天上の月影

勅命のほかに領解なし

真宗における宿善観の一考察(18)

2016年03月31日 | 未発表論文
【2003年に提出した輔教論文をそのまま転載】

   十、お わ り に

以上、浄土教における宿善はまず『大経』に説かれ、七祖の上では道綽禅師にはじまる。とくに『観経』下下品の十念往生を場とする宿善は、『十疑論』を通して源信僧都、永観に受容されている。しかし法然聖人に至って宿善と十念が切り離された。そして良忠において宿善は本願値遇に関わるものとされ、それが覚如上人に継承されているのである。

珍海は宿善を否定したといわれるが、実際は宿善を認めているのであって、道綽禅師、源信僧都、永観と同じである。そこでは深刻なまでの悪の自覚というものが見られない。それに対して善導大師は、宿善を示す文も見られるが、全体として否定的である。徹底して自己を見つめ、悪を見出されていたからである。そうすると、宿善肯定の基盤として悪の自覚の不徹底が考えられ、それが徹底したとき、宿善は否定される。そこで宿善と悪の自覚は矛盾するといわねばならないであろう。

親鸞聖人もまた徹底した悪の自覚に立たれたが、宿善については自力無功を知らせるためのものであり、捨てものであった。宿善がただちに必要というのではなく、否定媒介として信を成立させるのである。それに対して覚如上人は、遇法の遅速を説明するために宿善を導入された。それはあくまで厚薄の生じる宿善であるから、自力善である。そして、それによって遇法するというのであるから、その功を認められていたことになる。親鸞聖人の宿善観と相違するといわねばならない。覚如上人もまた悪の自覚の不徹底が指摘されている。

先哲は親鸞聖人の宿縁を宿善と同義と見られるが、宿縁の語は「玄義分」『往生要集』『往生拾因』に見られる。しかし、いずれにおいても宿善とは別に用いられている。親鸞聖人が宿縁といわれたときの内容は阿弥陀仏との因縁であり、宿善とは別であるということができる。

こうして真宗における宿善は覚如上人によって導入されたものであり、それが存覚上人、蓮如上人に継承されていく。とくに蓮如上人は五重の義を立てられ、その第一に宿善を置かれた。また伝道の場でも宿善の有無を分別して人を勧化すべしと教示され、「宿善めでたしといふはわろし、御一流には宿善有難と申がよく候ふ(133)」ともいわれている。真宗の宿善を考える上で蓮如上人は重要であるが、今回は考察できなかった。次の課題としたい。


(133)『蓮如上人御一代記聞書』末・二三三条(『真聖全』三・五九○頁)

【補説】
『真宗における宿善観の一考察(12)』において法然聖人の宿善観をのべるなか、『西方指南抄』「法然聖人御説法事」(逆修説法)の七七日の講説は、法然聖人に代わって真観房感西が行ったものであった。この論文のときはそれに気づいていなかったので、読者諸賢は注意されたい。
なお、この論文を提出後に口頭試問、本試を受け、学階・輔教をいただいた。そして2005年、行信仏教文化研究所において、この論文を元に宿縁の問題を深化させて研究発表を行い、2006年5月発行の『行信学報』第十九号に「親鸞聖人における宿縁の意義」として掲載された。
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真宗における宿善観の一考察(17)

2016年03月30日 | 未発表論文
【2003年に提出した輔教論文をそのまま転載】

ともあれ、それに対して唯善は、「十方衆生とちかひ給へば更宿善の有無を沙汰せず、仏願にあへばかならず往生をうるなり、さてこそ不思議の大願にては侍れ」「念仏往生の義理またく宿善の有無をいふべからず、すでに所被の機をいふに十方衆生なり、その中に善悪の二機を摂す、善人にはまことに過現の善根もあるべし、悪人には二世一毫の善種さらになき者もあるべし、今の義ならば是等の類は本願にもれん」と反論したのである。本願に十方衆生と誓われているが、その中には善人も悪人も含まれている。宿善のある機が往生するというのなら、二世一毫の善もない悪人は本願に洩れることになる。宿善の有無は問題ではなく、仏願に遇えば必ず往生する。宿善のない機を救うからこそ不思議の大願であろうというのである。

それについて覚如上人は、『最須敬重絵詞』にだけ見られるのであるが、唯善に同意を示されている。即ち「頓教一乗の極談凡愚済度の宗旨を立するとき、たゞをしへて念仏を行ぜしむるにあり。その出離の機をさだめんにをいて、とをく宿善をたづぬべからざる事はしかなり。他師下三品の機を判ずとして、始学大乗の人なりといへるを、宗家破して『遇悪の凡夫』と釈せらるゝは此意なり」といわれている。聖道の諸師が下三品の始学大乗の人と判じたのに対して善導大師が遇悪の凡夫と釈されたように、悪人凡夫が出離していく宗旨であるから、宿善の有無を問題にすべきでないのはその通りであるというのである。そして『大経』五悪段の「雖一世勤苦須臾之間、後生無量寿仏国」の文を引き、「一世の修行に依て九品の往生をうることは其義勿論なり、あらそふ所にあらず」といわれる。今生一世の修行によって往生を得るのはもちろんであるから、諍うところではないといわれるのである。ここに引用された『大経』の文は、『決定往生集』に引かれ、良忠が無宿善往生の証と見たものであるが、覚如上人がいおうとされているのは、宿善によって往生するのではないということである。これは『口伝鈔』第四条に「宿善あつきひとは今生に善をこのみ悪をおそる、宿悪をもきものは今生に悪をこのみ善にうとし。たゞ善悪のふたつをば過去の因にまかせ、往生の大益をば如来の他力にまかせて、かつて機のよしあしきに目をかけて往生の得否をさだむべからずとなり」といわれ、「善悪のふたつ、宿因のはからひとして現果を感ずるところ也。しかればまたく往生にをいては善もたすけとならず、悪もさはりとならずといふこと」とある(127)。『歎異抄』第一条、第十三条を素材にした一段であるが、往生については宿善を問題にしないのである。法然聖人や良忠と同じであり、唯善ともここまでは同意見なのである。

ところが次に、「たゞし退てこれをいふに往生をうることは念仏の益なり、教法にあふことは宿善功なり」といわれる。往生を得ることは念仏の益であるが、教法に遇うことは宿善の功であると、やはり宿善を持ち出され、宿善によって教法に遇うといわれるのである。それは良忠の言い方と同じである。

そして注目すべき発言がなされる。即ち、「もし宿善にあらずして直に法にあふといはゞ、なんぞ諸仏の神力一時に衆生をつくし、如来の大悲一念に菩提をえしめざる。しかるに仏教にあふに遅速あり、解脱をうるに前後あるは、宿善の厚薄にこたえ修行の強弱による」といわれるのである。もし宿善によらず直ちに遇法するというなら、すべての人は同時に救われているはずである。ところが実際には、人によって遇法に遅速があり、解脱に前後がある。それは「宿善の厚薄にこたえ修行の強弱による」といわれるのである。遇法の遅速と宿善の厚薄、解脱の前後と修行の強弱が対応するのであろう。ここに宿善を用いられる理由が見出される。つまり遇法の遅速を説明するために宿善が導入されているのである。なぜ説明しなければならないのか、それについては何も触れられていないが、真宗の絶対他力義に対する覚如上人自身の疑問があったからではなかろうか。いずれにしても、その宿善は厚薄が生じるのであるから、自力善といわねばならない。その功によって遇法すると見られているのである。親鸞聖人は宿善を自力無功と知らせるための捨てものと見られていたが、覚如上人は宿善に功を見られているのである。また親鸞聖人は宿縁をみずからの上に慶ばれていたが、覚如上人は遇法の遅速を説明するために宿善を用いられているのであるから、非常に客観的である。それは聞法者の立場に終始された親鸞聖人と教化者の立場に立たれた覚如上人の基本的な姿勢の相違でもあろう。親鸞聖人の宿善・宿縁と覚如上人の宿善とは相違するといわねばならない。なお、宿善の厚薄という言い方は『口伝鈔』第十四条にも見られるが(128)、その源は『往生要集』や『玄義分抄』にあった。また『口伝鈔』第二条には「十方衆生のなかに浄土教を信受する機あり、信受せざる機あり」とあり、そこでは宿善の有無で説明されている(129)。『唯信抄』によった文章である。

続いて覚如上人は文証を挙げられる。『慕帰絵詞』のほうは『大経』「往覲偈」と『往生礼讃』「初夜偈」である。『最須敬重絵詞』のほうは「往覲偈」のほかに「就中和尚『清浄覚経』の文を引て」といわれ、「定善義」地観の文を指示されている。そして覚如上人は経にも釈にも明文があるのであるから、どうして宿善の有無を問題にすべきでないというのかといわれるのである。

それに対して唯善は、それでは念仏往生ではなく宿善往生ではないかといったのであるが、覚如上人は「宿善によて往生するとも申さばこそ宿善往生とは申されめ、宿善の故に知識にあふゆへに聞其名号信心歓喜乃至一念する時分に往生決得し定聚に住し不退転にいたるとは相伝し侍れ、これをなんぞ宿善往生とはいふべき哉」「宿善の当体をもて往生すといふ事は始より申さねば宿善往生とかけりおほせらるゝにおよばず。」と答えられている。宿善によって往生するというのではなく、宿善のゆえに善知識に遇い聞信するというのである。そして『最須敬重絵詞』のほうは「往生の因とは宿世の善もならず、今生の善もならず、教法にあふことは宿善の縁にこたへ、往生をうくることは本願の力による」といわれている。宿善は遇法のためのものであり、往生は本願力によるということを明確に区別されているのである。良忠と全く同じ言い方である。そして親鸞聖人の「遇獲信心遠慶宿縁」の文を引かれている。これは『浄土文類聚鈔』であり、なぜ「総序」でないのか不思議に思うが、後の蓮如上人も用いられる文である。

ここで両者は口を閉ざし、伊勢入道行願の評が述べられるのであるが、後年の『執持鈔』第四条に「光明名号の因縁」が説かれている。「行文類」の光号因縁釈に基づくものであるが、「行文類」にはなかった宿善を取り入れ、光明の縁によって宿善のたねがきざし、名号の因を得て信心をおこすということが述べられている。宿善のところを取り上げれば、

