天上の月影

勅命のほかに領解なし

天台の常寂光土(8)

2016年10月31日 | 法本房行空上人試考

         四

 智顗の常寂光土観は前に述べたように『維摩経文疏』二十八巻において多角的に詳しく論じられている。隋の第二代皇帝・煬帝(五六九~六一八)の求めに応じて、みずからの講説を弟子に筆記せしめて監修した、最晩年の著作である。『維摩経玄疏』六巻とともに一双の書とされ、智顗の最晩年の思想を知るうえでたいへん価値の高いものである。全体の二十五巻までが智顗の講述で、二十六巻以降はその没後に弟子の潅頂(五六一~六三二)が補作して二十八巻となっている。もっとも『維摩経文疏』は後に荊渓湛然(七一一~七八二)が『維摩経略疏』十巻という略抄本を著したため、次第にこちらのほうが多く用いられるようになった。近年の日本においても、たとえば神子上恵龍氏は「天台の弥陀浄土観を述ぶるものとしては、『維摩経略疏』巻一を挙げねばならぬ」といい、『略疏』のほうを天台の仏土観をうかがう資料として引用されている(1)。しかし智顗の思想を知るためには智顗の真撰によらねばならないのはいうまでもないであろう。常寂光土についても同様である。田村完爾氏によれば、『文疏』には常寂光土を示す語が「管見の及ぶ限り百二十箇所以上見られる」といわれている。そしてそのなかから十四文を掲げて検討されている(2)。今はそれによって行空の寂光土義に関連すると思われる文を取り上げて考察してみることにする。

(1)神子上恵龍氏『弥陀身土思想の展開』(永田文昌堂、一九五○年)三一八頁。
(2)田村完爾氏「天台教学における国土観の一考察」(『印度学仏教学研究』五一─二、二○○三年)、なお同氏「常寂光土について─天台智顗の解釈を中心に─」(『宗教研究』七二─四、一九九四年)では九文について略述されている。

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天台の常寂光土(7)

2016年10月30日 | 法本房行空上人試考

 その伝道のためには、まず法然の教学を正確に領解しておかねばならない。そして法然が偏依した善導の著作を研究しておらねばならない。たとえば證空はその門下の円空立信(一二一三~一二四八)が「先師上人(=證空)稽古のはじめは、方丈の室内の四方の壁、天井などに、この四巻の御疏(=『観経疏』)を書き充てて、臥しては天井を見、座しては四方を見て、三ヶ年の間、寝食をわすれて料簡したまへり(1)」と伝えている。親鸞(一一七三~一二六二)も後の加筆はあるにせよ、吉水時代に『観無量寿経集註』『阿弥陀経集註』という、両経を写した経文の行間や上下の欄外や紙背に善導の著述を中心にして研鑽した著作を遺している(2)。おそらく行空も入室当初は同じであったであろう。その善導の著述のなかでも證空が寝食を忘れて料簡したという『観経疏』は「古今楷定の疏」とも呼ばれる。古今の諸師の『観経』解釈をただし、『観経』の真意を明らかにしたものである。それを領解するためには背景にある古今の諸師の解釈も見なければならない。そのうちの古師は浄影寺慧遠(五二三~五九二)や嘉祥寺吉蔵(五四九~六二三)であることは間違いないが、智顗が入っているかどうかは微妙である。既に述べたように智顗の『観経疏』は偽書であるからである。善導の時代にそれが智顗の真撰として流布していたかどうか断定できない。ただ日本では最澄(七六七~八二二)が延暦二十四年(八○五)に著した『伝教大師将来目録(台州録)』に「観無量寿経疏一巻〔智者大師出〕〔二十四紙〕(3)」とあるのをはじめとして、智顗の撰述として入ってきたから、善導が楷定する古師の一人として扱われてきたのである。そこで法然門下は当然、この書も研究したであろう。とくに行空は寂光土という語を用いているから、この書の影響を多分に受けていると思われる。それで『維摩経文疏』より先にこの書を取り上げたのである。そこでは常寂光土にも浄穢があり、妙覚位の仏が居する処としての浄土が主であるが、「分証」「分得」の菩薩も許している。それをもって行空は、本願力によって念仏する者は報土に往生するが、その報土は初地以上の菩薩の感得する処であるから、常寂光土の穢土にも相当すると見て、民衆に最高の常寂光土に往生すると説いたのであろう。ただしそれは常寂光土への道を開いたのであり、真意は妙覚位の仏の居する処と見ていたのであるまいか。「極善最上の法」による果であるからである。

(1)円空立信『観経疏深草抄』巻三・四二左。また『深草教学』一五(一九九五年)一四○~一四一頁に翻刻されている。
(2)『定本親鸞聖人全集』七、『親鸞聖人真蹟集成』七、所収。なお、小川貫弌氏「観阿弥陀経集註について」(『印度学仏教学研究』九─一、一九六一年)は製作年時について「東国の経廻から帰洛に近いころの製作ではあるまいかと思う」といわれ、石田瑞麿氏「親鸞における初期の己証」(『南都仏教』三五、一九七五年)は「『観経小経集註』にはかなり法然の考え方とは離れたものがあって、それが法然門下での自修時代になるものと推定することを躊躇させる」といい、結論としてその成立は「越後在住ないしは関東に移住した初期のころを想定するのが穏当ではないかと考えられる」といわれている。
(3)『伝教大師将来目録(台州録)』(『大正新脩大蔵経』五五・一○五六頁下)

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天台の常寂光土(6)

