一首の「弥陀の名号となへつつ」と、第二首の「御名を称する往生は」です。どちらも、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏とお念仏申しているすがたです。
 このお念仏申すというすがたは同じであっても、第一首は「信心まことにうるひとは」であり、第二首は「誓願不思議をうたがひて」です。信心の人と、疑惑の人です。
 信心とは、何度も申しておりますように、阿弥陀さまの必ず助けるぞという仰せをその通り聞いていることです。この仰せに対して、結構ですと拒絶すること、あるいは、本当に大丈夫だろうかどうだろうか、もっと何かしなければならないのではないだろうかと、足踏みすることを疑いといいます。阿弥陀さまの仰せをその通り聞いていない状態のことです。
 阿弥陀さまは、何の差し支えることもなく、何の条件をつけることもなく、そのまま救うと仰せになる。わたくしたちの常識では、阿弥陀さまの救いに対して、それにふさわしい者でなければダメ、それにふさわしい者になっていかねばならないと思いがちです。
 例えば、東京大学に入学するには、それ相当の学力がなければなりません。そしてその学力を身につけるように努力していかねばなりません。それが常識といっていいでしょう。けれども、その常識外の学校もあります。大阪は高槻の行信教校です。ここでは一応入学試験はしますが、たとえ白紙の答案であっても、「これから頑張って勉強しなさい」と入学を許可するのです。受験戦争を常識とする世間からすれば不思議な学校です。もっとも東京大学と行信教校ではネームバリューに格段の差がありますが……。
 それはさておき、常識の中で、常識を当然として生きているわたくしたちにとって、阿弥陀さまの救いにあずかるには、まるで東京大学に入学を希望するように、それにふさわしい者にならなければならないと思う。けれども阿弥陀さまは、まるで行信教校が白紙の答案を書くような者でも迎え入れるように、そのまま救うと仰せになるのです。全くわたくしたちの常識外です。ゆえに「誓願不思議」、不思議といわれるのです。その不思議の阿弥陀さまの救いに対して、そのまままかせていくのを信心といい、不思議なるがゆえにいろいろとはからっていくのを疑いというのです。
 そして、その信心を得た人、阿弥陀さまの救いをそのままいただいた人は、「憶念の心つねにして 仏恩報ずるおもひあり」阿弥陀さまのことをつねにおもい、ありがとうございますという心があるというのです。つねにおもうとは、四六時中ということではないでしょう。わたくしたちは毎日、仕事に追われ、生活に追われて、阿弥陀さまのことも忘れがちだけれど、阿弥陀さまはわたくしたちのことを片時も忘れずにいて下さる。だから、いつ思いだしても、ありがとうございますの心でいられるのです。ありがとうございますの心だから、口にあらわれるお念仏も、「助けて下さい、阿弥陀さま」でなく、ありがとうございますの、御恩報謝のお念仏を申させていただくのです。
 これに対して疑惑の人は、「宮殿のうちに五百歳 むなしくすぐとぞときたまふ」この言葉の意味は後に述べますが、これは化土往生のことをいわれているのです。「誓願不思議をうたがひて 御名を称する往生は」ですから、往生した後のこと、たとえ往生しても、それは化土の往生なのだよといわれているのです。お念仏申しているすがたは、「信心まことにうるひと」と変わりはありませんが、心に疑いをもっている人は、往生した後にその違いがあらわれるといわれるのです。

 ■化土の往生
  それは親鸞聖人が勝手にいわれたものではありません。『大無量寿経』にそのように説かれているのです。すなわち『大無量寿経』の終わりに胎化段といわれる一段があります。そこに、

しかるになほ罪福を信じ善本を修習して、その国に生れんと願ふ。このもろもろの衆生、かの宮殿に生れて寿(いのち)五百歳、つねに仏を見たてまつらず、経法を聞かず、菩薩声聞の聖衆を見たてまつらず。このゆゑに、かの国土においてこれを胎生といふ。

といわれているのです。すなわち「罪福を信じ善本を修習して、その国に生れんと願ふ」というのは、阿弥陀さまの無条件の救いに対して、こんなことで大丈夫だろうか、もっと何かしなければならないのではないだろうかと思って、いろいろな徳を積んで浄土を願うような者は、「かの宮殿に生れて寿(いのち)五百歳」浄土の辺鄙なところにある「宮殿」、これは七つの宝で飾られているとはいわれますが、逆に飾られているがゆえに天地が狭く、全く不自由なところということです。そこに生まれて五百年の間、仏・法・僧の三宝を見ることができない。これを胎生というと説かれるのです。胎生とは、母の胎内にあって何も見えないような状態を例えたものです。要するに、五百年の間、むなしく時を過ごさねばならないということです。これを親鸞聖人は「宮殿のうちに五百歳、むなしくすぐとぞときたまふ」といわれたのでした。
 こうした疑惑の人が往生する浄土を化土といいます。それは浄土の辺鄙なところにあるといわれますが、実際、浄土に辺鄙も何もあるものではありません。それは疑惑の人の心が描き出した世界です。真実の浄土を真実の浄土と見れずに、化土としてしか見えないということです。
 まるでわたくしたちの現実の世界と同じです。わたくしたちはつねに自分の都合によって、都合のいい人を好きな人、都合の悪い人を嫌いな人、都合のどうでもいい人をどうでもいい人として分別して、好きな人とはいつまでも一緒にいたいと思い、嫌いな人とは早く別れたいと思い、どうでもいい人とはどうでもいい。愛と憎しみと冷淡の世界を、自分の都合によって作りあげているのです。好きな人がそこにいるのではない、好きな人を自分がこしらえている。嫌いな人がそこにいるのではない、嫌いな人を自分がこしらえているのです。人間の世界は、人間の心がこしらえている世界なのです。化土は、この人間の世界の延長のようなものといえましょう。疑惑の心が描き出した世界です。
 ゆえに冠頭讃は、化土の往生でなく、真実の浄土に生まれなさい。それはただ阿弥陀さまの救いをいただくばかりだよ。それを疑うから化土の往生となるんだよ。信を勧め、疑を誡めていくのです。

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

冠頭讃(1)