このひかりの縁にあふ衆生、やうやく無明の昏闇うすくなりて宿善のたねきざすとき、まさしく報土に生るべき第十八の念仏往生の願因の名号をきくなり(130)。

とある。同じ内容が『口伝鈔』第二条にも出ているが、そこでは善知識が加わっている。後に蓮如上人が五重の義を立てられる原形と見られている。そして後半に説かれる日輪の譬は『口伝鈔』第三条にも出ているが、ともあれ、「光明の縁によって宿善のたねがきざす」という言い方は諍論のときにはなかった表現である。『口伝鈔』第二条には「光明の縁にもよほし育てられて(131)」とある。宿善の他力性をあらわそうとされたものであろう。宿善といえば、どうしても自力的傾向を免れない。そこでそれをやわらげようとされたものではなかろうか。

また『慕帰絵詞』には、『改邪鈔』述作の理由が記された後、「過去に五戒をよくたもちければこそ、はたして今生に五常をかしこくはしれゝとおぼゆ(132)」とあり、過去世の五戒によって今生に五常を守ることができると述べられている。先学は覚如上人が五常という儒教倫理を真宗に導入されたことを問題にされているが、今「過去に五戒をよくたもちければこそ」とあるところに注目すると、覚如上人の宿善の内容が知られるのである。

なお『改邪鈔』第八条、第九条に宿縁の語が出ているが、親鸞聖人がいわれたような宿縁の意味ではなく、宿世からの因縁というほどの意味であろうと思われる。

こうして覚如上人における宿善とは、遇法の遅速を説明するために導入されたもので、決して往生とは結びつかないが、親鸞聖人の宿善観や宿縁観とは異なる。むしろ良忠を受けているのではないかと思われる。そしてその内容は過去世に五戒を持ったことのようである。


(127)『口伝鈔』第四条(『真聖全』三・七、八頁)
(128)『口伝鈔』第十四条(『真聖全』三・二三頁)
(129)『口伝鈔』第二条(『真聖全』三・三、四頁)
(130)『執持鈔』第四条(『真聖全』三・四○頁)
(131)『口伝鈔』第二条(『真聖全』三・四頁)
(132)『慕帰絵詞』巻十・第一段(『真聖全』三・八一一頁)
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真宗における宿善観の一考察(16)

2016年03月29日 | 未発表論文
【2003年に提出した輔教論文をそのまま転載】

   九、覚如上人の宿善観

覚如上人は二十五歳で『報恩講私記』、二十六歳で『親鸞聖人伝絵』、三十二歳で『拾遺古徳伝』を著され、それからしばらくおいて、五十七歳で『執持鈔』、六十二歳で『口伝鈔』、六十八歳で『改邪鈔』を著された。その『執持鈔』『口伝鈔』『改邪鈔』に宿善の語が見られるのであるが、早く『拾遺古徳伝』に「これみな聖人の教誡、過去の宿善にあらずや(119)」という用例がある。また『報恩講私記』には「しかるあひだ宿因多幸にして」とあり、『拾遺古徳伝』には「宿縁もともありがたしとて」という用例も見られる(120)。しかし、今は本稿の冒頭に触れた唯善との諍論に注目したい。そこに覚如上人の宿善に対する考えが示されているからである。もっとも、それを記した『慕帰絵詞』は覚如上人没後十ヶ月ほどで著され、『最須敬重絵詞』はそれから約一年後の成立である(121)。覚如上人の伝記資料としては一級であるが、思想研究の対象としては上人の著述でないため二次資料といわざるをえない。それでも『慕帰絵詞』は覚如上人の二男・従覚上人、『最須敬重絵詞』は高弟・乗専が著されたものであるから、全幅とまではいかないにしても、信頼してよいであろう。両者を比較すると、『最須敬重絵詞』のほうが詳しく述べられている。

いったい、この諍論はいつ行われたのであろうか。『慕帰絵詞』は「いにしへ」といい、『最須敬重絵詞』は「或時」というだけで、年時の記載がない。ただ『慕帰絵詞』に「昔は大谷の一室に舅・甥両方に居住せしにつきて」とあるから、二人が大谷に居住していたときであったことは知られる。佐藤正英氏は、永仁元年(一二九三)から正安四年(一三○二)、覚如上人二十四歳から三十三歳と推定されている(122)。若い頃の出来事であった。

諍論の発端は、覚如上人が「往生は宿善開発の機こそ善知識に値てきけば、即信心歓喜するゆへに報土得生すれ」「いま聞法能行の身となるは善知識にあへる故なり、知識にあふことは宿善開発のゆへなり、されば聞て信行せん人は宿縁を悦べし」といわれたことにある。ここに「宿縁」とあるが、後に「宿善の縁」といわれているので、宿善と同じであろう。また「宿善開発」という語が用いられているが、『往生要集』に出てきた言葉であった。その宿善開発の機が善知識に値い、聞法獲信して往生を得るというのである。宿善と善知識は、『口伝鈔』第二条に「宿善開発する機のしるしには、善知識にあふて開悟せらるゝとき(123)」とあり、『改邪鈔』第一条にも「宿善開発の機として他力往生の師説領納せば(124)」とあり、同第八条にも「宿善のある機は正法をのぶる善知識にしたしむべきによりて(125)」と述べられている。ただ、それらの著作における善知識は、いわゆる三代伝持した覚如上人自身とされる趣があり、それによって各地に散在する門徒を本願寺に統一しようとされたのであるが、諍論のときにそうした善知識観をもっておられたかどうか疑問である。また宿善によって善知識に遇うというのは、すでに『安楽集』に見られることで、覚如上人の独創ではない。なお、『改邪鈔』第十五条には、「宿善もし開発の機ならば、いかなる卑劣のともがらも願力の信心をたくはへつべし(126)」とあり、宿善と信心が直結し、善知識を媒介としていない表現が見られる。


(119)『拾遺古徳伝』巻八・第三段(『真聖全』三・七五○頁)
(120)『報恩講私記』(『真聖全』三・六五六頁)、『拾遺古徳伝』巻四・第五段(『同』三・七一一頁)
(121)覚如上人は観応二年(一三五一)一月十九日八十二歳で示寂された。『慕帰絵詞』は同年十月三十日に著され、『最須敬重絵詞』は翌年の十月十九日に著されている。
(122)佐藤正英氏『歎異抄論註』六四頁。
(123)『口伝鈔』第二条(『真聖全』三・四頁)
(124)『改邪鈔』第一条(『真聖全』三・六五頁)
(125)『改邪鈔』第八条(『真聖全』三・七二頁)
(126)『改邪鈔』第十五条(『真聖全』三・八○頁)
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真宗における宿善観の一考察(15)

2016年03月28日 | 未発表論文
【2003年に提出した輔教論文をそのまま転載】

ところで、親鸞聖人の宿善については「行文類」に引かれた『平等覚経』の文も見ておかねばならない(110)。『大阿弥陀経』の第四願文(大経の第十七願に相当する)を引かれた次の引文である。第十七願文(大経の第十七・第十八願)と第十九願文(大経では第二十願に展開する)と阿闍世王太子聞法得益の文が、乃至の言を置くことなく、一連に引かれている。そして乃至を置いて「往覲偈」の文が引かれているのであるが、阿闍世王太子の文と「往覲偈」の文が宿善を示していると見られるからである。しかし「行文類」で問題となるのは、第十七願文の引用は当然であるが、なぜ第十九願文と阿闍世王太子の文が引かれるのか、しかも一連に引かれる意図は何かということである。それについてまず、第十九願文を引用するなら、『大阿弥陀経』で第四願を引いた後、続いて第五願(平等覚経の第十九願に相当する)を引用してもよいように思われるが、その願文を見ると、次のようになっている。

某作仏せしめん時、八方・上下の諸の無央数の天・人民及び蜎飛・蠕動の類、若し前世に悪を作すに、我が名字を聞きて、我国に来生せんと欲はん者、即便ち反りて自を政し過を悔い、道の為に善を作し、便ち経戒を持して、願じて我が国に生れんと欲ひて、断絶せざらしめん、、寿ち終りて皆泥犁・禽獸・薜茘に復らずして、即ち我が国に生れて、心の所願に在らしめん。是の願を得ば乃し作仏せん。是の願を得ずば、終に作仏せじ(111)。

ここでは、前世に悪をなした者が阿弥陀仏の名字を聞き願生することによって過を悔い道のために様々な善をなすことが誓われている。全く自力作善往生であるから「行文類」に引かれなかった理由は明白である。それに対して『平等覚経』の第十九願は、

我作仏せむ時、他方仏国の人民、前世に悪の為に我が名字を聞き、及び正しく道の為に我国に来生せむと欲はむ。寿ち終へて皆復た三悪道に更らざらしめて、則ち我国に生れむこと心の所願に在らむ。爾らずば、我作仏せじと。

となっている。ただし、親鸞聖人は重要な読みかえをされているのであって、原文に「前世為悪聞我名字及正為道」とあり、普通なら「前世に悪を為すとも我が名字を聞き、及び正しく道を為して」と読むべきところである。また「及」は「反」の誤字と見る説があり、そうであったとすると、前世に悪をなした者も阿弥陀仏の名字を聞き、悪心をひるがえして正しく道をなし願生するということになり、『大阿弥陀経』の第五願に近くなる。しかし、親鸞聖人の所覧本は「及」になっていたのであろう。それによって、しかも「前世に悪の為に我が名字を聞き、及び正しく道の為に」と読みかえられているのである。つまり、悪の状態が契機となって名字を聞くのである。そこにおいては、悪をひるがえして善をなすという『大阿弥陀経』の内容は消え去り、悪人のままで聞名することになっている。そのことをあらわすために第十九願文を引用されたのであろう。即ち、第十七願の名号が悪人にこそ向かっているということをあらわそうとするものであったと考えられる。そのために乃至の言をあえて置かず、第十七願の内容として引用されたのであろう(112)。