2016年10月29日 | 法本房行空上人試考

 行空は法然門下のなかで伝道の最前線にいた。法然の開いた浄土宗の教えを民衆に伝え弘めていたのである。慈円(一一五五~一二二八)の『愚管抄』には「又建永の年、法然房と云(いふ)上人ありき。まぢかく京中をすみかにして、念仏宗と号して、(中略)不可思議の愚癡無智の尼入道によろこばれて」等とある(1)。その法然の手足となって伝道していたのが行空であったのである。それは法然に仮託された偽書である『金剛宝戒章』「秘決章」からもうかがわれる(2)。その対象は慈円の言葉でいえば、「愚癡無智の尼入道」であったと考えられる。九条兼実(一一四九~一二○七)の『玉葉』や藤原定家(一一六二~一二四一)の『明月記』にはいっさい名が出てこないからである。ただ三条長兼(生没年不詳)の『三長記』にその名が見えるのみである。しかしそれも興福寺から法然および行空等の門下を訴えてきたとき、蔵人頭・左中弁であったので、その対応に当たらねばならなかったからにほかならず、もしその地位でなければ名を記すことはなかったかもしれない。つまり行空は貴族たちに伝道していたのではなく、民衆に向かって本願の念仏を説いていたのである。その点、證空(一一七七~一二四七)は『玉葉』や『明月記』に名が見え、貴族公卿等に多くの信徒を有していたのと対照的である(3)。それはともあれ、本願の念仏は「極悪最下の人のために極善最上の法を説くもの(4)」であった。極善最上の法が因であるならば、果もまた極善最上でなければならない。そこで行空は民衆に対して最高の常寂光土に往生すると説いたのであろう。

(1)『愚管抄』巻第六(『岩波古典文学大系八六 愚管抄』二九四頁)
(2)拙稿「法本房行空上人の教学試考─とくに寂光土義をめぐって(その一)─」(『行信学報』二九、二○一六年)
(3)中沢見明氏『真宗源流史論』(法蔵館、一九五一年)一二八~一三三頁参照。
(4)『選択集』讃歎念仏章(『浄土真宗聖典 七祖篇〈註釈版〉』一二五八頁)。同じことが『漢語灯録』巻二「観経釈」(『真宗聖教全書』四・三四九頁)にも出ている。行空は『選択集』を付属されていないから、「観経釈」によったと思われるが、この部分は『選択集』からの挿入と見て間違いないであろう。それが法然の検閲を受けたものかどうかは明らかでない。しかし門弟が恣意に文を加えることはないであろう。また直弟の長西の『浄土依憑経論疏目録』にも法然の著作として「観無量寿経釈 一巻」とあるから、やはり法然の指導のもとに加えられたものと思われる。仮りにそうでなかったとしても、「観経釈」には「此れは是れ極悪に対して極善を表すの意也」(『同』四・三五二頁)とある。おそらくこちらのほうがオリジナルではなかろうか。

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天台の常寂光土(5)

2016年10月28日 | 法本房行空上人試考

 その浄穢については「分証と究竟は寂光の浄穢なり」といっている。「分証」と「究竟」をもって常寂光土の浄土と穢土を立てているのである。それを六即の行位でいえば、「究竟」とは究竟即で、完全に煩悩を断尽し究極のさとりを得た妙覚位の仏が居する土のことである。「分証」とは分真即のことであるとすれば、円教でいうと十住・十行・十回向・十地・等覚の四十一位にあたり、初住位において一分の無明を断じ、一分の中道を証する。そして分々に無明を断じ、分々に中道を証していく菩薩の住する土ということになる。そうすると実報無障礙土について「真実の法を行じて勝報を感得す。色心相ひ妨げず。故に無障礙と言ふ。純ら菩薩が居し二乗有ること無し。仁王経に云く、三賢十聖住果報と。即ち是れ其の義なり(1)」といっている。そこに引かれる『仁王般若経』の「三賢十聖」とは十住・十行・十回向を三賢といい、十地を十聖というのであるから、等覚を除き、もっぱら菩薩の居す実報無障礙土と同じことになってしまう。つまり同じ行位を常寂光土の穢土と実報無障礙土に配しているのである。しかしこれは観点の相違で、『維摩経文疏』において明らかになるであろう。ともあれ、『観経疏』では初住以上の菩薩が住する土を常寂光土の穢土とするのである。ただ円教の初住位は別教でいうと初地にあたり、円教の十行の第二位が別教の妙覚位の仏になる。それまでは菩薩であっても、十行の第二位に至れば別教では妙覚位なのである。したがって常寂光土は妙覚位の仏が居する土というところに重点があるであろう。常寂光土の浄土の側である。ゆえに、

常寂光とは、常は法身、寂は解脱、光は般若なり。是の三点、縦横に並列せざるを秘密蔵と名づく。諸仏如来の遊居せらるる処、真常究竟極めて浄土と為す。分得と究竟の上下は浄穢なるのみ(2)。

というのである。「常寂光」の三字を法身・解脱・般若という仏の三徳に配し、その三徳が縦横に並列せず円融するさまを秘密蔵と名づける。凡夫の有漏智をもってははかり知れない三徳であるということであろう。そしてその仏が遊行したり留まり居する処は真実・常住・究竟の極まった浄土であるというのである。つまり究極である妙覚位の仏の居する土ということである。ただし常寂光土を妙覚位の仏に限っていない。「分得」を許している。一分の中道を証した菩薩も常寂光土の穢土を感見することができるのである。ここに行空が常寂光土に往生するといいえた道が開かれていよう。

(1)『観無量寿仏経疏』(『大正新脩大蔵経』三七・一八八頁中~下)
(2)『観無量寿仏経疏』(『大正新脩大蔵経』三七・一八八頁下)


 

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天台の常寂光土(4)