2016年12月29日 | 浄土和讃を読む

 ■三帖和讃
  『浄土和讃』『高僧和讃』『正像末和讃』を総称して「三帖和讃」といいます。その内容について述べると、まず『浄土和讃』は、経典などによって阿弥陀仏とその浄土の徳を讃嘆されたもので、「冠頭讃」二首、「讃阿弥陀仏偈和讃」四十八首、「大経讃」二十首、「観経讃」九首、「弥陀経讃」五首、「現世利益和讃」十五首、「勢至讃」八首、合計百十八首から成っています。
 つぎに「高僧和讃」は、「正信偈」の後半部分、いわゆる依釈段と呼ばれる一段と同様に、龍樹菩薩・天親菩薩・曇鸞大師・道綽禅師・善導大師・源信和尚・源空(法然)聖人という、インド・中国・日本の三国にわたる七人の浄土教の祖師の教えを、その事蹟や著作に即してわかりやすく讃嘆されたもので、「龍樹讃」十首、「天親讃」十首、「曇鸞讃」三十四首、「道綽讃」七首、「善導讃」二十六首、「源信讃」十首、「源空讃」二十首の合計百十七首より成っています。
 つぎに「正像末和讃」は、その成立が親鸞聖人八十五歳以降とみられ、最晩年の信境の深まりがうかがわれます。「正像末浄土和讃」五十八首、「誡疑讃」二十三首、「皇太子聖徳奉讃」十一首、「愚禿悲嘆述懐」十六首、「善光寺和讃」五首、それに「自然法爾章」と呼ばれる法語と、二首の和讃が終わりにおさめられています。

 ■冠頭讃
  「三帖和讃」の第一『浄土和讃』は、

弥陀の名号となへつつ
 信心まことにうるひとは
 憶念の心つねにして
 仏恩報ずるおもひあり

誓願不思議をうたがひて
 御名を称する往生は
 宮殿のうちに五百歳 
 むなしくすぐとぞときたまふ

という二首の和讃ではじまります。冒頭にある和讃であるから、古来これを「冠頭讃」と呼んでいます。また「序讃」とも呼んできました。
 この「冠頭讃」は、第一首は勧信(信を勧める)、第二首は誡疑(疑を誡める)の意味です。語句の説明は後に述べますが、この二首の和讃は、単に『浄土和讃』の冒頭というにとどまらず、「三帖和讃」全体に通じて、その大綱を述べたものといわれています。すなわち、『浄土和讃』も『高僧和讃』も『正像末和讃』も、信を勧め、疑を誡めるものだからです。

 ■竪と横
 およそ仏教は、大きく聖道門と浄土門に分かれます。あるいは自力の教えと他力の教えと言ってもいいでしょう。
 聖道門・自力の教えとは、様々な修行を積んだ結果として、この世においてさとりを開いていこうとするものです。これを此土入聖といっていますが、しかしこの世でさとりを開くことはなかなかできません。できたのはお釈迦様だけです。それも過去世、そのまた過去世という、無限の過去からの修行があったからでした。生まれ変わり死に変わりして修行を積まれてきた結果としてさとりを開かれたのでした。さとりを開くには永い永い時間、様々な修行をしていかねばなりません。そしてその修行にも段階があります。一般には五十二の段階があるといわれています。仏道を志した出発点からさとりを開くというゴールまで五十二の段階があり、それを一段、一段のぼっていくのです。そしてようやくさとりを開くというゴールに到達するのです。これを親鸞聖人はまた、竪(たてざま)といわれました。
 これに対して浄土門・他力の教えは、阿弥陀仏の力によって浄土に往生し、そこでさとりを開くというものです。これを彼土得証といいます。修行を積んでさとりを開くのでなく、この身このまま阿弥陀仏の力によって浄土に往生し、浄土はさとりの世界であるから、一足飛びにさとりを開かせていただくのです。これをまた親鸞聖人は横(よこさま)といわれたのでした。
 正確な例えではありませんが、例えば横綱になろうと相撲の世界に入門し、毎日毎日稽古を積んで、序の口から、やがて十両、幕内、小結、関脇、大関、横綱とのぼりつめていく。これが竪(たてざま)の法門。これを対して、稽古もしないまま、阿弥陀仏の力によって一足飛びに横綱にならせていただくというのが横(よこさま)です。道理に合わない。だから横といわれるのです。

 ■信と疑
  この横といわれる浄土門・他力の教えは、ただ阿弥陀仏の力にまかせるばかりです。阿弥陀仏は万人を平等に浄土に往生させ、さとりを開かせたいと願われました。そしてその力を完成し、いま現にわたくしたちの上にはたらき続けておられるのです。修行を積みなさいとは仰せにならず、その身そのままを必ずわが浄土に生まれさせるから、本当に間違いなくわが国に生まれるとおもえ。この如来様の仰せを素直に聞いて、如来様の力にまかせ、お浄土に生まれさせていただくことよと聞き開いたこと、これを信心といいます。そしてそれを、結構ですと首を振ることを疑いといいます。こんなことで大丈夫だろうか、何かもっとしなければならないのではないだろうか。如来様の救いに対して、二の足踏むことを疑いといいます。
 竪の法門では修行の積み重ねが大事ですが、横の法門ではただ信か疑か、ひとえにこれにかかっています。そこで「三帖和讃」は信を勧めて疑を誡めていくのです。そしてそれを冒頭において端的に示したのが「冠頭讃」二首なのです。