そして、阿闍世王太子の文については、阿闍世王太子の定義をめぐって、阿闍世とする説とその子の和休太子とする説がある。後者のほうが有力視されているが、和休太子のこととすれば、聞経の宿善を示す引文ということになる。たとえば深励師は、「此の経は過去の宿善なくしては、聞かれぬと云ふことを顕すなり。これが即ち、此の経の聞き難き事を讃嘆する文なり。この経をほめるは此の経所詮の名号を讃嘆するなり。そこでこの経文が名号讃嘆になるなり(113)」といわれている。しかし宿善をあらわす引文であるなら、なぜ乃至の言がなく一連の引用という形態をとらねばならないのであろうか。深励師もそれについては言及されていない。

一方、阿闍世のこととする説では、先ほどの「悪の為に」という悪人を具体的に示した引文と考えられている。たとえば石泉師は、「其の為悪の者、定んで何等の人ぞ、次の文の阿闍世是れなり」といわれている(114)。ただ石泉師はそれ以上の展開はないようであるが、阿闍世ということになれば、「信文類」逆謗摂取釈において『涅槃経』を引用され、阿闍世の回心の物語が述べられているから、「行文類」と「信文類」の照応が考えられ、今の文は逆謗摂取釈の予型と見ることができる。また「行文類」の引用中においても、第十七願の名号は悪人にこそ向かい、その悪人とは具体的に阿闍世ということになって、乃至を置かず一連に引かれる意図も明らかになるであろう。したがって親鸞聖人の引意においては阿闍世を想定していると考えられ、宿善を示すための引文ではないということになる。

ただ内容の上では、阿闍世王太子と五百の長者子が無量清浄仏の二十四願を聞いて歓喜し、無量清浄仏のようになりたいと願い、仏はそれを授記される。そして彼らについて、四百億の諸仏を供養してきたこと、前世にわが弟子であったことを述べられているから、どう見ても宿善を説いたとしか理解できない。しかし、阿闍世王太子の文は『大阿弥陀経』と『平等覚経』のみにある。他からの挿入・付加と考えられているが(115)、『大経』以降になると、第十八願に『大阿弥陀経』『平等覚経』になかった唯除の文が加えられてくる。つまり、阿闍世王太子の文と唯除の文は重なっているのであって、阿闍世王太子の文を引かれているということは唯除の文を出されていることになるのである。『平等覚経』の次に『悲華経』の第十八願文が引用されているが、そこには唯除の文まで引かれている。そこで、阿闍世王太子の文は、内容としては宿善を示しているが、それを示すために引文されたのではなく、第十七願の名号が唯除の機を救済していくということをあらわすための引文であったと考えられるのである。

次に「乃至」として「往覲偈」の文が三十六句引かれている。原文と対照すると、飛び飛びの引用であり、前と同じく本来なら乃至の言を置くべきであるのに一連の引用になっている。しかし先学は、これについては何も問題にされていない。親鸞聖人の中でも一連の文章であったと考えておきたい。そこに『大経』の「若人無善本」等に相当する文が引かれている。即ち、

是の功徳有るに非ざる人は 是の経の名を聞くことを得ず 唯だ清浄に戒を有てる者の 乃し還りて斯の正法を聞く 悪と◇慢と弊と懈怠のものは 以て此の法を信ずること難し 宿世の時仏を見たてまれる者の 楽むで世尊の教を聴聞せむ

という文である。同様の文が「化身土文類」真門釈にも引用されている(116)。先に「化身土文類」を見ておくと、真門釈の引文はまず『大経』の第二十願文と信罪福心の文が引かれ、次に「若人無善本」等の文が引かれている。前に述べたように、親鸞聖人によれば善本とは名号のことであり、それを積植していくことであるから、「若し人善本無ければ」というのは真門自力念仏の法となる。また「清浄に戒を有てる者」というのは、戒は万善の原始であって諸行を指すから、要門諸行往生の法となる。それがなければ聞法できないということで、第十九願も第二十願も宿善位、つまり弘願に至る方便位ということをあらわすのである。そして『如来会』の引文があって、次に『平等覚経』の先ほどの文が引用されている。『大経』と対応させれば、「是の功徳」が真門の法、「戒」が要門の法ということになる。『大経』を助顕するものと見られる。ただ要門・真門に功があって弘願に帰入するのではなく、要門・真門の自力を捨てて弘願の他力に転入するのであるから、要門・真門の宿善は捨てものであることに注意しておかねばならない。その上で「行文類」の『平等覚経』を見てみると、ただち宿善の必要を説いたものとは考えられない。阿闍世王太子の文が「信文類」の逆謗摂取釈への予型であるなら、今の文は「化身土文類」の三願転入への予型と考えられないであろうか。即ち、第十七願の名号は阿闍世の悪人を救済すると同時に、宿善を有する善人をも救済していく法であることをあらわそうとするものではないかと思われる。

次に宿縁について見てみよう。親鸞聖人は何の規定もされることなく唐突に宿縁の語を用いられている。もう一度、前の文から取り上げると、

噫、弘誓の強縁多生にも値ひ◇く、真実の浄信億劫にも獲◇し。たまたま行信(信心)を獲ば遠く宿縁を慶べ。

といわれている。「弘誓の強縁」に値うことによって「真実の浄信」が獲られるのであるが、「弘誓の強縁」は「多生にも値ひ◇」いものであるから、「真実の浄信」もまた「億劫にも獲◇」いのである。しかし、「たまたま」はからずも、値いがたい「弘誓の強縁」に値い、獲がたい「真実の浄信」が獲られたので、「遠く宿縁を慶べ」といわれているのである。そこで、「弘誓の強縁」に値わせ、「真実の浄信」を獲させたものが宿縁ということになる。それはいかなる内容であろうか。

宿縁という語は「序分義」と『往生要集』に出ていたが、その内容に立ち入ったのは『往生拾因』であった。『西方指南抄』にも同趣旨のことが説かれているから、親鸞聖人も受容されていたと考えられる。とくに『往生拾因』では「宿縁深厚故」の中に『悲華経』が引用されていたが、親鸞聖人も「行文類」に二回、「化身土文類」に一回、『三経往生文類』に一回引用されている(117)。それについて菅野隆一氏は、貞慶・明恵の『悲華経』に基づく釈迦中心信仰が背景にあると指摘されている(118)。即ち、「行文類」に憬興の『述文讃』が十文引かれているが、その第九文に、

既に此土にして菩薩の行を修すと言へり。即ち知んぬ、無諍王に此の方に在ますことを。宝海も亦た然なり。

とある。それは、貞慶・明恵が娑婆と釈尊は因縁が深いが、阿弥陀仏とは因縁が浅いと見るのに対応したもので、阿弥陀仏も無諍念王の因位のとき、この娑婆で菩薩の行を修されたのであるから、因縁の浅からざることを明かそうとしたものであるというのである。とすれば、親鸞聖人も阿弥陀仏との因縁を容認されているのであって、『往生拾因』の「宿縁深厚故」を受容されていると考えてよいであろう。そこで、遠い宿世から阿弥陀仏と因縁が深かったからこそ、はからずも信を獲ることができたのである。それ故、その宿縁を慶ばれたものと思われる。したがって、親鸞聖人の宿縁は阿弥陀仏との因縁をいうのであって、宿善とは別と見られる。


(110)「行文類」大行釈(『真聖全』二・七~八頁)
(111)『大阿弥陀経』巻上(『真聖全』一・一三七頁)
(112)岡亮二氏『「教行信証」「行巻」の研究─第十七願の行の解明─』一九五~二○○頁、井上善幸氏「『行文類』における『平等覚経』引文について」(『教学研究所紀要』第十号、参照。
(113)深励『教行信証講義』(『仏大』四六・教行信証第二・五六六頁)
(114)石泉『文類述聞』二・九丁左。
(115)藤田宏達氏『大無量寿経講究』五六頁。
(116)「化身土文類」本・真門釈(『真聖全』二・一五八~一五九頁)。
(117)「行文類」大行釈(『真聖全』二・八、二六頁)、「化身土文類」要門釈(『同』二・一四四頁)、『三経往生文類』(『同』二・五五五頁)
(118)菅野隆一氏「親鸞と『悲華経』」(『印仏研』第三十六巻第一号)
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真宗における宿善観の一考察(14)

2016年03月27日 | 未発表論文
【2003年に提出した輔教論文をそのまま転載】

   八、親鸞聖人の宿善観

親鸞聖人は数多い著述の中で一度も宿善の語を用いられていない。『執持鈔』第四条や『口伝鈔』第三条には親鸞聖人の仰せとして宿善があらわれるが、もちろん覚如上人の言葉と見るべきである。類語としては『浄土和讃』「観経讃」に宿因の語を用いられているが(101)、今の宿善とは別である。ただ『教行証文類』総序と『浄土文類聚鈔』に「遠慶宿縁(102)」といわれている。先哲はこれを宿善と同義と見られるのであって、たとえば石泉師は「宿縁は亦宿善と曰ふ。宿世の善根を縁と為して、以て行信を獲(103)」といわれ、月珠師も「宿縁とは、亦宿善と云ふ、宿世の善、今得の縁と為す、故に宿縁と云ふ(104)」といわれている。ところが智暹師は、

宿縁とは謂く宿世の因縁なり。因縁は即ち感応なり。因は衆生に在り、縁は如来に在り。……今将に仏力を談ずべきが故に宿縁と云ふ。その結縁は法蔵菩薩の永劫修行の時に在ることを知らしめんが故に遠慶と云ふ(105)。

と述べられている。即ち、宿縁は宿世の因縁であるが、宿因といわず宿縁といわれたのは、因は衆生の側であり、縁は仏の側であって、今は仏力を談ずるところであるから宿縁といわれたというのである。大派の宣明師や深励師も同意見である(106)。宿縁が仏力をあらわすとすれば、宿善は衆生の側であるから別ということになる。もっとも当相自力体他力といえば一つになるが、今は一往、分けて考えることにしたい。

さて、親鸞聖人に宿善の用例がないからといって、その考えがなかったとはいえない。『唯信鈔文意』に、

過去久遠に三恒河沙の諸仏のよにいでたまひしみもとにして自力の大菩提心をおこしき、恒沙の善根を修せしめしによりて、いま大願業力にまうあふことを得たり、他力の三信心をえたらんひとは、ゆめゆめ余の善根をそしり、余の仏聖をいやしうすることなかれとなり(107)。