2016年10月27日 | 法本房行空上人試考

 そして、このなかで注意すべきは四土に「各おの浄穢有り」という点である。後に述べる『維摩経文疏』では凡聖同居土のみ浄穢があるといわれるのであるが、ここでは四土にそれぞれ浄穢があるとする。『観経疏』の特徴といっていいであろう。凡聖同居土を例にすれば、娑婆世界と阿弥陀仏の浄土である。ともに凡夫と聖者が同じく住しているから凡聖同居土というが、娑婆世界はその穢土であって、阿弥陀仏の浄土はその浄土である。ここで阿弥陀仏の浄土を「凡聖同居上品浄土」といわれていることは注目すべきである。天台では阿弥陀仏の浄土を最も低級な凡聖同居土と判じるのである。法然が浄土宗開宗の意趣を述べて、「或る時に云く、我れ浄土宗を立つる意趣は、凡夫往生を示さむが為也。若し天台の教相に依らば、凡夫往生を許すに似たりと雖も、浄土を判ずること至りて浅薄也(1)」と語ったというのはこれをいっていたのである。そして法相の教相によれば、浄土を判ずることは甚深であるけれども、全く凡夫の往生を許さない。そこで善導(六一三~六八一)の釈義によって凡夫が報土に生ずることをあらわすために浄土宗を開いたというのであった。いわゆる凡夫入報義である。そのときの報土は、天台でいえば実報無障礙土に相当するであろう。幸西(一一六三~一二四七)などもそのように見ているようである(2)。ところが行空は最高の常寂光土に往生するといったのである。どうしてそういえるのか。四土にそれぞれ浄穢があるということは、常寂光土にも浄穢があるということである。そこに鍵があるのではなかろうか。

(1)醍醐本『法然上人伝記』(井川定慶氏集『法然上人伝全集』七七五頁)。同じことが『拾遺語灯録』巻上「浄土随聞記」(『真宗聖教全書』四・六九五~六九六頁)に出ている。
(2)梯 實圓氏『玄義分抄講述─幸西大徳の浄土教─』(永田文昌堂、一九九四年)六六頁など参照。

 

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天台の常寂光土(3)

2016年10月26日 | 法本房行空上人試考

          三

 智顗の常寂光土観は『維摩経文疏』に詳しく論述されているが、その前に『観無量寿仏経疏』を見ておきたいと思う。ただし本書には真偽論があり、はやく望月信亨氏は「断じて天台智顗禅師の真撰にあらず(1)」といわれているが、次に引用するように智顗の仏土論である四土説に関する明快な規定がなされており、その典拠として古来より尊重されてきたので、いまは伝智顗の撰述として取り上げることにする。本書の構成は前半と後半に分かれ、後半部分が浄影寺慧遠(五二三~五九二)の『観経義疏』と近似する解釈が目立ち、その影響が甚だしいところから偽撰説が唱えられるのである。しかし前半部分は智顗の経典解釈法の一つである五重玄義が論じられている。五重玄義とは経文を解釈するに先立って、経題の意味や経の要旨を説くのを「玄義」あるいは「玄論」「玄談」といい、それを釈名(題名の解釈)、弁体(教えの基盤となる本体を明確にする)、明宗(教主の修行の根本を明らかにする)、論用(教えのはたらきを論ずる)、判教(仏教全体中で経の教えが占める位置を定める)という、名・体・宗・用・教の五面から諸経典の全体を把握することである。福島光哉氏は「本書においては、此の部分で天台色豊かな『観経』解釈が見られ、智顗の撰述ではないにしても天台の独自性が充分に発揮されているので、最も注目すべき箇所である(2)」といわれている。その宗玄義を明かすところに、

今此の経の宗は、心浄なりと観ぜば則ち仏土浄なるを以て経の宗致と為す。四種の浄土あり。謂く凡聖同居土、方便有余土、実報無障礙土、常寂光土也。各おの浄穢有り。五濁の軽重は同居の浄穢、体析の巧拙は有余の浄穢、次第と頓入は実報の浄穢、分証と究竟は寂光の浄穢なり(3)。

といわれている。これによれば、『観経』の宗玄義は自身の心が浄いものと観じることによって仏土が浄くなるという義であるとする。その宗玄義の解説のなかで先に述べた四土説が示されているのである。すなわち凡聖同居土、方便有余土、実報無障礙土、常寂光土である。一般に四土の名目は『維摩経文疏』よりこれによるのである。

(1)望月信亨氏『浄土教之研究』(仏書研究会、一九一四年)所収「天台観経疏の真偽を論ず」四五三頁。
(2)福島光哉氏『宋代天台浄土教の研究』(文永堂、一九九五年)一四頁。
(3)『観無量寿仏経疏』(『大正新脩大蔵経』三七・一八八頁中)

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天台の常寂光土(2)

2016年10月25日 | 法本房行空上人試考

         二

 常寂光土という語の直接的な典拠は『法華経』の結経である『観普賢菩薩行法経』の次の文である。すなわち、

釈迦牟尼仏をば毘盧遮那遍一切処と名けたてまつる。其の仏の住処を常寂光と名く。常波羅蜜に摂成せられたる処、我波羅蜜に安立せられたる処、浄波羅蜜の有相を滅せる処、楽波羅蜜の身心の相に住せざる処、有無の諸法の相を見ざる処、如寂解脱・乃至般若波羅蜜なり。是の色常住の法なるが故に。是の如くの応当に十方の仏を観じたてまつるべし(1)。

と説かれている。ここではまず釈迦牟尼仏を「毘盧遮那遍一切処」と名づけるというが、「毘盧遮那遍一切処」とは法界に遍満する法身仏のことである。その仏の住処を「常寂光」と名づけるというのである。これが常寂光土という語の典拠であって、法身仏の住処のことである。そしてその住処は常(永遠)・楽(生死を超えた安楽)・我(遍満等の自在)・浄(惑業を離れた清浄)の四波羅蜜によって成立していると示されている。四波羅蜜は仏の完全なさとりに具わる四種の徳であるから、「常寂光」はさとりの領域ということになる。さらにその住処は「如寂解脱」という究竟の解脱、「乃至般若波羅蜜」という智慧の世界であると示されている。そこで常寂光土は次に取り上げる天台の『観経疏』に「常は即ち法身、寂は即ち解脱、光は即ち般若」とあるように、法身・解脱・般若という仏の三徳が具足された土であるということもできる。このように常寂光土は仏身と仏土が円融一体となった世界なのである。それゆえ四徳の説明のなかに、「有相を滅せる」「身心の相に住せざる」「有無の諸法の相を見ざる」とあって、凡夫が見る有無の相を絶した世界であるとも示されるのである。凡夫の世界を超絶した領域である。ただし終わりに「十方の仏を観じたてまつるべし」と説かれている。「たてまつる」という訓によれば(2)、仏の領域は仏でなければ知られないという唯仏独明了の仏でなく、修行者のことであろう。すなわち先に四波羅蜜は仏の徳であるといったが、波羅蜜(到彼岸)には菩薩行の意味も含まれているといわれる。その菩薩行を修して常寂光土に入ったならば、そこは「色常住」(永遠なる有相)の世界であって、十方の仏を観じたてまつると理解することができるのではないであろうか。こうした常寂光土を田村完爾氏は「煩悩が滅せられた寂滅の世界であり、煩悩のもととなる色相は滅しているが、般若(仏智)の光明に包まれた輝かしい永遠なる「色常住」の世界とされる(3)」といわれている。その常寂光土を仏道修行者の目指す究極の土として多角的に様相を説示していったのが天台智顗(五三八~五九七)であったのである。