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

ヤワラゲホメ

2016年12月28日 | 浄土和讃を読む

 ■親鸞聖人と和歌
  明日ありと 思う心の あだざくら
 夜半(よは)に嵐の 吹かぬものかは

これは親鸞聖人の出家得度にまつわる歌として広く知られています。すなわち、承安三年(一一七三)下級貴族の日野有範の子として生まれた親鸞聖人は、どういう事情があったのか定かではありませんが、九歳の春、叔父の日野範綱にともなわれて、後の天台座主・慈円を師として出家得度されたのでした。しかし慈円のもとに到着したとき、すでに日が暮れていたので、得度の儀式は明日にしようと申し出られました。そのとき九歳の親鸞聖人がこの歌を歌われたというのです。いまを盛りに咲いているこの桜の花も、今晩のうちに嵐が吹いたならば散っていく。わたくしはいま九歳ですが、それでもわたくしの命が必ず明日まであるという保障はどこにもありません。何とぞ今晩のうちに得度させてください。そういった意味の歌です。事(こと)の真偽はわかりませんが、そのように歌われたと伝えられています。
 それが九歳のときですから、九十歳でおかくれになるまで八十一年あります。その間、親鸞聖人が確実に歌われた歌というのはありません。「弥陀たのむ 心をおこせ みな人の かわり姿を見るにつけても」とか「越路なる あらちの山に 行きつかれ 足も血潮に 染めしばかりぞ」といった歌は親鸞聖人の作だといわれていますが、どうもあやしいものです。むしろ親鸞聖人は歌をお作りになることはなかったのではないかと考えられます。というのは、真宗高田派の本山である専修寺に親鸞聖人のメモが伝えられています。それは殺(せつ)生(しよう)・偸盗(ちゆうとう)・邪(じや)淫(いん)・妄語(もうご)・両舌(りようぜつ)・悪口(あつく)・綺(き)語(ご)・貪欲・瞋恚・愚痴、これを十悪といいます。その中の綺語というのは、まことのないかざった言葉ということですが、それについて親鸞聖人は「ウタヲヨミ、イロヘコトハヲイフ」としるされています。すなわち、歌を詠むことを十悪の一つの綺語に数えられているのです。ですから、親鸞聖人は歌をお作りになることがお好きではなかったのかもしれません。ただ、法然聖人や蓮如上人も歌をお作りになられていますから、別に歌を詠むことが悪いというのではありません。親鸞聖人はお好きではなかったのではないかということです。


 ■親鸞聖人と和讃
 親鸞聖人は歌をお作りになることはなかったけれども、そのかわり和讃と呼ばれるものをたくさんお作りになりました。
 和讃とは和語讃嘆の意味です。和語、すなわち日本語で、仏・菩薩やその教え、あるいは高僧の行実や遺徳を讃詠したものです。平安時代からはじまり、鎌倉時代に盛んになりました。親鸞聖人はこれをたくさんお作りになりました。皆様方もご存知のはずです。というのは、「正信偈」のおつとめで、「帰命無量寿如来」からはじまり「唯可信斯高僧説」でカネを鳴らし、念仏をはさんで、「弥陀成仏のこのかたは いまに十劫へたまへり……」と口にされるでしょう。その「弥陀成仏の……」というのが和讃です。七・五・七・五・七・五・七・五で一首と数えます。字余りや字足らずのものもありますが、親鸞聖人はこうした和讃をたくさんお作りになったのです。
 ここでお仏壇の扉を開けてみて下さい。そこに和讃箱というものがあることにお気づきでしょうか。御文章箱より小さめでもう少し厚い箱です。ふたを開けると、中に四冊の本が入っているはずです。『正信念仏偈』『浄土和讃』『高僧和讃』『正像末和讃』の四冊です。このうち『正信念仏偈』を除いた三冊を総称して三帖和讃といいます。『浄土和讃』と『高僧和讃』は一応親鸞聖人七十六歳のときの御製作、『正像末和讃』は八十六歳の御製作です。そしてこの中に三百五十三首の和讃があります。ほかにも、八十三歳のときにお作りになられた『皇太子聖徳奉讃』七十五首、八十五歳でお作りになられた『大日本国粟散王聖徳太子奉讃』百十四首の和讃があります。それらを合計すると五百四十二首に達します。和讃は親鸞聖人以外の人も作られています。例えば源信僧都も作られているのですが、これほどの数をお作りになったのは親鸞聖人だけです。和讃の歴史の上からいっても、親鸞聖人は群を抜いた存在なのです。

 ■ヤワラゲホメ
 先ほど和讃が和語讃嘆の意味であるといいましたが、親鸞聖人はまた、和讃について「ヤワラゲホメ」といわれています。和讃の和は和語の和であると同時に、やわらげるという意味ももっているといわれるのです。実際親鸞聖人の和讃は、親鸞聖人の独創で作られたものは少なく、ほとんどは材料があるのです。例えば『大無量寿経』などの経典とか、また龍樹菩薩の著された『易行品』などの論釈とか、それらを加工するような形で、やわらげられたものなのです。それでも難しいものは、文字の左側に左訓といいまして、やさしく意味を書かれているのです。どれほど親鸞聖人が一般の人々にも、わかりやすいようにと配慮されていたかが知られるのです。
 親鸞聖人が敬慕された兄弟子に、隆寛律師、聖覚法印という方がおられます。親鸞聖人は晩年、隆寛律師の書かれた『一念多念分別事』、聖覚法印の書かれた『唯信鈔』という書物をみずから書き写して、関東の門弟たちにこれをよく読みなさいと送られています。そしてまた、それらの書物のこころをやわらげて書かれた『一念多念文意』、『唯信鈔文意』といった書物も著されています。その二つの書物の最後の所に共通して次のような言葉が記されています。


ゐなかのひとびとの文字のこころもしらず、あさましき愚痴きはまりなきゆゑに、  やすくこころえさせんとて、おなじことをとりかへしとりかへし書きつけたり。こころあらんひとは、をかしくおもふべし、あざけりをなすべし。しかれども、ひとのそしりをかへりみず、ひとすぢに愚かなるひとびとを、こころえやすからんとてしるせるなり。

親鸞聖人はその当時の超エリート、最高レベルの学者でもあります。その親鸞聖人が一般の人にもわかりやすいようにと、やわらかくやわらかく書かれたのが先の書物であるということが知られます。親鸞聖人は高い所に立って下を見おろしていたのではなく、一緒に仏法を味わっていきましょうと、常に庶民の所に下りていかれたお方なのです。だからこそ人々は、親鸞聖人をお慕い申し上げずにおれないのでありましょう。

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

続・寂光土義の論文レジュメ(15)

2016年12月27日 | 法本房行空上人試考

(口頭発表時に時間の都合上で省略したものを加筆した)