といわれている。『安楽集』所引の『涅槃経』による文である。「恒沙の善根」を修したことによって「いま大願業力」に遇ったというのであるから、まさに宿善が認められている。しかし、同じく『涅槃経』によりながら、『正像末和讃』では、

三恒河沙の諸仏の
出世のみもとにありしとき
大菩提心おこせども
自力かなはで流転せり(108)

と詠われている。三恒河沙の諸仏に値い自力の大菩提心を発したけれども、むなしく流転してきたというのであるから、宿善が何の役にも立たなかったということである。『唯信鈔文意』と真反対であり、『正像末和讃』のほうによれば、宿善によって何が知らされたのかというと、「自力かなはで流転せり」とあるように、自力無功ということである。それゆえに他力に乗託するのであって、親鸞聖人にとっての宿善とは、機の深信を徹底させ、二種深信であらわされるような信心を成立させるためものであったということができる。即ち、宿善がそのまま必要なのではなく、否定媒介となって信心を実現させるのである。いわば捨てものである。その捨てものの宿善を慶ぶということはありえないから、やはり宿善と宿縁は別と考えねばならないであろう。

では、一方の『唯信鈔文意』はどうかというと、明らかに宿善が役に立っている。捨てものではないようである。しかし最後に「ゆめゆめ余の善根をそしり、余の仏聖をいやしうすることなかれとなり」といわれ、念仏者の倫理を示して結ばれている。元来、今の文は『法事讃』の「極楽無為涅槃界 随縁雑縁恐難生」等の文を釈するところに出るものであって、随縁の雑縁を八万四千の法門とされ、それらは自力の善根であるから真実報土に生まれることはできないといわれ、一行一心なる人を阿弥陀仏は摂取して捨てたまわない等と述べられている。そこで、過去に諸仏と遇い善を修してきたという縁があることを示して、余の善根や余の仏・菩薩を謗ったり卑しめることを誡められているのではなかろうか。つまり倫理を説く根拠として三恒河沙の文が用いられているのであって、宿善に功あることを示そうとされたものではないと思われる。

宿善が役に立たないことは、『御消息集』第四通にも次のようにいわれている。

世々生々に無量無辺の諸仏・菩薩の利益によりて、よろづの善を修行せしかども、自力にては生死をいでずありしゆへに、曠劫多生のあひだ諸仏・菩薩の御すゝめによりて、いままうあひがたき弥陀の御ちかひにあひまいらせてさふらふ……(109)

この消息も念仏者の倫理を示されたものであるが、ここでも「自力にては生死をいでず」と自力無功であったことが示されている。そして、その間も諸仏・菩薩は「弥陀の御ちかひ」を勧めておられたのであって、今本願に値遇できたのは諸仏・菩薩のおかげであるから、軽んじてはならないと誡められているのである。ここでは誡めの根拠が「諸仏・菩薩の御すすめ」となっていて、三恒河沙の文は用いられていない。『唯信鈔文意』の場合は「余の善根をそしり」ということも誡めの対象になっているので、三恒河沙の文を用いられたが、今の誡めの対象は「よろづの仏・菩薩」「よろづの神祇・冥道」であるから、三恒河沙の文を用いる必要がなかったものと思われる。したがって、親鸞聖人の宿善観の基本は『正像末和讃』に示されたものであって、自力無功を思い知らせるためのものであったと考えられる。


(101)『浄土和讃』観経讃(『真聖全』二・四九四頁)
(102)『教行証文類』総序(『真聖全』二・一頁)、『浄土文類聚鈔』(『同』二・四四七頁)
(103)『文類述聞』一・八丁左。
(104)『広文類対問記』上・三五頁。
(105)『教行信証文類樹心録』巻一(『真全』三六・六頁)
(106)宣明『教行信証講義』(『仏大』四六・教行信証第二・一八一頁)、深励『教行信証講義』(『同』一八九頁)
(107)『唯信鈔文意』(『真聖全』二・六三三~六三四頁)
(108)『正像末和讃』三時讃(『真聖全』二・五一八頁)
(109)『御消息集』第四通(『真聖全』二・七○○頁)
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真宗における宿善観の一考察(13)

2016年03月26日 | 未発表論文
【2003年に提出した輔教論文をそのまま転載】

ここで法然聖人門下の宿善観を見ておこう。今日まで門流が伝わっているのは真宗以外、鎮西派と西山派であるが、宿善に関して鎮西派は無宿善往生を立て、西山派は二類各生を立てたといわれる。覚如上人が宿善を取り入れられたのは西山派の影響という指摘があるが(93)、今取り上げたいのはむしろ鎮西派・良忠の『伝通記』である。そこに、

問。一切往生する者は必ず宿善に由ると為ん。答。本願に値遇することは宿善に由り、往生を遂ぐることは本願力に依る。大師(善導)往往に皆、上尽一形十念と云ひて往因を言はず。若し宿善ならば第十八願の順次直因、有名無実ならん。信に知んぬ、本願は一世の念仏にして宿善を仮らざることを(94)。

といわれている。これが無宿善往生を示すといわれるのであるが、前の「往生浄土用心」と同じように、宿善によって往生するのではなく、本願力によって往生するという内容である。宿善が関わるのは本願値遇であって、往生ではないのである。実は覚如上人も同じことをいわれるので、注意しておきたい。

法然聖人門下の重鎮・幸西大徳は、親鸞聖人に大きな影響を与えたことで知られている。その『玄義分抄』の中に、

常没の衆生の中に旧発意新発意を弁ずべし。旧発(意)といは定善義の中に云が如し。過去已曾修習此法今得重聞即生歓喜正念修行必得生也 云云 此の旧発意の為には平等報身の実義を説く。新発意といは宿福深義に及ばず、悪性、真門に侵り難き行者なり。若し報身高妙の土を聞かば心則ち驚怖せむ(95)。

といわれている。これは、「玄義分」の是報非化を論ずるところで、阿弥陀仏が報身であるなら常住であるはずなのに、どうして『観音授記経』には阿弥陀仏に入涅槃の時があると説かれているのかという問いに対して、善導大師は入・不入の義を解明していかれるが、そこに『大品経』涅槃非化品を引用されている。その引意を明かす釈の中に出てくる文であって、ここに幸西大徳は常没の衆生の中に旧発意と新発意を分け、旧発意を説明されるのに「定善義」地観の釈を引用されている。「過去に已に曾て此の法を修習して、今重ねて聞くことを得て」というところを取り出しているから、宿善の深厚なる者ということである。そして新発意について「宿福深義に及ばず」といわれるのは、宿善が熟していないから深義を理解できない者ということである。つまり浄土の教法を聞くのに、宿善の厚い者と薄い者を分けられているのである(96)。これは『往生要集』にも見られたが、後の覚如上人もされる言い方である。

次に真宗において聖教に加えられる聖覚法印の『唯信抄』を見ておくと、本文は正義の顕彰と異義の批判に分けられ、後半の異義批判に五つの疑義が挙げられている(97)。その第三・業障釈義と第四・宿善釈疑が先に触れた『往生拾因』によるもので、『唯信抄』のほうが詳しいが、内容に大差はない。ただ宿善釈疑において『往生拾因』になかった次のような文が加わっている。

宿善のあつきものは今生も善根を修し悪業をおそる、宿善すくなきものは今生に悪業をこのみ善根をつくらず。宿業の善悪は今生のありさまにてあきらかにしりぬべし(98)。

そして「しかるに善心なし、はかりしりぬ、宿善すくなしといふことを。われら罪業おもしといふとも五逆をばつくらず、宿善すくなしといへどもふかく本願を信ぜり」といわれるのであるが、「宿善のあつきものは」「今生のありさまにてあきらかにしりぬべし」という言い方は、覚如上人も『口伝鈔』第二条にされている。

また「宿業の善悪」という語は『歎異抄』第十三条を想起させる。宿業の語はすでに善導大師や法然聖人も用いられているが(99)、『歎異抄』が同じ第十三条に『唯信抄』を引用しているところから見ると、その影響と見てよいであろう。しかし『歎異抄』は、

よきこゝろのおこるも宿善のもよほすゆへなり、悪事のおもはれせらるゝも悪業のはからふゆへなり。……さればよきこともあしきことも業報にさしまかせて、ひとへに本願をたのみまひらすればこそ、他力にてはさふらへ(100)。

といって、全く宿善を問題にしていない。むしろ第十三条は本願ぼこりに近い境位を示しているし、第三条には有名な悪人正機が説かれている。『歎異抄』から宿善を必要とするような発想は出てこないであろう。『歎異抄』の著者は唯円と考えられ、その弟子が唯善である。唯善の宿善不要論は唯円から来ていることは明らかである。ただし、覚如上人も唯円から習学し、『口伝鈔』第四条は『歎異抄』第十三条により、往生に対して宿善が作用しないことを述べられている。そこまでは唯円、唯善と同じなのであるが、その上に宿善の必要を説いていかれるのである。


(93)重松明久氏『覚如』一二七頁。
(94)良忠『定善義伝通記』第一(『浄全』二・三二○頁)。また『浄土宗要集』巻三(『浄全』十一・七一頁)にも同様の文がある。
(95)梯實圓氏『玄義分抄講述─幸西大徳の浄土教─』四六七頁。ただし、訓読は『同』三九○~三九一頁による。
(96)梯實圓氏『玄義分抄講述─幸西大徳の浄土教─』三八七~三九二頁参照。
(97)本文の上では四の疑義のように見えるが、正義顕彰の三心具足を述べた後、「つぎに本願の文にいはく……いまこの十念といふにつきて、人うたがひをなしていはく」以下、疑義が釈明されている。これは後の四疑義の根元をなすもので、改行はされていないが、ここから異義批判がはじまると考えられる。細川行信氏『真宗教学史の研究 歎異抄・唯信抄』二八八、三○九頁参照。
(98)『唯信抄』(『真聖全』二・七五四頁)
(99)「序分義」厭苦縁(『真聖全』一・四八四頁)。『和語灯録』巻二・浄土宗略抄(『同』四・六二六頁)、『拾遺語灯録』巻下・念仏往生義(『同』四・七四二頁)
(100)『歎異抄』第十三条(『真聖全』二・七八二、七八四頁)
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真宗における宿善観の一考察(12)