(1)『観普賢菩薩行法経』(『大正新脩大蔵経』九・三九二頁下)
(2)『国訳一切経』印度撰述部二八・二四三頁による。
(3)田村完爾氏「天台教学における国土論の一考察」(『印度学仏教学研究』五一─二、二○○三年)

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天台の常寂光土(1)

2016年10月24日 | 法本房行空上人試考

      一

 弁長(一一六二~一二三八)は『末代念仏授手印』裏書に「近代人人の義」として三人の義を挙げ、「此の三人の義は近代興盛の義也」「已上の三義は是れ邪義也。恐るべし、恐るべし」「全く法然上人の義に非ず」等といっている。その第三義は、

或る人の云く、寂光土の往生、尤も是れ殊勝也。称名往生は是れ初心の人の往生也。寂光土往生は尤も深き也(1)。

というものである。『念仏三心要集』も同じ文を示している(2)。『念仏名義集』は少し文が違って、

或る人は寂光土の往生を立つる。此の学文を我に随てせよ。若し此の心を知らずして念仏申さん者は往生すべからずと申す(3)。

とある。この義をいま寂光土義と呼ぶことにするが(4)、これを弁長の曾孫弟子にあたる良心(?~一三一四)が「美濃の国の法報房と云ふ人、此の義を立つ(5)」といってから、鎮西派では伝統的に行空(生没年不詳)の義と見るようになった。ただ良心が何を依りどころとしていっているのかわからないので疑問視する意見がある(6)。しかし私は従来通り行空の義と見ていいと思っている。その理由は別に述べたことがあるので(7)、いまは省略する。その上で行空が寂光土義を立てて何をいおうとしたのか、内実については容易に知りがたい。そこで参考になるのは寂光土義を最初に釈した前述の良心の『授手印決答巻下受決鈔』である。

或人云等とは極楽世界に於て体相同じからず。称名をば相の土に属して浅と為す。寂光浄土を欣ふは理解、因と為すべし。何ぞ称名の事行を要と為すや(8)。

といっている。江戸時代の鎮西派の学匠・妙瑞(?~一七七八)も良心の釈によって諸処に釈をなしているが、そのなかの必要部分を挙げれば、

極楽に於て体相二種の浄土を立て、念仏に於て称念理念の二種を立て、称念称名は浅近の故に相の浄土に生ず。理念理解は深遠の故に体の浄土に生ず(9)。

とある。図示すれば次にようになるであろう。
  体の浄土……深遠……理念理解
  相の浄土……浅近……称念称名
これが寂光土義の構造ということになるが、しかし私は因である「理念理解」と「称念称名」は信具の称名と不信の称名のことであり、不信の称名に対応する相の浄土は辺胎の土や、とくに九品の差別がある浄土のことであると考える(10)。そうすると信具の称名に対応する体の浄土とは九品の差別のない真実報土のことということになる。それを「寂光土」といったところが行空の特徴であろう。「寂光土」とは常寂光土の略で、天台の仏土観の用語である。行空はなぜその用語を用いたのか、それを用いることによって何をいおうとしたのか、といった問題もあるが、その前にまず、天台の常寂光土観を考察したいと思う。なお、信具の称名を「理念理解」というのは本覚法門との混同であると思われるので、別の機会に譲る。

(1)『末代念仏授手印』(『浄土宗全書』一○・十一頁)
(2)『念仏三心要集』(『浄土宗全書』一○・三九一頁)
(3)『念仏名義集』巻下(『浄土宗全書』一○・三八二頁)
(4)山上正尊氏『一念多念文意講讃』(為法館、一九五六年)九○頁には「寂光往生義」、梯實圓氏『法然教学の研究』(永田文昌堂、一九八六年)四四七頁には「常寂光土義」、伊藤唯真氏『浄土宗史の研究』(法蔵館、一九九六年)一七二頁には「寂光土往生説」、『浄土宗大辞典』には「寂光浄土義」と呼ばれているが、『望月仏教大辞典』や石井教道氏「鎮西教学研究序説」(『大正大学学報』二一・二二・二三、一九三五年)や阿川文正氏『聖光上人伝と「末代念仏授手印」』(浄土宗大本山善導寺、二○○二年)一二五頁などには「寂光土義」と呼ばれている。いまはそれらにしたがう。この義が「寂光土の往生を立つる」とはじまっているからである。
(5)『授手印決答巻下受決鈔』(『浄土宗全書』一○・一二二頁)
(6)松野純孝氏『親鸞─その生涯と思想の展開過程』(三省堂、一九五九年)一一九頁には「良心は何に基づいてこうした釈をなしたかわからない」といい、梯實圓氏『法然教学の研究』(永田文昌堂、一九八六年)四四七頁にも「何を根拠にそういっているのかわからないから、にわかに信用できない」といい、伊藤唯真氏『浄土宗史の研究』(法蔵館、一九九六年)一七二頁にも「寂光土往生説を行空の説とする見解(=良心の釈)もあるが、果たしてどんなものであろうか」といわれている。
(7)拙稿「法本房行空上人の教学試考─とくに寂光土義をめぐって(その一)─」(『行信学報』二九、二○一六年)
(8)『授手印決答巻下受決鈔』(『浄土宗全書』一○・一二二頁)
(9)『鎮西名目問答奮迅鈔』巻第一(『浄土宗全書』一○・四三三頁)
(10)拙稿「法本房行空上人の教学試考─とくに寂光土義をめぐって(その一)─」(『行信学報』二九、二○一六年)