最後に(六)「理念理解の誤解」、これは天台本覚思想と混同したものと考えます。十頁の③「天台本覚思想の特色」は絶対的一元論を説くことです。とくに浄土教においては「唯心の弥陀、己心の浄土」です。しかし④⑤、法然聖人も親鸞聖人も批判しています。そこで★、行空が法然の意に反して天台本覚思想の一元論によって、理観を説くはずがない。もしそうであれば、親鸞が『西方指南抄』に「行空」と記名することはありません。しかし⑥「無智者のための念仏」、下段の★、法然在世中、法然は念仏を無智の人に勧めたといった者がいたようである。その意底には念仏のほかに深遠な法があるという考えが透けて見える。『真如観』を見ると「我即真如」と観ずるほかに称名も説かれている。それをいったものかもしれません。また『四十八巻伝』によれば、「浄土甚深の秘義は天台円融の法門におなじ。これ此宗の最低なり」等といったものがいたようです。これについて★ 「天台円融の法門に同じ」とは天台本覚思想のことと思われる。それを法然の教えの奥義といっている。少し飛んで、こうした伝承から、天台本覚思想と混同し、「理念理解」といったのであろう。また★波線、天台本覚思想において三重七箇法門が整備された。そのなかの常寂光土義と混同したのであろうと思われます。
 こうして(七)「おわりに」、①「寂光土義の真相」はそこに記したようなものと考えられます。

信具の称名……常寂光土……報土……即成仏……殊勝、深
不信の称名……九品浄土……化土……方便か……初心の人

そして②「寂光土義の意義」、行空は伝道者として人々に救済を説くにあたり、安心門を徹底して信を強調し、最高の浄土に生まれ、さらなる修行を要とせず、即成仏するという完全なる仏道を示した。それは素朴な形で法然の浄土宗義を深化させたもので、これまで邪道視されてきた行空が実は親鸞の先駆であったと考えられる。ゆえに『西方指南抄』に「行空」の名があるのであろう。最後に主張したいのは、少なくとも真宗に流れを汲むものは邪義を唱えたとする行空観を改めるべきであるということです。以上。

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

続・寂光土義の論文レジュメ(14)

2016年12月26日 | 法本房行空上人試考

(口頭発表時に時間の都合上で省略したものを加筆した)

(五)「唯一の成仏道」、①「往生即成仏」、「分得」「分生」の義において常寂光土への往生が許されているが、その主とするところは妙覚の所居であるから、行空が「寂光土の往生」といったとき、最高の浄土であると同時に即成仏することを見据えていたのではなかろうか。しかし②「往生と成仏」、飛びまして最後の行の★、往生と成仏を分け、往生して即時に成仏するとは誰も語りません。八頁の③「往生後の階位」、隆寛は初住、幸西は初地といいます。これは円教と別教の違いです。そして證空は等覚とします。ただし無上の証果と見る方もおられます。そこで★、證空は微妙であるが、明確に往生即成仏を語るのは親鸞のみであり、親鸞の己証といわれてきた。行空も説いたとすれば、その先駆といえる。ただ初地とするのが常識であろう。そうすると初地から妙覚まで段階があることになります。それについて④「他力の断証」、飛びまして下段の★、隆寛は「自然依入の徳」として他力の断証と説いている。それはとくに『往生要集』の「仏道増進楽」を承けると思われるが、「とりあえず往生すれば」ということになり、なお寓宗的浄土教の余薫がある。そこへ即成仏を語ると、念仏による究極の成仏道となって、寓宗的浄土教から完全に脱却することができます。そして⑤「機教相応」、飛びまして九頁上段の★、機教不相応の聖道門に対して浄土門は機教相応し、万機を摂するうえに、成仏道であるとすれば、唯一無二の一乗法となり、真に極善最上の法と顕彰することになります。そうすると聖道門をどう見るかが問題になります。それについて下段の★、行空は伝道者として安心門の廃立義を徹底し、われわれにとって唯一の成仏道は浄土門のほかにないと説いた。それは必然的に聖道門を否定することになる。そこに暫用還廃の方便の意味を見ていたかどうかはわからない。いずれにせよ聖道門の人に向かって説いたのではないであろう。「七箇条制誡」に署名しているからである。「不可思議の愚癡無智の尼入道」に説いただけと考えられる。しかしそれが誤解を招いたようです。次の波線、興福寺より名指しで訴えられるに至りました。そして次の波線、法然は「殊に不当」として行空を破門している。それは、やむなくの措置であり、名目上であろう。翌年、承元(建永)の法難で行空は法然門下として佐渡に流罪になっているからです。つぎの★は、行空の破門が浄土門を唯一の成仏道と立てたところに非難が集中したからであろうということです。なお⑦「摂取不捨曼荼羅」は天岸先生がどうだろうかとおっしゃられていたのですが、いちおういまでも行空破門の理由の一つだと思っていますので、記しておきました。

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

続・寂光土義の論文レジュメ(13)

2016年12月25日 | 法本房行空上人試考

(口頭発表時に時間の都合上で省略したものを加筆した)

そこで(四)「行空上人の意図」、①「行空の立場」、少し飛びまして★、行空は法然の教えを「不可思議の愚癡無智の尼入道」に弘めた伝道者の性格が濃いと考えられます。②「行空の理念」は波線、法然聖人の「極悪最下の人のために極善最上の法を説く」にあったと考えます。それは★、因が極善最上の法であるなら、果もまた極善最上でなければならない。すなわち最高の浄土である。行空は伝道者として「不可思議の愚癡無智の尼入道」に最高の浄土に生まれると説いていったものと思われます。③「最高の浄土」、『大経』や善導によって示されていますから、六頁上段の★、最高の浄土であることをいうために「常寂光土」の語を用いたと考えられます。しかし常寂光土は往生・来生を絶した法身の所居でした。どうして往生といえるかという問題があります。そこで④「常寂光土の浄穢」、『天台観経疏』をよく見てみますと波線、四土に浄穢があるとし、常寂光土の浄穢を「分得」と「究竟」としています。少し飛びまして★、常寂光土は「究竟」に重点があるが、「分得」を許しています。⑤「常寂光土の三品」、『維摩経文疏』を見ましても、最後の行の波線、二説を出していて、下段です。第一説は波線、常寂光土に上・中・下の三種を示しています。第二説は波線、常寂光土において分生の義があるとします。少し飛びまして波線、第二説を第一説に合わせれば、円教の初住以上を下の常寂光土、等覚を中の常寂光土、妙覚を上の常寂光土となります。そこで★、下品・中品は、「分生の義有り」といい、「分に真寂の理を見るは名けて常寂光土に生ず」といって、生を許している。そして問答がもうけられている。要約していえば、実報無障礙土には往生・来生があり、常寂光土にはそれがないが、行位が同じであるから、実報無障礙土に生ずというように、常寂光土に生ずといったまでで、それは不生のままの生である。そこで行空が「寂光土の往生」といっても、一概に常識を破った破天荒な義とはいえない。ただし常寂光土は本来、不生不生であるから隆寛や幸西は常寂光土とまでいえなかったのです。では行空はどうしていえたか。⑥「行空の論理の推察」、法然聖人の法語から、七頁上段の★、教は「頓中の頓」であり、行は「大利無上」であり、信によって「無為涅槃界」「涅槃の城」に入る。それは最高の浄土であるということをあらわずために「寂光土の往生」と語ったのであろう。極善最上の果となります。