2016年03月25日 | 未発表論文
【2003年に提出した輔教論文をそのまま転載】

   七、法然聖人の宿善観

法然聖人の教義は選択本願念仏の一語に尽きる。阿弥陀仏はその本願において万人救済のために念仏一行を選択された。故に念仏申す者は必ず往生を得るというものである。それを組織大系化された『選択集』の中に宿善の語は全く見られない。選択本願念仏という法義において宿善は問題にされていないということである。ただ法語・消息類にいくつか見られる。

まず『和語灯録』「十二箇条問答」に、

ある時には、わが身の宿善をよろこぶべし。かしこきもいしきも、人おほしといへども、仏法を信じ浄土をねがふ物はまれ也。信ずるまでこそかたからめ、そしりにくみて悪道の因をのみきざす。しかるにこれを信じこれを貴びて、仏をたのみ往生を心ざす、これひとへに宿善のしからしむる也(79)。

といわれ、明らかに宿善が認められている。また『拾遺語灯録』「往生浄土用心」にも、

宿善によりて往生すべしと人の申候らん、ひが事にては候はず。かりそめのこの世の果報だにも、さきの世の罪、功徳によりて、よくもあしくもむまるゝ事にて候へば、まして往生程の大事、かならず宿善によるべしと聖教にも候やらん(80)。

といわれている。ここに「さきの世の罪、功徳」によって「この世の果報」が「よくもあしくもむまるゝ」といわれているが、同様の内容は他にも見られる。法然聖人は、現世の果報は前世の業によるという考えを認めておられたようである。しかし、法然聖人がいおうとされるのは、それは今生に変更できるものではないから、改めようとするより、そののままで念仏申せという点にあることを注意しておかねばならない(81)。たとえば『和語灯録』「禅勝房にしめす御詞」に、

念仏申す機は、むまれつきのまゝにて申す也。さきの世のしわざによりて、今生の身をばうけたる事なれば、この世にてはえなをしあらためぬ事也。たとへば女人の男子にならばやとおもへども、今生のうちには男子とならざるがごとし、智者は智者にて申し、愚者は愚者にて申し、慈悲者は慈悲ありて申し、邪見者は邪見ながら申す、一切の人みなかくのごとし。さればこそ阿弥陀ほとけは十方衆生とて、ひろく願をばおこしてましませ(82)。

と述べられていることによって知られよう。

ともあれ、「往生浄土用心」は続いて、

たゞし念仏往生は宿善のなきにもより候はぬやらん。父母をころし、仏身よりちをあやしたるほどの罪人も、臨終に十念申て往生すと、『観経』にも見えて候。しかるに宿善あつき善人は、おしへ候はねども、悪におそれ仏道に心すゝむ事にて候へば、五逆なんどは、いかにもいかにもつくるまじき事にて候也。それに五逆の罪人、念仏十念にて往生をとげ候時に、宿善のなきにもより候まじく候。
……弥陀は悪業深重の物を来迎し給ふちからましますと、おぼしめしとりて、宿善のありなしも沙汰せず、つみのふかきあさきも返りみず、たゞ名号をとなふるものゝ、往生するぞと信じおぼしめすべく候(83)。

といわれている。ここに「念仏往生は宿善のなきにもより候はぬやらん」「宿善のありなしも沙汰せず」とあり、宿善を否定されているのである。宿善の必要を正義とする真宗にあっては看過できるものではないので、先哲は消釈につとめられている。たとえば鮮妙師は「此宿善とは他力一乗の信を得るの宿善にあらず、自力善悪因果の理を示したるものにして、……獲信の宿因宿縁のことにあらず(84)」といわれ、杉紫朗氏は、過去の善根力がなくても願力の独り働きで往生を得ると示されたもので、一には願力の強縁を示し、一には宿善の有無に托して聞法念仏を懈怠する機を誡められたのであって、決して宿善不要を主張されたものではないといわれている(85)。

それよりも注目したいのは、下下品の五逆の者について、『安楽集』以来、宿善によって善知識に遇い臨終の十念を成就すると説かれてきたが、それを「宿善のなき」者と見られていることである。即ち、下下品の十念往生と宿善が切り離されているのである。法然聖人においては、宿善に基づく臨終十念ではなく、選択本願の念仏によって往生を得るのである。そこに宿善の有無は問題ではないとされているのである。つまり往生に宿善は関わらないのである。というと、前に「宿善によりて往生すべしと人の申候らん、ひが事にては候はず」といわれていたが、これは人の言葉である。そういう内容を示した聖教が確かにあるから、「ひが事にては候はず」といわれただけである。「往生浄土用心」でいおうとされているのは、宿善の有無に関わらず本願の念仏によって往生を遂げるということである。また前の「十二箇条問答」は仏法を信じ浄土を願うことと宿善が関わっている。しかし、法然聖人においてはあくまで往生と宿善は関わらないのである。

宿縁については『拾遺語灯録』「登山状」に次のように説かれている。

こゝにわれらいかなる宿縁にこたへ、いかなる善業によりてか、仏法流布の時にむまれて、生死解脱のみちをきく事をえたる。しかるをいまあひがたくしてあふ事をえたり(86)。

また「西山証空上人伝聞の御詞」にも出てくるが(87)、「法然聖人御説法事」における七々日の講説の文が注目される。即ち、

凡そ此土の衆生は弥陀如来に於て惣別の二の宿縁有り。先づ惣じての宿縁は、弥陀如来昔此界に於て発心修行し給しか故、此界の衆生に於て宿縁深き事一に非ず。云云 次に別して宿縁は、此界に於て宿縁浅からざるの上へに、過去前々の前凡夫、因位の昔、みたも此界に御す。我等も此土の衆生(な)るが故、往昔の古旧惟れ多し。生々の値遇一に非ず。或は父母親族とも為し、或は妻子眷属と為りき。世々所生の値遇結縁いくはく計哉(88)。

といわれている。ただし、この文は『西方指南抄』所収の「法然聖人御説法事」や『漢語灯録』所収の「逆修説法」にはなく、石井教道編『昭和新修 法然上人全集』に出ている。滋賀県安土の浄厳院所蔵「無縁集」を底本としたものである。しかし、内容の上では『西方指南抄』「要義問答」に対十方の問いに対して、「極楽この土に縁ふかし、弥陀は有縁の教主なり、宿因のゆへ、本願のゆへ(89)」とあり、「念仏大意」には、

三世の諸仏、十方の菩薩、おもへばみなこれむかしのともなり。釈迦も五百塵点のさき、弥陀も十劫のさきは、かたじけなく父母師弟とも、たがひになりたまひけむ(90)。

といわれ、「三部経大意」にも、

過去の諸仏も、現在の如来も、みなこれ宿世の父母なり、多生の朋友なり(91)。

といわれている。『往生拾因』の「宿縁深厚故」と同じであるから、それらは宿縁という語であらわされる内容といえるであろう。とすれば、『西方指南抄』「実秀の妻に答ふる書」に、

いまこの願にあえることは、まことにこれおぼろげの縁にあらず、よくよくよろこびおぼしめすべし(92)。

といわれる「縁」も宿縁のことと見られる。

こうして法然聖人は従来の宿善と十念往生を切り離され、本願の念仏によって往生を得ると説かれたのである。また、宿善とは別に『往生拾因』の宿縁を受容されていると考えられるのである。


(79)『和語灯録』十二箇条問答(『真聖全』四・六四○頁)
(80)『拾遺語灯録』巻下・往生浄土用心(『真聖全』四・七六三頁)
(81)矢田了章氏「法然における業の思想」(『真宗学』第六十号、参照。
(82)『和語灯録』巻四・禅勝房にしめす御詞(『真聖全』四・六三二頁)
(83)『拾遺語灯録』巻下・往生浄土用心(『真聖全』四・七六三、七六五頁)
(84)鮮妙『宗要論題決択編』(『真叢』二・一三○頁)
(85)杉紫朗氏「御文章要義講話」(『御文章講話』所収 二○四頁)
(86)『拾遺語灯録』巻中・登山状(『真聖全』四・七○九頁)
(87)「西山証空上人伝聞の御詞」(『法然全』七五四頁)
(88)「法然聖人御説法事」(『法然全』二三一~二三二頁)
(89)『西方指南抄』巻下末・要義問答(『真聖全』四・二三八頁)
(90)『西方指南抄』巻下末・念仏大意(『真聖全』四・二三○頁)
(91)「三部経大意」(『真聖全』四・七九三頁)
(92)『西方指南抄』巻下本・実秀の妻に答ふる書(『真聖全』四・一八三頁)
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真宗における宿善観の一考察(11)

2016年03月24日 | 未発表論文
【2003年に提出した輔教論文をそのまま転載】

珍海の『決定往生集』は、浄土の教えは時機相応の法であるにもかかわらず、信じ得ない者がいるので、文理を考え疑いを流し、決定往生の安心を得て来迎を期せんとして著されたものである。そこではまず決定往生について教文・道理・信心の三事を示し、教文・道理の中に信受が生じれば決定であり、その無疑心、つまり信心によって往生を得るとしている。そして信心決定を果決定・因決定・縁決定の三種に分かち、それをさらに十門に分けて説明している。その十門が本書の中心をなすのであるが、第四・種子決定のところに宿善が詳しく述べられている(75)。即ち、

西方の行者、必ず宿善有り。

といって、『大経』『念仏三昧経』『平等覚経』を引用し、「安養の行者、宿善既に大なり。甚だ自愛すべし。ゆめゆめ軽んずることなかれ。自づと知る、宿福甚幸、何ぞ当来の勝利を疑わん」と述べている。『大経』の引文は「若人無善本」の文であり、ここに宿善の出拠として明確に取り上げられているのである。また『平等覚経』の引文は『安楽集』や「定善義」に取意されるものではなく、その直前の文であることは前に述べた。