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幸西の聖道門観(14)

2016年10月23日 | 小論文

そして幸西は「玄義分」序題門に、

しかも娑婆の化主はその請によるがゆゑにすなはち広く浄土の要門を開き、安楽の能人は別意の弘願を顕彰したまふ。その要門とはすなはちこの『観経』の定散二門これなり。「定」はすなはち慮りを息めてもつて心を凝らす。「散」はすなはち悪を廃してもつて善を修す。この二行を回して往生を求願す。弘願といふは『大経』に説きたまふがごとし(1)。

等とある文を釈するなかで、『観経』に釈尊が開説された要門の定散二善と聖道門の諸経に説かれる行体が通ずると見て、

定散といは諸経即八万四千調機門也(2)。

というのである。すなわち八万四千の法門である聖道門を、未熟の機を育てるための教育的手段として説かれた調機誘引の方便である仮門とするのである。もともと聖道門は聖者のために説かれた教えである。それを凡夫が修する道のように説かれるのはそういう意味があるというのである。ここに幸西の聖道門観があるといえよう。

(1)『観経疏』「玄義分」序題門(『浄土真宗聖典 七祖篇〈註釈版〉』三○○~三○一頁)
(2)梯 實圓氏『玄義分抄講述─幸西大徳の浄土教─』(永田文昌堂、一九九四年)付録・四三八頁。

 

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幸西の聖道門観(13)

2016年10月22日 | 小論文

そのように見る例として幸西は、『法華経』見宝塔品と『観経』下上品の文に依るとしている。『法華経』見宝塔品の文とは、

若し八万四千の法蔵、十二部経を持ちて、人の為に演説し、諸もろの聴者をして六神通を得しめん。能く是くの如くすと雖も、亦た未だ難と為さず。我が滅後に於て此の経を聴受し、其の義趣を問はば則ち是れ難と為す(1)。

であろうといわれている。ここでは「八万四千の法蔵、十二部経」の法門と「此の経(=法華経)」とを対照し、前者より後者のほうが難であることをもって、爾前三乗の法門より法華一乗の法門のほうが勝れていることをあらわしているからである。すなわち八万四千の法蔵のほかに『法華経』の法門があるを見ているのである。つぎに『観経』下上品の文とは、

下品上生といふは、あるいは衆生ありてもろもろの悪業を作らん。方等経典を誹謗せずといへども、かくのごときの愚人、多く衆悪を造りて慚愧あることなけん。命終らんとするとき、善知識、ために大乗十二部経の首題名字を讃ずるに遇はん。かくのごときの諸経の名を聞くをもつてのゆゑに、千劫の極重の悪業を除却す。智者また教へて、合掌・叉手して南無阿弥陀仏と称せしむ。仏名を称するがゆゑに、五十億劫の生死の罪を除く。そのときかの仏、すなはち化仏・化観世音・化大勢至を遣はして行者の前に至らしめ、〔化仏等の〕讃めていはく、〈善男子、なんぢ仏名を称するがゆゑにもろもろの罪消滅す。われ来りてなんぢを迎ふ〉と(2)。

等とあるものである。ここでは悪業を造った愚人が命終のときに善知識の大乗十二部経の首題名字を聞くのに遇い、千劫の罪を除くことができたが、善知識が教えを転じて阿弥陀仏の名を称せしめたとき、五十億劫の生死の罪を除くことができた。そのとき化仏・化観世音・化大勢至がその人の前に来迎して、聞経のことを論ぜず、ただ仏名を称したことを讃歎した。そのこころを善導は「散善義」に、

しかるに仏の願意に望むれば、ただ勧めて正念に名を称せしむ。往生の義、疾きこと雑散の業に同じからず(3)。

といっている。「大乗十二部経の首題名字」を聞くという聞経の善を「雑散の業」とし、仏の願意は仏名を称することにあるから、化仏はそれを讃歎したのであって、「雑散の業」と同じではないというのである。ここでは聞経の善である「雑散の業」より称名のほうが勝れていることをあらわしている。これを前の見宝塔品の文と合わせてみれば、「八万四千の法蔵、十二部経」の法門のなかに聞経の「雑散の業」が入り、『法華経』の法門が称名に相当する。それが区別されているということは、八万四千の法門のほかに称名すなわち凡頓の教があるということで、「八万四千」と「余」を分けるという特殊な釈がなされたのである。

(1)『妙法蓮華経』巻第四・見宝塔品(『大正新脩大蔵経』九・三四頁中)
(2)『観経』下上品(『浄土真宗聖典〈註釈版〉』一一三~一一四頁)
(3)『観経疏』「散善義」(『浄土真宗聖典 七祖篇〈註釈版〉』四九○頁)

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幸西の聖道門観(12)

2016年10月21日 | 小論文

               九

 この凡頓の教えに対して聖道門の教えは聖者のために説かれたものであった。娑婆世界において修し得る道ではない。なぜなら「真如の機なし」であるからである。無漏智をおこして真如の一分をさとる初地以上の菩薩が娑婆世界には存在しないということである。存在するのはそれ以前の凡夫だけである。その凡夫が聖者のために説かれた教えを修することができないのは当然である。それゆえ『玄義分抄』には「其の宗(=『維摩経』『大品経』『華厳経』『法華経』等)の教道は敢て凡夫の入路にあらす。三界生死のあひたに惣して一実真如の機なきか故也(1)」というのである。そして「仏の願力の外に都て真如を証する門なき也」といいきるのである。娑婆世界の凡夫が真如をさとり得る道は阿弥陀仏の本願力によって浄土に往生するよりほかにはない。ではなぜ聖道門の教えが説かれねばならなかったのか。幸西は先に述べたように、善導が「玄義分」序題門に「門八万四千に余れり(門余八万四千)」といっているのを釈して、