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

続・寂光土義の論文レジュメ(12)

2016年12月24日 | 法本房行空上人試考

(口頭発表時に時間の都合上で省略したものを加筆した)

次に(三)「常寂光土とは」、①「行空の特徴」はその真実報土を常寂光土といったことにあります。②「常寂光土の典拠」は『観普賢菩薩行法経』です。③それによって天台では四土説を立てます。凡聖同居土、方便有余土、実報無障礙土、常寂光土です。④「四土と三身」、『維摩経文疏』はその関係について、四頁★、前二国(凡聖同居土と方便有余土)は応身仏、果報国(実報無障礙土)は報身仏、常寂光土は法身仏と配されています。そのなかで⑤「常寂光土の規定」、少し飛びまして波線、常寂光土は妙覚仏の究極の智慧が照らす真理を国と名づけたにすぎない。国といっても真理です。『天台観経疏』では波線、「常寂光」の三字を法身・解脱・般若という仏の三徳に配しています。飛びまして★、つまり常寂光土とは、妙覚仏、法身の居する所であり、仏の自境界です。そこで下段⑥の★、往生・来生を論じない絶対浄土であることが示されています。⑦「法然門下と四土」、善導は波線、周知のごとく阿弥陀仏の浄土を報土と判じました。それを隆寛や幸西は実報無障礙土と見ているようです。五頁上段の★、阿弥陀仏の浄土が報土であるなら、報土を感得するのは初地以上の菩薩であることは常識である。またすでに『維摩経文疏』に果報国(実報無障礙土)は報身の所居とされていた。隆寛・幸西は智顗が凡聖同居土と判じたのを実報無障礙土へ引き上げたといえるが、常寂光土までいわないのはこの常識にしたがっていることになる。つまり常識の域を出ません。ただ證空には常寂光土に触れるところがあり、親鸞聖人は『平等覚経』によって「無量光明土」といわれています。これは証果観からですが、梯和上も天岸先生も常寂光土に相当するといわれています。そうすると下段の★、親鸞聖人と行空は相似している。ただし常識を超えています。

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

続・寂光土義のレジュメ(11)

2016年12月23日 | 法本房行空上人試考

(口頭発表時に時間の都合上で省略したものを加筆した)

まず(二)「体の浄土とは」、①「真実報土」、隆寛・幸西・證空・親鸞、とくに幸西・親鸞は九品の差別のある浄土を「化土」といっている。それが相の浄土であるなら、体の浄土は真実報土となる。まして信具の称名(他力の念仏)を因とするのであるから、なおさらです。その真実報土は②「願心荘厳」、阿弥陀仏の本願によって建立された浄土です。そこで③「九品平等」、法然聖人の法語を示しました。

『西方指南抄』巻下本「十一箇条問答」
極楽の九品は弥陀の本願にあらず。四十八願の中になし、これは釈尊の巧言なり。善人・悪人一処にむまるといはば、悪業のものども、慢心をおこすべきがゆへに、品位差別をあらせて、善人は上品にすすみ、悪人は下品にくだるなりと、ときたまふなり。いそぎまいりてみるべし。(『真聖全』四・二一四頁)

★真実報土が願心荘厳なら、九品の差別はない。四十八願のなかに九品をもうけるとは誓われていないからである。したがって「善人・悪人一処にむまる」九品平等である。「いそぎまいりてみるべし」はその自信のあらわれといえよう。それは、飛びまして、『論註』巻下

往生を願ずるもの、本(もと)は三三の品なれども、今は一二の殊なりなし。(『七祖篇』一二一頁)

という証果観と一致します。④「法然門下の見解」、三頁上段の★、みな真実報土に九品の差別がないとする。もとは『論註』によるが、直接的には法然の「十一箇条問答」の法語にもとづくと考えられる。行空もこれによって相の浄土に対して体の浄土を立てたのであろう。九品平等の浄土です。⑤「その所顕」は★、真実報土への生因となる行法は、阿弥陀仏がその本願において選択された念仏のほかにない。因が一つであれば、果もまた一つとなる。平等の証果である。そして下段の★、果に差別が立つのは因が千差であるからである。つまり九品の差別のない浄土、一味平等の果をいうのは、諸行往生を許さないということになる。行空は過激な廃立を用いたと考えられる。諸行を許さなかったのはいうまでもないであろう。次の★、そこで諸行を廃して他力念仏一つを勧めた。その浄土は九品の差別のない浄土でなければならない。それが真実報土であり、相の浄土に対する体の浄土です。

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

続・寂光土義の論文レジュメ(10)

2016年12月22日 | 法本房行空上人試考

(口頭発表時に時間の都合上で省略したものを加筆した)

 法本房行空上人というのは法然聖人の高弟の一人で、親鸞聖人の兄弟子に当たります。法然門下では成覚房幸西とともに一念義の代表的人物として知られています。しかし鎮西派からは背師自立の邪義を唱えたと評されてきました。それは真宗においても同じなのです。そこで(一)「はじめに」、①「研究の目的」はその名誉回復にあります。今回は前回に引き続いて、寂光土義を取り上げます。⑤に示しているものです。『末代念仏授手印』でいえば、

或る人の云く、寂光土の往生、尤も是れ殊勝也。称名往生は是れ初心の人の往生也。其の寂光土往生は尤も深き也。(『浄全』一○・一一頁)

というものです。そして鎮西派の良心や妙瑞が釈したものを図示したのがその下段の図です。

    体の浄土……深遠……理念理解

 極楽                        念仏 

    相の浄土……浅近……称念称名

いちおう構造としてはこれでいいと思います。ただし⑨の波線、念仏に「理念理解」と「称念称名」を立てるのは、実際は信具の称名(他力の念仏)と不信の称名(自力の念仏)のこと、相の浄土は辺胎の土、とくに九品の差別のある浄土のことと考えられます。そこで⑩「今回の課題」、相の浄土に対する体の浄土と、良心・妙瑞が「理念理解」といったことについて考察したいと思います。