そして『群疑論』の別時意会通の釈(76)によって四種の機類を挙げていくが、まず第一類は「西方の浄土の教門を聞きて誹謗毀砦して修行せざる」者であり、第二類は「謗ぜずと雖も五欲心に纏ひ往生を願わざる」者である。この二類に宿善があるのか、宿善のある者が浄土の教えを聞くことができるというのはどういうことかと問い、この二類は浄土の教えを聞いているが、聞かないのと同じであって、善本はない。宿善があるというのは信楽する者についていうのであると答えている。いわゆる無宿善の機ということになる。

さらに第三類は「阿弥陀仏と宿願の縁有り、浄土の教を聞き、浄土を願求す。而も復た懈怠にして更に十悪を造る。或いは重病心を失ひ、或いは善友に逢わず、但だ是れ空願、未だ修行有らざる」者であり、第四類は「煩悩微にして願行具足する」者である。懐感の釈では、第三類は前の二類と比べると遠生の義があり、それを別時意といい、第四類は即時に往生するので別時意ではないというのであるが、珍海は第三類も善友に遇い改悔して努め励むなら往生を得るといい、第四類と同ずることができると述べている。この第三類、第四類が前の二類に対して宿善の機ということになる。

次に問いを起こして、現に今の学者が、①もし過去世に道心を発して善本を積んだ者は現世に少念であっても往生を得るといい、②もし過去世に大善がなければ今どれほど勤めても往生できないというが、この義はどうか、というのである。①は宿善があり現世の念仏が少なくても往生可能とするものであり、②は宿善がなく今世の念仏が大であっても往生不可ということである。それについて珍海は「此の義然らず」といい、念仏の人には皆宿善があり、今生に勤励すれば皆往生を得るといって、「念仏して浄土を勤求す、定んで往生を得。必ず善本有りて種子と為すなり」と答えている。これは②の見解に対するものであり、今生に念仏を励む者には必ず宿善があり、往生を得るというのである。そして、

宿善を執じて今業を廃することなかれ。故に経に説きて言ふ、一世の勤苦は須臾の間なりと雖も、後に無量寿国に生じて快楽無極なりと云云 既に一世の勤苦と言ふ。必ずしも宿善を須ひざるなり。

と述べている。これが無宿善往生を示す文として注目されてきたのであって、引文の経は前に述べた『大経』である。良忠は『伝通記』に「珍海此の文を引きて以て無宿善往生の証と為す」と割註している(77)。しかし、今の文は宿善を否定したというより、①の見解に対するものと思われる。即ち、宿善があるからといって現世の念仏を疎かにしてはいけないということであろう。ゆえに「宿善を執じて今業を廃することなかれ」というのである。『往生要集』に「設ひ宿善有りとも、若し十念無くば、定んで無間に堕して等といわれるのと同じである。また宿善不要というのであれば、第一、第二の機類と第三、第四の機類に分けた意味がなくなってしまう。前二類の往生について何も述べていないからである。珍海においてはやはり「西方の行者、必ず宿善有り」が基本であろう。ただ、それを疑ったり、それに執じたりすることを問題にしているのである。そして最後に「自ら宿善の有無を疑ひて更に往生の大利を失ふことなかれ」と結ばれている。

珍海は永観と同じく「散善義」の信機釈を引用していないが、『往生礼讃』の信機釈に注目し、第三・昇道決定に引用している(78)。そこで永観よりは罪悪意識が深化しているといえるが、「散善義」でないところに宿善の受容があるのであろう。

なお、第三類を説明するところに「宿縁」の語が二回出ているが、第三類は「阿弥陀仏と宿願の縁有り」という機類であるから、『往生拾因』の「宿縁深厚故」と内容的に同じであると思われる。


(75)『決定往生集』(『浄全』一五・四八四~四八五頁)
(76)『群疑論』巻二(『大正蔵』四七・四○頁上、中)
(77)『定善義伝通記』第一(『浄全』二・三二○頁)。また『浄土宗要集』巻三(『浄全』十一・七一頁)にも同様の文がある。
(78)『決定往生集』(『浄全』一五・四八三頁)
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真宗における宿善観の一考察(10)

2016年03月23日 | 未発表論文
【2003年に提出した輔教論文をそのまま転載】

   六、永観・珍海の宿善観

永観・珍海は、東大寺三論宗系の浄土教家で、『往生要集』に見られなかった「散善義」就行立信釈の称名正定業説を引用し、法然聖人に大きな影響を及ぼしたことで知られている。宿善については珍海の『決定往生集』に無宿善往生が示されているとして注目されるのであるが、まず永観の『往生拾因』から見てみよう。念仏が往生の業因であることを十の理由(因)を挙げることによって証明していくものであるが、最も基本となるのは第十因の「随順本願故」である。一心に阿弥陀仏を称念したてまつれば、本願に随順するが故に必ず往生を得るというのである。そして、では本願に随順する念仏でどうして往生が可能なのかというと、まず第一因の「広大善根故」であるからである。一心に阿弥陀仏を称念したてまつれば、広大善根の故に必ず往生を得るというのである。そこでは『阿弥陀経』『称賛浄土経』『西方要決』等を引き、名号には万徳が具足し、真言陀羅尼や法華三昧の行にも超え勝れているから、ただ仏名を称すれば何の留難もなく往生することができると述べて、

我等何なる宿善有りてか、幸いに今此の仏号に値へり。無上の功徳、求めざるに自づと得たり。浄土の業、便ち以て足ぬと為す(68)。

といわれている。ここに宿善の語が出てくる。

そして、疑いをなす者の言葉を挙げて、その疑念をはらしていくのであるが、聖覚法印の『唯信抄』にはそれによった釈疑があり、興味深いのであるが、今は宿善に関するところだけ取り上げる。即ち、

疑者の云く、彼の造罪の者は宿善強きに由て命終の時に臨みて善知識に遇ひ十念を具足して即ち往生を得。又た仁(なんぢ)が疑に由ていよいよ以て増信す。逆者の十念すら宿善尚を強し、何に況んや一生不退の念仏をや(69)。

といわれている。疑者が問題にしているのは『観経』下下品である。五逆の者といっても宿善が強かったから善知識に遇い十念を具足することができたのであろうというのである。それに対して、疑者の言葉によってさらに信が増すとして、逆者の十念でさえ宿善が強いというのであれば、一生のあいだ念仏を励んできた者の宿善はなおさら強いはずであると答えている。ここに宿善が問題にされているが、「宿善強き」という言い方からして、『十疑論』によることは明らかである。そこで『往生拾因』も『十疑論』から宿善を受容していることが知られるのである。

こうした釈疑の中で、疑者の言葉によって逆に信を増すといっているのは、「散善義」に説かれる四重の破人を思わせる。しかし、『往生拾因』に信機釈の引用がないことから推測できるように、永観の罪悪意識はさほど深くないと指摘されている(70)。前の疑いを誡める中に、過去の罪業が重いといっても、今人身を受け仏法に値っているではないかといっているが、それは確かにその通りであろうが、どこか楽観的な感じを受ける。善導大師に見られる深刻な悪の自覚はない。そうしたところを基盤として、『十疑論』の宿善が受容されているのであろう。

ところで第三因は「宿縁深厚故」である(71)。一心に阿弥陀仏を称念すれば、宿縁深厚であるから、必ず往生を得るというのである。そこに宿善と明確に区別して宿縁の語が用いられているに注意される。まず『観経』別選所求の文を引き、『十疑論』の第四疑の文が引用されている。十方随願と西方願生の問題に関する釈疑で、『大経』の特留此経止住百歳の文を引き、「故に知んぬ、弥陀と此の世界の極悪の衆生と偏へに因縁有り」といわれる。即ち、釈尊はこの娑婆世界にあって、末世法滅のときになっても浄土の法門のみ留めるといわれているのであるから、阿弥陀仏と娑婆の衆生は因縁が深いというのである。そして永観は、末法の世にあっては浄土の法門こそ時機純熟の教法であることを述べ、『正法念経』を引いた後、『安楽集』『悲華経』を引用している。

『安楽集』は第六大門・西方十方比◇における『随願往生経』取意の文である。即ち、

十方の仏国皆悉く厳浄なり。願に随ひて並びに往生を得。然りと雖も西方の無量寿国には如かず。阿弥陀仏、観音・大勢至と先に発心の時、此の界より去りたまふ。此の衆生に於て偏へに因縁有り(72)。

ただし、この中の「阿弥陀仏、観音・大勢至と先に発心の時、此の界より去りたまふ。此の衆生に於て偏へ因縁有り」というのは原文にはない。おそらく『大経』と『悲華経』を合わせてここに組み入れたものと考えられるが(73)、阿弥陀仏も観音菩薩・勢至菩薩も、かつてはこの世界で発心修行されたのであるから、因縁が深いというのである。前に触れた『往生要集』の宿縁もこれである。

『悲華経』の引文は巻二・大施品からの抄出で(74)、その要旨をいうと、往昔、無諍念王(阿弥陀仏の因位)という転輪聖王が治世のとき、宝海梵志(釈尊の因位)という大臣がいて、その子が成仏して宝蔵如来となった。そして無諍念王が菩提心を発し、宝蔵仏の前で発願するのである。無三悪趣の願と変成男子の願に相当する文が挙げられている。

そして次に永観は、

故に知んや、弥陀の発願偏へに此の土に在り。我等一国受生の間、或は父母と為り、或は男女と為り、或は師長と為り、或は同行と為りて生生世世に更に互に恩有り。静かに宿縁を思ふに悲涙抑へ難し。設ひ一念と雖も引接何ぞ疑はん。

と述べている。阿弥陀仏の発願が此土にあったことを重視し、その上『安楽集』では「偏へに因縁有り」とあるだけであったが、それを具体的に、阿弥陀仏が生々世々に父母・男女・師長・同行となりたまい、われわれと縁を結んできたというのである。そしてそれを宿縁といっているのである。善導大師がいわれた宿縁とは異なり、阿弥陀仏との生々世々の縁である。この永観のいう宿縁に注意しておきたいと思う。

こうして永観における宿善も『十疑論』により、下下品の十念往生を場とするものであるが、それとは別に宿縁の語が用いられ、しかも阿弥陀仏との生々世々の縁と見ていることが知られるのである。