「門余八万四千」といは一乗を加て余とす。法華経の宝塔品、此の経の下品下上等の文に依るなるへし(2)。

といっている。善導は釈尊一代の教えは八万四千に余るほど多いといっているだけであるが、幸西はそれを「八万四千」と「余」に分けているのである。そして「余」を「一乗を加て」といっている。「一乗」についてはのちに述べるが、凡頓のことである。「八万四千」は聖道門を指す。『略料簡』ではその「八万四千」を声聞蔵・菩薩蔵に分け、菩薩蔵をまた頓教・漸教に分け、頓教を聖頓と凡頓に分けていたが、ここでは凡頓以外の聖道門を一括りにして「八万四千」とし、「余」という凡頓とに区別しているのである。

(1)梯 實圓氏『玄義分抄講述─幸西大徳の浄土教─』(永田文昌堂、一九九四年)付録・四四五頁。
(2)梯 實圓氏『玄義分抄講述─幸西大徳の浄土教─』(永田文昌堂、一九九四年)付録・四三八頁。

 

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幸西の聖道門観(11)

2016年10月20日 | 小論文

         八

 聖頓が聖者の為に説かれた教えであるなら、凡頓は凡夫の為に説かれた教えということになる。それこそ法然によって独立された浄土宗を指す。『選択集』には、

元暁の『遊心安楽道』にいはく、「浄土宗の意、本(もと)凡夫のためなり、兼ねては聖人のためなり」と(1)。

といわれている。もともと浄土宗は凡夫のための教えなのである。そうすると聖道門は聖者のための教えということができる。法然は明言をしていないが、幸西はそのように領解したわけである。そして『浄土法門源流章』には「『略料簡』の頌に云く、聖凡二頓を対するに、凡を採るを正門と為し、釈迦凡の為に出づ、唯だ頓一乗を説く(2)」といっている。聖頓・凡頓のなかで凡頓を採るのを正門とし、その凡頓を説くことが釈尊出世の本懐であるというのである。

 ところで幸西は聖頓の聖を「聖とは十聖」というのに対して、凡頓の凡を「凡とは五乗なり」といっていた。「五乗」とは菩薩・縁覚・声聞・人・天であることはいうまでもない。それらを凡夫とするのである。もっとも「聖とは十聖」といっているから、菩薩といっても初地以前、すなわち地前の菩薩のことで、十住、十行、十回向の三賢位の内凡、十信位の外凡である。声聞・縁覚でいえば煗・頂・忍・世第一法の四善根位の内凡、それ以前の五停心・別相念住・総相念住の三賢位の外凡である。預流果以上は聖者であるが、「聖とは十聖」と取りきっているから、その聖者も凡夫のなかに入るのであろう。つまり十回向位の菩薩以下を凡夫と見ているのである。

 そして善導の「玄義分」序題門には「一実の機なしといへども、等しく五乗の用あれば(3)」とあるが、それを幸西は『玄義分抄』に釈して、

「雖無一実之機等五乗之用」といは、真如の機なしと云とも弘願の機ありと也。五乗其の辺を測らず、故に真如の機にあらず。仏願に託して五乗斉入す、故に弘願の機也。但し三界の極位に居して十聖の初地に隣なるもの、真如の機に当れりと云とも、修福念仏を以て無生の国に入る事は仏法不思議の力也。敢て其機にあらず、故に仏の願力の外に都て真如を証する門なき也(4)。

といっている。「一実の機」とは真如の機のことで、無漏智をおこして真如をさとる初地以上の菩薩をいう。それを「なし」というのはこの娑婆世界に存在しないことを意味している。とすれば、初地以上の菩薩のために説かれた聖道門はこの娑婆世界において行ずる教えではないということを暗に示している。そして「五乗の用」とは、「玄義分」和会門に「まさしく仏願に託してもつて強縁をなすによりて、五乗をして斉しく入らしむことを致す(5)」といわれているように、仏願力によって五乗の凡夫が同じく報土に往生せしめられることをいう。その五乗の凡夫を幸西は「弘願の機」といっているのである。それはたとえ十聖の最初の位である初地に隣接する十回向の満位の菩薩が真如をさとるべき機であるといっても、第十八願に誓われた念仏を修し、「仏法不思議の力」すなわち本願力によって、浄土に往生するのである。決してみずからの智力によるのではない。無漏の領域である「無生の国に入る」ためには、第十回向位でも有漏智であるかぎり不可能である。必ず本願力によらねばならない。そこで「仏の願力の外に都て真如を証する門なき也」というのである。したがって聖道門は「真如を証する門」ではないということになる。いわゆる聖道無得道である。すなわち幸西は聖道門を凡夫にとって得道の法ではないと見るのである。聖道門はどこまでも聖者が修するための教えとするのである。