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

続・寂光土義の論文レジュメ(9)

2016年12月21日 | 法本房行空上人試考

⑥【無智者のための念仏】
・『西方指南抄』巻中末「二位の禅尼に答ふる書」
    まづ念仏を信ぜざる人々の申候なる事、くまがへの入道・つのとの三郎は無智のものなればこそ、余行をせさせず、念仏ばかりおば、法然房はすゝめたれと申候なる事、きわめたるひがごとにて候也。(『真聖全』四・一六九頁)
・『拾遺語灯録』巻中「津戸三郎へつかはす御返事」
    無智の人にこそ、機縁にしたがひて念仏をばすゝむる事にてはあれと申候なる事は、もろもろの僻事にて候。(『真聖全』四・七三三頁)

★法然在世中、法然は念仏を無智の人に勧めたといった者がいたようである。その意底には念仏のほかに深遠な法があるという考えが透けて見える。『真如観』を見ると「我即真如」と観ずるほかに称名も説かれている。それをいったものか。

・『四十八巻伝』第四十六
    こゝにある学者、上人の門弟と号して云、浄土甚深の秘義は天台円融の法門におなじ。これ此宗の最低なり。又密々の口伝あり。金剛宝戒これなり。善導の雑行を制して、専修をすゝめ給は、暫初心の行人のためなり。さらに実義にあらず。これすなはち上人の相伝なりと〔云云〕(『法伝全』二九七~二九八頁)

★「天台円融の法門に同じ」とは天台本覚思想のことと思われる。それを法然の教えの奥義といっている。しかも称名を「初心の行人のためなり」とは寂光土義の「称名往生は是れ初心の人の往生也」とあるのに通ずる。こうした伝承から、天台本覚思想と混同し、「理念理解」といったのであろう

天台本覚思想において三重七箇法門が整備された。一心三観、一念三千、止観大旨、法華深義の広伝四箇の大事と、法華深義から開かれた蓮華因果、円教三身、常寂光土の略伝三箇の大事である。そのなかの常寂光土と混同したのであろう

(七)おわりに

①【寂光土義の真相】
信具の称名……常寂光土……報土……即成仏……殊勝、深
不信の称名……九品浄土……化土……方便か……初心の人

②【寂光土義の意義】
行空は伝道者として人々に救済を説くにあたり、安心門を徹底して信を強調し、最高の浄土に生まれ、さらなる修行を要とせず、即成仏するという完全なる仏道を示した。それは素朴な形で法然の浄土宗義を深化させたもので、これまで邪道視されてきた行空が実は親鸞の先駆であったと考えられる。ゆえに『西方指南抄』に「行空」の名があるのであろう。最後に主張したいことは、少なくとも真宗に流れを汲むものは行空観を改めるべきであるということである。

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

続・寂光土の論文レジュメ(8)

2016年12月20日 | 法本房行空上人試考

(六)理念理解の誤解

①【天台本覚思想の研究史】
  (略)
②【天台本覚思想の展開史】
    (略)
③【天台本覚思想の特色】
絶対的一元論
    「唯心の弥陀、己心の浄土」「我即真如」「生死即涅槃」「煩悩即菩提」「名字即の成仏」等

④【法然と天台本覚思想】
・『和語灯録』巻五「百四十五箇條問答」
    この真如観はし候べき事にて候か。
    答。これは恵心のと申て候へども、わろき物にて候也。おほかた真如観をば、われら衆生は、えせぬ事にて候ぞ、往生のためにもおもはれぬことにて候へば、無益に候。(『真聖全』四・六四五頁)
『真如観』を批判

・『西方指南抄』巻上末「法然聖人御説法事」
    しかるに今この経(=観経)は往生浄土の教也。即身頓悟のむねおもあかさず。歴劫迂回の行おもとかず、娑婆のほかに極楽あり、わが身のほかに阿弥陀仏ましますと説て、この界をいとひてかのくにゝ生じて、無生忍おもえむと願ずべきむねを明(あかす)也。(『真聖全』四・一二一頁)
二元論に立ち本覚思想を批判

⑤【親鸞と天台本覚思想】
・「化身土文類」本
    おほよそ一代の教について、この界のうちにして入聖得果するを聖道門と名づく。(中略)安養浄刹にして入聖証果するを浄土門と名づく。(『註釈版』三九四頁)
・「真仏土文類」
    惑染の凡夫、ここにして性を見ることあたはず、煩悩に覆はるるがゆゑに。(中略)安楽仏国に到れば、すなはちかならず仏性を顕す。本願力の回向によるがゆゑに。(『註釈版』三七一頁)
・「信文類」別序
    しかるに末代の道俗、近世の宗師、自性唯心に沈みて浄土の真証を貶す。(『註釈版』二○九頁)
二元論に立ち本覚思想を批判

→ただし、法然も親鸞も天台本覚思想の影響を受けていると考えられる点が見られる。「はじめて」「もとより」等。

行空が法然の意に反して天台本覚思想の一元論によって、理観を説くはずがない。もしそうであれば、親鸞が『西方指南抄』に「行空」と署名することはない

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

続・寂光土義の論文レジュメ(7)

2016年12月19日 | 法本房行空上人試考

⑥【聖道門観】
・法然『選択集』二門章
    道綽禅師、聖道・浄土の二門を立てて、聖道を捨ててまさしく浄土に帰する文。(『七祖篇』一一八三頁)
・法然『選択集』三選の文
    はかりみれば、それすみやかに生死に離れんと欲はば、二種の勝法のなかに、しばらく聖道門を閣きて選びて浄土門に入るべし。(『七祖篇』一二八五頁)
・法然『選択集』三輩章……廃助傍の三義
    初めの義はすなはちこれ廃立のために説く。いはく諸行は廃せんがために説く、念仏は立せんがために説く。(中略)いまもし善導によらば、初め(廃立)をもつて正となすのみ。(『七祖篇』一二二○頁)
機教不相応の聖道門(行体は諸行)は捨てもの

・『拾遺語灯録』巻上「浄土随聞記」
    明らかに知んぬ、念仏往生の外、皆方便の説と為ることを。『真聖全』四・七○○頁)
・幸西『玄義分抄』
    故に聖道は方便也。(梯 實圓氏『玄義分抄講述』付録・四五八頁)
聖道方便説を立てている。