(68)『往生拾因』(『浄全』一五・三七三頁)
(69)『往生拾因』(『浄全』一五・三七四頁)
(70)普賢晃寿氏『日本浄土教思想史研究』二二七頁。
(71)『往生拾因』(『浄全』一五・三七九~三八○頁)
(72)『安楽集』巻下・第六大門・十方西方比◇(『真聖全』一・四二六頁)の文とは少し異なりがある。
(73)山本仏骨氏『道綽教学の研究』三一三頁参照。
(74)『悲華経』巻二・大施品(『大正蔵』三・一七四頁下~一八四頁下)
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真宗における宿善観の一考察(9)

2016年03月22日 | 未発表論文
【2003年に提出した輔教論文をそのまま転載】

それは源信僧都も同様である。『往生要集』大文第十・問答料簡の往生階位に、

彼の一生に悪業を作れるもの、臨終に善友に遇ひ、纔に十たび念仏して、即ち往生すること得。是くの如き等の類、多くは是れ前世に、浄土を欣求して彼の仏を念ぜし者の、宿善内に熟して、今開発するのみ(55)。

といわれている。これも下下品の十念往生を問題にされたものであるが、「宿善内に熟して、今開発するのみ」とあるのが七祖における宿善の初見であり、後の覚如上人や蓮如上人が「宿善開発」といわれる出拠でもあろう。そして宿善の内容は「前世に、浄土を欣求して彼の仏を念ぜし」ことである。それによって造悪の者が十念往生を得るとされるのである。その次に「故に『十疑』に云く」として第八疑の宿善の文が引用されている。そして「感師の意も亦之に同じ」とあるが、懐感の『群疑論』に明白な文はないようである(56)。そこで源信僧都の宿善は『十疑論』によられたものと考えられるのである。また、三在釈についても問答料簡の臨終念相に『十疑論』から引用されている(57)。『往生要集』と『安楽集』は密接な関係にあると指摘されているが(58)、良源にせよ源信僧都にせよ、宿善、三在釈については『十疑論』の第八疑を優先されているのである。

そこで同じく臨終念相に、

問。逆者の十念は何が故ぞ不定なる。答。宿善の有無に由て念力別なるが故に。又臨終と尋常と念ずる時別なるが故に(59)。

という問答があるが、「宿善の有無」は『十疑論』によることは明らかであり、「臨終と尋常と念ずる時別なるが故に」というのは前の『九品往生義』のところで見た『天台観経疏』所引の『大智度論』によるものであろう。同じく臨終念相に引用されている(60)。

ただ、宿善による十念往生といっても、往生階位に宿善の開発を述べた後、次のような問答がなされている。

問。下下品の生、若し宿善に依らば、十念せば生るとの本願は、即ち名のみ有りて実無けん。答。設ひ宿善有りとも、若し十念無くば、定んで無間に堕して、苦を受くること窮まり無けん。明けし、臨終の十念は、是れ往生の勝縁なり(61)。

宿善に頼るのではなく、あくまで臨終十念を勧めるものであったのである。

また宿善について、問答料簡の信毀因縁に、同じく聞いても信じる者と信じない者がいるのはなぜかという問いに対して、『平等覚経』を引用されている。そして「但だ彼聞くと雖も、而も信解せざるは、是れ薄徳の致す所なるのみ」と宿善の厚薄をもって答えられている(62)。後に覚如上人が用いられる言い方である。

こうして源信僧都の宿善は『十疑論』から受容されたもので、下下品の十念往生を場としている。そしてその内容は前世に浄土を欣求し仏を念じたことであり、それによって聞信が成立するのである。ただ源信僧都はみずからを「予が如き頑魯の者」といわれ、有名な「極重の悪人は他の方便無し、唯だ仏を称念して極楽に生ずることを得」という文もある(63)。宿善を説かれることと矛盾するようであるが、梯實圓氏は「『往生要集』やその他の著作、及びその行業をみるかぎり、源信自身が下品下生にまで自己を追いつめ、無他方便というのっぴきならない境位において、浄土教学を樹立されているとは言い切れないものがある(64)」と指摘されているから、そうした中で宿善が受容されているのであろう。

なお、大文第三・極楽証拠の対十方に「又た観音・勢至は本是の土に於て菩薩の行を修し、転じて彼の国に生ず。宿縁の追ふ所、豈に機応無からんや(65)」とあるが、宿縁については次の永観のところで見ることにする。

ちなみに『十疑論』の第八疑は『往生要集』以後も重視されているのであって、『安養集』『安養抄』『浄土厳飾抄』にも引用されている(66)。また重松明久氏によれば、『続本朝往生伝』『拾遺往生伝』『三外往生伝』に宿善に関する記述がある(67)。


(55)『往生要集』巻下末・問答料簡・往生階位(『真聖全』一・八九九頁)
(56)『日本思想大系6 源信』二七八頁の頭註に「直接、これを説いたものは見当らないが、釈浄土群疑論巻三(正蔵四七ノ四九下─五○上)などが注目される」とある。
(57)『往生要集』巻下末・問答料簡・臨終念相(『真聖全』一・九○五頁)
(58)山本仏骨氏『道綽教学の研究』一一六~一三○頁。太田利生氏「『安楽集』と『往生要集』─念仏思想を中心として─」(『真宗学』第九九・一○○合併号)
(59)『往生要集』巻下末・問答料簡・臨終念相(『真聖全』一・九○九頁)
(60)『往生要集』巻下末・問答料簡・臨終念相(『真聖全』一・九○六~九○七頁)
(61)『往生要集』巻下末・問答料簡・往生階位(『真聖全』一・八九九頁)
(62)『往生要集』巻下末・問答料簡・信毀因縁(『真聖全』一・九一六~九一七頁)
(63)『往生要集』序(『真聖全』一・七二九頁)、『同』大文第八・念仏証拠(『同』一・八八二頁)
(64)梯實圓氏『法然教学の研究』一七五頁。
(65)『往生要集』巻上末・極楽証拠・対十方(『真聖全』一・七七七頁)。
(66)『安養集』(西村冏紹・梯信暁両氏『安養集 本文と研究』八四頁、ただし『安養集』は澄或の『註浄土十疑論』である)、『安養抄』(『大正蔵』八四・一五七頁上)、『浄土厳飾抄』(佐藤哲英氏『叡山浄土教の研究』資料編五二一頁)
(67)重松明久氏『日本浄土教成立過程の研究』一九六、二一一、二二二頁。

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真宗における宿善観の一考察(8)

2016年03月21日 | 未発表論文
【2003年に提出した輔教論文をそのまま転載】

宿善という語が七祖の上にあらわれるのは源信僧都の『往生要集』であるが、その前に『十疑論』を取り上げたいと思う。かつては天台智の真撰と信じられてきたが、現在では後代仮託の書と見るのが一致した意見である。山本仏骨氏は、懐感の『群疑論』以後、『安楽集』に最も強い影響を受けて成立したと見られている(48)。

その中で宿善に関するのは第八疑である。即ち、衆生が無始よりこのかた無量の業を造り、今生においても善知識に逢わず、罪業ばかり造っているのに、どうして臨終に十念しただけで往生を得るのかと問うているから、『観経』下下品の十念往生を問題にしているのである。それに対して、

釈して曰く。衆生無始よりこのかたの善悪の業種、多少強弱なり。並びに知ることを得ず。但だ能く臨終に善知識に遇ひて十念成就する者は皆是れ宿善の業強く、始めて善知識に遇ふとも十念成就す。若し悪業多き者は善知識にすら尚ほ逢ふべからず。何ぞ十念成就を論ずべきや(49)。

といい、宿善の業が強いから臨終に善知識に遇い十念成就するというのである。ここにまず宿善の語が用いられていることに注意される。また内容としては『安楽集』の別時意会通と同じであるから、善導大師に継承されなかった宿善による十念成就がここに継承されていることにも注意されるのである。そして次に、無始以来の悪業より臨終十念のほうが重いことを、在心・在縁・在決定の三在釈をもって釈し、さらに童子断索と千年積薪の二喩を示している。三在釈はもと『往生論註』にあり(50)、二喩は『略論安楽浄土義』に出ているが(51)、おそらく『安楽集』からの孫引きであろう。即ち、『安楽集』は別時意会通に続いて広施問答がもうけられ、第一番の問答中に二喩が示され、第二番の問答に三在釈が説かれている(52)。素材はすべて『安楽集』にあるからである。ともあれ、『十疑論』は智の真撰として伝えられたことから、天台浄土教において重視されていくのである。

源信僧都の師・良源の『九品往生義』は、日本における現存最古の浄土教文献で、『観経』九品段の註釈書である。その下下品を釈するところに(53)、臨終の「具足十念称南無阿弥陀仏」によって「八十億劫の生死の罪」が除かれるという滅罪の問題が論じられている。そこではまず、智の『観経疏』が引用されているが、それも『十疑論』と同じく後代仮託の書と見られている。引文の内容は、なぜ行者の小時の心力が終身の造悪に勝るのかという問いに対して、『大智度論』に説かれる「是の心小時なりと雖も心力猛利なり。死せんと垂する人の如きは必ず免れざることを知りて諦心決断なれば百年の願力に勝れたり」等をもって答えとするものである。そして次に、それを補足するかたちで、『論註』でも『安楽集』でもなく、『十疑論』第八疑の宿善、三在釈の文が引用されている。それは良源が智の撰述と信じているからであって、前の『天台観経疏』とともに、天台の典籍によって念仏の教理を構築しようとしたからである(54)。その中で今、『十疑論』によって宿善が受容されていることに注意されるのである。


(48)山本仏骨氏『道綽教学の研究』一五三~一五五頁。
(49)『十疑論』(『大正蔵』四七・七九頁下~八○頁上)
(50)『往生論註』巻上・八番問答(『真聖全』一・三一○頁)
(51)『略論安楽浄土義』(『真聖全』一・三七一頁)
(52)『安楽集』第二大門・広施問答(『真聖全』一・三九九~四○○頁)
(53)『九品往生義』(『浄全』一五・二九~三○頁)。なお、『天台観経疏』(『大正蔵』三七・一九四頁中)、『大智度論』巻二四(『大正蔵』二五・二三八頁中)
(54)梯信暁氏「良源『九品往生義』の念仏思想」(『印仏研』四九・一)参照。
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真宗における宿善観の一考察(7)