 ただし幸西は「仏の願力の外に都て真如を証する門なき也」といっても、往生と同時に成仏するとはいわない。『玄義分抄』には、

当知乗願は不退、往生は安楽、証彼無為之法法楽は初地、

といい、

純一に化生して即ち初地に入る、

といっている(6)。『浄土法門源流章』所引の『称仏記』には、

先づ浄土を求め順次生に菩薩の初地に階ふ。是を菩薩蔵頓教一乗海と名づく。

とあり、凝然の言葉としては、

浄土の教門は唯だ凡夫に被らしむ。諸の凡夫をして浄土に往生して頓に初地に登り、無生忍を証せしむ。

具縛の凡夫、仏の本願に乗じて報仏の土に生じ、頓に初地に入る。是れを凡頓と名づけ、頓に聖に登るが故に。

などといっている(7)。凡夫が本願力によって浄土に往生し、頓に初地の位に入るから凡頓なのであった。往生即成仏を語る親鸞とは異なるところである。

(1)『選択集』二門章(『浄土真宗聖典 七祖篇〈註釈版〉』一一八五頁)。なお、『遊心安楽道』の文は元来「浄土の宗意」と読むべきで宗名のことではないが、法然は「浄土宗の意」と読み、宗名の証権としている。
(2)『浄土法門源流章』(『浄土宗全書』一五・五九二頁)
(3)『観経疏』「玄義分」序題門(『浄土真宗聖典 七祖篇〈註釈版〉』三○○頁)
(4)梯 實圓氏『玄義分抄講述─幸西大徳の浄土教─』(永田文昌堂、一九九四年)付録・四三七~四三八頁。
(5)『観経疏』「玄義分」和会門(『浄土真宗聖典 七祖篇〈註釈版〉』三三○頁)
(6)梯 實圓氏『玄義分抄講述─幸西大徳の浄土教─』(永田文昌堂、一九九四年)付録・四六二、四六七頁。
(7)『浄土法門源流章』(『浄土宗全書』一五・五九二頁)

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幸西の聖道門観(10)

2016年10月19日 | 小論文

         七

 つぎに「頓教に二つ有り。聖頓と凡頓となり」とある。聖頓・凡頓という名目が幸西独自のものであることは既に述べた。聖頓の聖については「聖とは十聖」といっている。「十聖」とは無漏智を開いて真如法性の理を一分さとった初地から十地にいたる、いわゆる地上の菩薩のことである。頓とは前に述べた前に述べた真言・達磨・天台・花厳の即身頓証の教えである。それらが聖道門であることはいうまでもない。つまり「仏道に八万四千の門有り」とし、「亦た二と為す」として「声聞蔵と菩薩蔵となり」といい、また「菩薩蔵に二つ有り。漸教と頓教なり」としたうえで、「頓教に二つ有り。聖頓と凡頓となり」といった、聖頓までが聖道門なのである。それを『浄土法門源流章』には「聖道の諸教は是れ為聖の教」といい、「聖道の諸教は皆な聖人に被らしむ。此の穢土に於て聖果を証獲す」といっている。またそこに引かれる『称仏記』には「直に仏果を願ふて即得するを如来蔵を名づく。頓教一乗は是れ即ち為聖の教なり」といっている(1)。すなわち聖道門とは聖者の為の教えであり、内実をいえば「此の穢土に於て聖果を証獲す」る教えであり、「直に仏果を願ふて即得する」教えであるということである。その穢土において直ちに仏果を即得する教えのことを聖頓というのである。しかしそれは聖者の為の教え、為聖の教であるとするのである。逆にいえば凡夫の仏道ではないということである。実際、法然はそれらを「理はふかく、解はあさし。かるがゆえに末代の行者、その証をうるに、きはめてかたし」といっていた。『和語灯録』「浄土宗略抄」にも「たゞしこれらはみな、このごろのわれらが身にたえたる事にあらず」といい、「たゞ聖道門は聞とをくしてさとりがたく、まどひやすくしてわが分におもひよらぬみち也」といっている(2)。『西方指南抄』「法然聖人御説法事」に「かの諸宗はいまのときにおいて機と教と相応せず、教はふかし機はあさし、教はひろくして機はせばきがゆへなり(3)」といっているように、機と教が相応しないのである。それは機が凡夫であるからである。聖者であれば相応する。そこで聖頓という名目を出すことによって、聖道門の教えは聖者の為に説かれた教えであることを示すのである。ここに一つ、幸西の聖道門観がうかがわれる。

(1)『浄土法門源流章』(『浄土宗全書』一五・五九二頁)
(2)『和語灯録』巻二「浄土宗略抄」(『真宗聖教全書』四・六○九~六一○頁)
(3)『西方指南抄』巻上本(『真宗聖教全書』四・五七頁)

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幸西の聖道門観(9)

2016年10月18日 | 小論文

          六

 次に頓教・漸教という二教判もよく諸師において用いられた。ただ問題はその頓教・漸教の意味である。いまは前の慧遠と天台のみを挙げ、他の諸師は別の機会に譲ることにする。はじめに慧遠の『観経疏』では「大の小より入る、之を目して漸と為す。大の小に由らざる、之を謂ひて頓と為す」といっていた。これは大乗に入るのに、まず小乗に入ってから大乗に転向することを漸というのに対して、ただちに大乗に入ることを頓といっているのであろう。つづいて天台では化法の四教と化儀の四教を立てる。その化儀の四教とは仏陀の衆生教化の仕方を四種に分けたもので、そのなかに頓教と漸教がある。その場合の頓教は直頓の意味で、ただちに難解な教えを説くことである。たとえば釈尊成道三七日後に説かれた『華厳経』のごときである。あまりの難解さに聴衆は如聾如であったといわれている。それに対して漸教とは浅から深の教えへと聴者を次第に誘引していく説き方である。まず浅い阿含教を説き、漸次理解の深まるにしたがって、程度の高い方等教、さらに般若教へと進んでいくのである。これらを頓教・漸教といっている。

 ところが善導は『般舟讃』に、

『瓔珞経』のなかには漸教を説く 万劫の修功不退を証す
『観経』・『弥陀経』等の説は すなはちこれ頓教菩提蔵なり
一日七日もっぱら仏を称すれば 命断えて須臾に安楽に生ず
一たび弥陀涅槃国に入りぬれば すははち不退を得て無生を証す(1)

といっている。すなわち『瓔珞経』に説かれているような万劫にわたる修行によって不退を証する教えを漸教といい、『観経』『弥陀経』に説かれているような一日七日の称名によって命終の即時に阿弥陀仏の浄土に生じ、不退に住して無生法忍を証する教えを頓教といっているのである。万劫をかけて修行するか、本願力によって須臾に浄土に生ずるかであるから、究極的には成仏の遅速に望めて頓・漸を分けているのである。