★行空は伝道者として安心門の廃立義を徹底し、われらにおいて唯一の成仏道は浄土門のほかにないと説いた。それは必然的に聖道門を否定することになる。そこに暫用還廃の方便の意味を見ていたかどうかはわからない。いずれにせよ聖道門の人に向かって説いたのではないであろう。「七箇条制誡」に署名しているからである。「不可思議の愚癡無智の尼入道」に説いただけと考えられる。しかしそれが誤解を招いた。

・『三長記』元久三年(一二○六)二月二十二日条
    一弟中の安楽・法本、此の両人に於ては、偏執、傍輩に過ぐるの由、その聞こへ有り。罪科に行はるべき也。(『増補史料大成』三一・一七六頁)
→興福寺より名指しで訴えられるに至った。
→興福寺は五姓各別を説く。万人の成仏は許せなかった。

・『三長記』元久三年(一二○六)二月三十日条
    行空に於ては殊に不当なるに依りて、源空上人、一弟を放ち了んぬ。(『増補史料大成』三一・一八三頁)
→法然は「殊に不当」として行空を破門している。それは、やむなくの措置であり、名目上であろう。翌年、承元(建永)の法難で行空は法然門下として佐渡に流罪になっている。

★ただ安楽(=遵西)も「偏執、傍輩に過ぐる」といわれているのに、行空のみ破門したのは、浄土門を唯一の成仏道と立てたところに非難が集中したからであろう。「殊に不当」は造悪を許したからではない。もしそうであれば、親鸞が『西方指南抄』に「行空」と署名をするはずがない。拙稿「法本房行空上人と造悪無碍」(『龍谷教学』四八、二○一三年)

⑦【摂取不捨曼荼羅】
・『興福寺奏状』
    第二に新像を図する失。(『岩波日本思想大系一五、鎌倉旧仏教』三三~三四頁)
・梯 實圓氏『法然教学の研究』(永田文昌堂、一九八六年)
    『興福寺奏状』などが、特に一念義系のものの思想と行動に焦点をしぼって論難し、告発しているのも、(四五一頁)
    法然を一念義とみなし、一念義を主たる対象としてこの奏状が書かれていることがうかがわれる。(四八七頁)
★行空破門の理由はこれを発案あるいは積極的に用いたことにもあったか。

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

続・寂光土義の論文レジュメ(6)

2016年12月18日 | 法本房行空上人試考

③【往生後の階位】
・『大経』『小経』『論註』
    正定聚、阿鞞跋致とする。
・善導『法事讃』巻上
    他方の凡聖、願に乗じて往来す。かしこに到りぬれば、殊なることなく斉同に不退なり。(『七祖篇』五○八頁)
・善導『法事讃』巻下
    九品とみに回して不退を得よ。(『七祖篇』五六三頁)
・善導『般舟讃』→(法然・行空は見ていない)
    一たび〔浄土に〕入りぬれば不退にして菩提に至る(『七祖篇』七四三頁)
・『西方指南抄』巻上末「法然聖人御説法事」
    浄土者(は)まづこの娑婆穢悪のさかひをいで、かの安楽不退のくにゝむまれて、(『真聖全』四・一一九頁)
・隆寛、幸西
    初住(円教の所談)、初地(別教の所談)、前述のごとし。
・證空『定散料簡義』
    当得往生、是は発三心の上の益を顕はす。捨命の後、正に見仏聞法して即悟無生する時、(中略)仏も衆生も不二一体にして、遙に凡聖の境を超へ、色身の都を出でて等覚の眠を醒ます位なり。(森英純氏編『西山上人短篇鈔物集』七一頁。ただしこの一段は定散料簡義と別のものと思われるといわれている)
→これをもって等覚とするのは那須一雄氏「法然門下の『往生』理解─特に浄土往生後の菩薩の階位の問題を中心として─」(『印仏研』五八─一、二○○九年)による。しかし石田充之氏『法然上人門下の浄土教学の研究』上巻・三六九頁には「無上の証果」といわれている。
・凝然『浄土法門源流章』證空の項
    既に是れ同一念仏の所生なり。自余の諸善雑行に由らず。如来の出世成道説法は凡夫を度し浄土に生ぜしめて直爾に無上菩提を得せしめんが為なり。(『浄全』一五・五九七頁)
・親鸞「証文類」
    つつしんで真実の証を顕さば、すなはちこれ利他円満の妙位無上涅槃の極果なり。(『註釈版』三○七頁)
・親鸞「信文類」末
    念仏の衆生は横超の金剛心を窮むるがゆゑに、臨終一念の夕べ、大般涅槃を超証す。(『註釈版』二六四頁)
・親鸞『浄土和讃』「大経讃」
    念仏成仏これ真宗(『註釈版』五六九頁)

證空は微妙であるが、明確に往生即成仏を語るのは親鸞のみであり、親鸞の己証といわれてきた。行空も説いたとすれば、その先駆といえる。ただ初地とするのが通説であろう。そうすると初地から妙覚まで段階があることになる。

④【他力の断証】
・龍樹「易行品」
    かの国のもろもろの衆生、その性みな柔和にして、自然に十善を行ず。(『七祖篇』一七頁)
・善導『往生礼讃』日中讃
    かしこに到り華開けて妙法を聞けば、十地の願行自然に彰る。(『七祖篇』七○二頁)
・源信『往生要集』巻上・欣求浄土・増進仏道楽
    かの極楽国土の衆生は、多くの因縁あるがゆゑに、畢竟じて退せずして、仏道に増進す。(中略)もろもろの衆生において大悲心を得、自然に増進して、無生忍を悟り、究竟してかならず一生補処に至り、乃至、すみやかに無上菩提を証す。(『七祖篇』八八五~八八六頁)

・『西方指南抄』巻下末「念仏大意」
    まづ弥陀の願力にのりて、念仏の往生をとげてのち、浄土にして阿弥陀如来・観音・勢至にあひたてまつりて、もろもろの聖教おも学し、さとりおもひらくべきなり。(『真聖全』四・二二四頁)
・『西方指南抄』巻下末「要義問答」
    とくとく安楽の浄土に往生せさせおはしまして、弥陀・観音を師として、法華の真如実相平等の妙理、般若の第一義空、真言の即身成仏、一切の聖教、こゝろのまゝにさとらせおはしますべし。(『真聖全』四・二五四~二五五頁)
・『西方指南抄』巻中末「四箇条問答」
    蓮台に詫して、往生已後の増進仏道をもて用とす。これは極楽にての事也。(『真聖全』四・一三○頁)