 法然が『漢語灯録』「大経釈」に聖浄二門判とともに頓漸二教判を用いているのはこの意味における二教判である(2)。そこでは天台・真言等も一往、頓教としている。『和語灯録』「往生大要集」には大乗に仏乗と菩薩乗、小乗に声聞乗と縁覚乗の四乗があるとして詳しく述べている。そのなかで仏乗について次のようにいっている。

仏乗とは即身成仏の教なり。真言・達磨・天台・花厳等の四乗にあかすところなり。すなはち真言宗には、「父母所生身速証大覚位」と申して、この身ながら、大日如来のくらゐにのぼるとならふ也。仏心宗には前仏後仏以心伝心とならひて、たちまちに人の心をさしてほとけと申なり。かるがゆゑに即身是仏の法と名づけて、成仏とは申さぬなり。この法は釈尊入滅の時『涅槃経』をときおはりてのち、たゞ一偈をもちて、迦葉尊者に付属し給へる法なり。天台宗には、煩悩即菩提生死即涅槃と観じて、観心にてほとけになるとならふ也。八歳の龍女が南方無垢世界にして、たちまちに正覚をなりし、その証なり。花厳宗には「初発心時便成正覚」とて、又即身成仏とならふなり。これらの宗にはみな即身頓証のむねをのべて、仏乗となづくるなり。

といい、つぎに「菩薩乗といは、歴劫修行成仏の教なり。三論・法相の二宗にならふところなり」等と述べていくが、「およそ大小乗をえらばず、この四乗の聖道は、われらの身にたへ、時にかなひたる事にてはなき也」といっている。そしてとくに仏乗について、

たとひ即身頓証の理を観ずとも、真言の入我々入、阿字本不生の観、天台の三観・六即・中道実相の観、花厳宗の法界唯心の観、仏心宗の即心是仏の観、理はふかく、解はあさし。かるがゆえに末代の行者、その証をうるに、きはめてかたし。

というのである(3)。どれほど即身頓証を説いても、末法の下機においては実践しがたい。それなら絵に描いた餅と同じである。法然が教判において焦点をあわせていたのは教理の浅深より、自身にとって実践可能かどうかにあった。それゆえ「大経釈」には、

天台・真言皆な頓教と名づくと雖も、惑を断ずるが故に猶ほ是れ漸教なり。

というのである。聖道門において頓教といっても結局、漸次断惑していくかぎり漸教といわねばならない。それに対して浄土門は、

未だ惑を断ぜず三界の長迷を出過するが故に、此の教を以て頓中の頓と為る也。

というのである(4)。幸西の頓漸二教判はこれを承けているのである。

(1)『般舟讃』(『浄土真宗聖典 七祖篇〈註釈版〉』七一八~七一九頁)
(2)『漢語灯録』巻一「大経釈」(『真宗聖教全書』四・二六三~二六四頁)
(3)『和語灯録』巻一「往生大要集」(『真宗聖教全書』四・五六五~五六七頁)
(4)『漢語灯録』巻一「大経釈」(『真宗聖教全書』四・二六四頁)

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幸西の聖道門観(8)

2016年10月17日 | 小論文

 こうした仏教を声聞蔵と菩薩蔵に分けるのは論書の諸処に見られる。たとえば『大智度論』のなかには「二種の道有り。一に声聞道、二に菩提薩道なり」とあり、「分ちて二種と為す。三蔵は是れ声聞法なり、摩訶は是れ大乗法なり」といわれているところがある(1)。ここには声聞蔵・菩薩蔵という語はないが、『瑜伽師地論』では「当に一切の菩薩蔵法、声聞蔵法を求むべし(2)」とある。また『大乗荘厳経論』には「復た次に声聞蔵及び菩薩蔵と為す(3)」とある。また『摂大乗論釈』には「此の中三蔵とは、一に素怛纜蔵、二に毘奈耶蔵、三に阿毘達磨蔵なり。是の如きの三蔵、下乗・上乗の差別有るが故に則ち二蔵と成す。一に声聞蔵、二に菩薩蔵なり(4)」とある。平川 彰氏は「大小乗の経論を二蔵にまとめることは、瑜伽行派になってからである」といい、「大小を対立して説くには、経論を声聞蔵と菩薩蔵とに分類することが便利」であったといわれている(5)。すなわち前の慧遠がいっていたように、小乗とは声聞のための教えであり、大乗とは菩薩のための教えであるということである。そして慧遠はその『観経疏』に二蔵判を用いていた。また『大乗義章』にも「出世間の中に就て、復た二種有り。一に声聞藏、二に菩薩藏なり(6)」といっている。そのほか二藏判を用いる人は多いが、有名なのは三論宗の吉蔵(五四九~六二三)であろう。『三論玄義』に道場寺慧観(四~五世紀)の五時教判を破したのち、「但だ応に大と小との二教を立つべし」といって、「略して三経三論を引いて之を証す」といい、『大品般若経』『法華経』等を引いたあと、「経論を以て之を験するに、唯だ二蔵有りて五時無し」と説き(7)、声聞蔵と菩薩蔵の二蔵判を挙げている。三論宗の教判には三転法輪もあるが、二蔵判が代表的なものである。このように二蔵判は多くの論書に示され、諸師によって用いられてきた。それを善導が「玄義分」宗旨門に出し、幸西が承けているのである。

(1)『大智度論』巻第四(『大正新脩大蔵経』二五・八五頁上)、巻第百(『同』二五・七五六頁中)
(2)『瑜伽師地論』巻第三十八(『大正新脩大蔵経』三○・五○○頁)
(3)『大乗荘厳経論』巻第四(『大正新脩大蔵経』三一・六○九頁上))
(4)『摂大乗論釈』巻第一(『大正新脩大蔵経』三一・三二一頁下)
(5)平川 彰氏『仏典講座三九 八宗綱要』上(大蔵出版、一九八一年)六七~六八頁。
(6)『大乗義章』巻第一(『大正新脩大蔵経』四四・四六六頁下)
(7)『三論玄義』(『大正新脩大蔵経』四五・五頁下)

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