・隆寛『極楽浄土宗義』巻中
    次位を論ずと雖も、永く瓔珞経等に異なり、彼は自力の断証を説く、此は他力の断証を明かす故也。(平井正戒氏『隆寛律師の浄土教』遺文集・二五頁)
→「自然依入の徳」として他力による断証とする。

とくに『往生要集』の「仏道増進楽」を承けると思われるが、「とりあえず往生すれば」ということになり、なお寓宗的浄土教の余薫がある。そこへ即成仏を語ると、念仏による究極の成仏道となって、寓宗的浄土教から完全に脱却する

⑤【機教相応】
・弁長『徹選択集』上
    予(=法然)が如きは、已に戒定慧三学の器に非ず。(『浄全』七・九五頁)
・『四十八巻伝』第六・(大原談義)
    大原にして、聖道浄土の論談ありしに法門は牛角の論なりしかども、機根くらべには、源空かちたりき。聖道門は、ふかしといへども、時すぎぬれば、いまの機にかなはず、浄土門はあさきに似たれども、当根にかなひやすし。(『法伝全』二八頁)
・『西方指南抄』巻上本「法然聖人御説法事」
    おほよそ諸宗の法門浅深あり、広狭あり。すなわち真言・天台等の諸大乗宗はひろくしてふかし、倶舎・誠実等の小乗宗はひろくしてあさし。この浄土宗は、せばくしてあさし。しかればかの諸宗はいまのときにおいて機と教と相応せず、教はふかし機はあさし、教はひろくして機はせばきがゆへなり。たとへば、韻たかくしては、和することすくなきがごとし。またちゐさき器に、大なるものをいるゝがごとし。たゞこの浄土の一宗のみ、機と教と相応せる法門なり。かるがゆへにこれを修せば、かならず成就すべきなり。しかればすなわちかの不相応の教においては、いたはしく身心をついやすことなかれ、たゞこの相応の法に帰してすみやかに生死をいづべきなり。(『真聖全』四・三六~三七頁)
→法然が焦点を合わせていたのは機の問題であり、その機と相応する法門を求めた。それが浄土門であった。

・『西方指南抄』巻下本「十一箇條問答」
    十方衆生の願のうちに、有智・無智・有罪・無罪・善人・悪人・持戒・破戒・男子・女人、三宝滅尽ののち百歳までの衆生、みなこもれるなり。(『真聖全』四・二一七頁)
・『西方指南抄』巻下末「津戸三郎に答ふる書」
    十方衆生のために、ひろく有智・無智・有罪・無罪・善人・悪人・持戒・破戒、たふときもいやしきも、男も女も、もしは仏在世、もしは仏滅後の近来の衆生、もしは釈迦の末法万年ののち、三宝みなうせての時の衆生まで、みなこもりたる也。(『真聖全』四・二五五頁)
→浄土門は万機普益の法である。

機教不相応の聖道門に対して浄土門は機教相応し、万機を摂するうえに、成仏道であるとすれば、唯一無二の一乗法となり、真に極善最上の法となる

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

続・寂光土義の論文レジュメ(5)

2016年12月17日 | 法本房行空上人試考

(五)唯一の成仏道

①【往生即成仏】
・智顗『維摩経文疏』巻一
    四には常寂光土、即ち究竟妙覚の居する所也。(『続蔵経』一八・四六六頁上)
→「分得」「分生」の義において常寂光土への往生が許されているが、その主とするところは妙覚の所居であるから、行空が「寂光土の往生」といったとき、最高の浄土であると同時に即成仏することを見据えていたのではなかろうか。

②【往生と成仏】
・『大経』第十一願文および成就文
    たとひわれ仏を得たらんに、国中の人天、定聚に住し、かならず滅度に至らずは、正覚を取らじ。(『註釈版』一七頁)
    それ衆生ありて、かの国に生るるものは、みなことごとく正定の聚に住す。ゆゑはいかん。かの仏国のなかにはもろもろの邪聚および不定聚なければなり。(『同』四一頁)
・『観経』上品上生段
    かの国に生じをはりて、仏の色身の衆相具足せるを見、もろもろの菩薩の色相具足せるを見る。光明の宝林、妙法を演説す。聞きをはりてすなはち無生法忍を悟る。須臾のあひだを経て諸仏に歴事し、十方界に遍して、諸仏の前において次第に授記せらる。本国に還り到りて無量百千の陀羅尼門を得。(『註釈版』一○九頁)
・『小経』依正段
    極楽国土には、衆生生ずるものはみなこれ阿鞞跋致なり。そのなかに多く一生補処あり。その数はなはだ多し。これ算数のよくこれを知るところにあらず。ただ無量無辺阿僧祇劫をもつて説くべし。(『註釈版』一二四頁)
・龍樹・天親は略す。
・曇鸞『論註』巻上
    「易行道」とは、いはく、ただ信仏の因縁をもつて浄土に生ぜんと願ずれば、仏願力に乗じて、すなはちかの清浄の土に往生を得、仏力住持して、すなはち大乗正定の聚に入る。(『七祖篇』四七頁)
・善導『観経疏』「玄義分」
    第五に別時意を会通すといふはすはなちその二あり。(『七祖篇』三二一頁)
成仏別時意と往生別時意を分けている。
・善導『往生礼讃』前序
    前念に命終して後念にすなはちかの国に生じ、長時永劫につねに無為の諸楽を受く。すなはち成仏に至るまで生死を経ず。(『七祖篇』六六○~六六一頁)
・法然『選択集』後述
    名を称すれば、かならず生ずることを得。仏の本願によるがゆゑなり。(『七祖篇』一二八五頁)
→法然教学の帰結。必得生しか語らない
・醍醐本『法然上人伝記』
    或る人問ひて云ふ、真言の阿弥陀供養法、是れ正行なるべきや。云何。
    答ふ、然るべからず。(中略)彼は成仏の教也、此は往生の教也。(『法伝全』七七八頁)
→浄土宗を即身成仏の教に対して往生の教と規定している。

往生して即時に成仏するとは誰も語らない

コメント
この記事をはてなブックマークに追加