2016年03月20日 | 未発表論文
【2003年に提出した輔教論文をそのまま転載】

しかし、「定善義」地観に『平等覚経』取意の文が引用されている。即ち、

若し人有りて浄土の法門を説くを聞きて、聞けども聞かざるが如く、見れども見ざるが如くなる、当に知るべし、此等は始めて三悪道より来りて、罪障未だ尽きず、此れが為に信向無きのみ。仏言はく、我説くらく此の人は未だ解脱を得べからずと。

若し人浄土の法門を説くを聞きて、聞きて即ち悲喜交はり流れ、身の毛豎(いよだ)つことを為す者は、当に知るべし、此の人は過去に已に曾て此の法を修習して、今重ねて聞くことを得て、即ち歓喜を生じ、正念に修行して、必ず生ずることを得ると(43)。

という二文である。とくに後の文にある「過去に已に曾て此の法を修習して、今重ねて聞くことを得て」は、先哲が宿善を論ずるときに重視されてきたものである。それが「定善義」に説かれているとなると、悪の自覚に徹した『観経疏』という位置づけは成立しなくなる。

そこで文意をうかがってみると、これは、『観経』地想観に「仏阿難に告げたまはく。汝仏語を持ち、未来世の一切大衆の苦を脱れんと欲はん者の為に、是の観地の法を説け(44)」といわれる文を解釈される中に出てくる(45)。まず全体を「正しく流通を勧発して、縁に随ひて広く説かしむることを明す」とし、「即ち其の四有り。一には告命を明かす。二には仏語を勧持して、広く未来の大衆の為に前の観地の益を説かしむることを明かす」といわれた次に、「三には機の受くるに堪へ信ずるに堪へたるを簡び、此の娑婆生死の身の八苦・五苦・三悪道の苦等を捨つることを得むと欲して、聞きて即ち信行する者には、身命を惜しまず、急に為に之を説けといふことを明す」といわれる。即ち、機の堪・不堪を見極め、聞いて信行する者にはただちに地想観の利益を説くべきであるというのである。そして、一人でも苦を捨て生死を出づることができれば、真に仏恩を報ずることになる。なぜなら、諸仏が衆生を勧化されるのは、人天の楽を受けさせるためではなく、浄土への往生を求めて無上菩提に向かわさせるためにあるからである。したがって浄土に生まれていこうとすることは、諸仏の本願の意にかなうといわれ、続いて「若し信行を楽はざる者は」といって、先ほどの『平等覚経』の文が引用されるのである。「若し人有りて浄土の法門を説くを聞きて、聞けども聞かざるが如く、見れども見ざるが如くなる」というのは、真剣に法を求めていないからである。そうした者は三悪道から来て罪障が尽きていないから信向がなく解脱を得ない。それに対して「此の『経』に又云く」として後の文が引用される。「若し人浄土の法門を説くを聞きて、聞きて即ち悲喜交はり流れ、身の毛豎(いよだ)つことを為す者」というのは、真剣に法を求めているからである。そうした者は「過去に已に曾て此の法を修習して、今重ねて聞くことを得」たものであるから、充分に準備されているので、歓喜を生じ正念に修行して必ず往生を得る。それ故に、急いで法を説けといわれるのである。そして苦を捨て生死を出づることになれば真に仏恩を報ずることになり諸仏の本願の意に契うことになるというのである。したがってここは勧化する側の人に対して説かれたもので、法を説くべき真剣な求法者を説明するために『平等覚経』が用いられているのである。即ち、真剣に法を求めないのは三悪道から来た者であるが、本気で求めている者はすでに充分な準備がされているから、「身命を惜しまず、急に為に之を説け」ということをあらわすのであって、「定善義」の力点はそこにあるのであろう。善導大師自身の宿善を問題にされたものではなく、悪の自覚と矛盾するわけではないと思われる。ただ機の堪・不堪を説明するにあたって、三悪道より来た者と過去に修習した者を対比されたことによって、信行の成立に宿善が必要と見なされるようになったのである。

宿縁については「序分義」に、

但だ宿縁を以てたまたま慈尊に会ふことを得ることあり(46)。

といわれている。これは『観経』の「千二百五十人」を釈する中、もと外道であった優楼頻◇迦葉たちが釈尊と値遇できたことを宿縁といっているのであるが、親鸞聖人の「遇獲行信(信心)遠慶宿縁」と対照すると、「たまたま(遇)」の語が共通し、文章が似ているので、依りどころ見てよいであろう。また、「序分義」に「又た夫人は身是れ女人なり、心に異計無し。王と宿縁業重くして久しく近づきて夫妻なり(47)」という用例もある。ただし、これは頻婆沙羅王と韋提希が宿世の縁あって夫婦となっているということである。

こうして善導大師における宿善は、全体的に見て、徹底した悪の自覚から否定的であるが、それを示す文もあり、とくに「定善義」の「過去に已に曾て此の法を修習して、今重ねて聞くことを得て」という文は後世の宿善論において重視されていくのである。また宿縁の用例も見られるが、宿善とは別のところで用いられていることに注意される。


(43)「定善義」地観(『真聖全』一・五○七頁)
(44)『観経』地想観(『真聖全』一・五二頁)
(45)「定善義」地観(『真聖全』一・五○七頁)。ただし、訓みは『浄土真宗聖典(原典版)』による。
(46)「序分義」化前序(『真聖全』一・四六七頁)
(47)「序分義」禁父縁(『真聖全』一・四七四頁)
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真宗における宿善観の一考察(6)

2016年03月19日 | 未発表論文
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   四、善導大師の宿善観

善導大師は別時意の論難に対して道綽禅師の宿善による会通を用いられなかった。六字釈をもうけ、名号自体に願行具足しているから別時意ではないと反論されたのであった(32)。

宿善については、それを示すと見られる文もあるが、逆に否定するかのような文も随処に見られる。たとえば「散善義」に、

貪瞋邪義、奸詐百端にして、悪性侵め難し、事蛇蝎に同じ。三業を起すと雖も、名けて雑毒の善と為す、亦虚仮の行と名く、真実の業と名けざるなり。若し此くの如き安心起行を作す者は、たとひ身心を苦励して、日夜十二時に、急に走(もと)め急に作して、頭の燃を炙ふが如くする者も、衆て雑毒の善と名く(33)。

とあり、また、

然るに我等凡夫、乃至今日まで虚然として流浪す。煩悩悪障転転してますます多く、福慧は微微たること、重昏に対して明鏡に臨むがごとし。忽ちに此の事を思忖するに、心驚きて悲歎するに勝へざる者をや(34)。

といわれている。決定的なのは有名な「散善義」の信機釈である。即ち、

決定して深く自身は現に是れ罪悪生死の凡夫、曠劫よりこのかた、常に没し常に流転して出離の縁有ること無しと信ず(35)。

といわれている。そこには宿善という善など予想することもできない。

さらに値仏の縁すら否定するような文も見受けられる。即ち『法事讃』に、

我れ無明障重にして、仏出づるに逢はず。たとひ同生すれども還て覆器の如し。神光等しく照らして四生を簡ばず。慈及びて偏無く皆法潤に資す。法水に沈むと雖も、長劫に由頑なり(36)。

といわれ、また、

人天四趣、罪根深し。過現の諸仏、皆来りて化すれども、無明業障もてあひ逢はず(37)。

といわれのである(38)。『涅槃経』等によって多仏値遇を語られた道綽禅師と全く対照的である。善導大師においては、宿善について否定的であったと見ることができる(39)。

ところが、『往生礼讃』初夜偈には『大経』「往覲偈」によって、

若し人善本無ければ、仏の名を聞くことを得ず、◇慢と弊と懈怠とは、以て此の法を信ずること難し。
宿世に諸仏を見たてまつりしものは、則ち能く此の事を信ず、謙敬にして聞きて奉行し、踊躍して大きに歓喜す(40)。

といわれている。明らかに宿善を示す文である。そして、◇慢と弊と懈怠の者が信じ難いのに対して、宿世に見仏した者はよく信じることができるといわれているところを見ると、見仏、値仏も認めていることになる。そうすると、先ほど見た諸文と逆であって、宿善を肯定されているようである。

なぜ同じ善導大師の上に相反する二つの見解が見られるのであろうか。それを思想深化と考えることはできないであろうか。梯實圓氏は、善導大師の五部九巻の著述の中で、『観念法門』『般舟讃』を除いた三書について、『往生礼讃』『観経疏』『法事讃』の順序で撰述されたと推考されている(41)。とすれば、『往生礼讃』で肯定的であった宿善が『観経疏』『法事讃』で否定的になったということになる。それは機の深信について、『往生礼讃』の「善根薄少(42)」が「散善義」に「無有出離之縁」となっているのと合わせて、悪の自覚の徹底によるものと考えられないであろうか。即ち、自己の悪が徹底して自覚されたとき、善なるものも徹底して否定することになったと思われるのである。


(32)「玄義分」和会門・別時意会通(『真聖全』一・四五五頁)
(33)「散善義」上品上生釈・至誠心釈(『真聖全』一・五三三頁)
(34)「散善義」上品上生釈(『真聖全』一・五四三頁)
(35)「散善義」上品上生釈(『真聖全』一・五三四頁)
(36)『法事讃』巻上・前行分(『真聖全』一・五六一頁)
(37)『法事讃』巻下・転経分(『真聖全』一・五八七頁)
(38)『般舟讃』総讃宗要にも「曠劫よりこのかた苦海に沈みて 西方の要法、未だ曾て聞かず 人身を得たりと雖も多く障有り 仏化を受けずして反て疑を生ず」(『真聖全』一・六九○頁)といわれている。
(39)稲岡了順氏は、浄土教において宿善の必不必が論議されるのは道綽禅師、善導大師の見解の相違に基づくといわれている。「道綽・善導の宿善観について」(『大正大学綜合仏教研究所年報』第一号)、「浄土教における宿善について」(『印仏研』第二七巻第一号)
(40)『往生礼讃』初夜偈(『真聖全』一・六六○頁)
(41)梯實圓氏「善導大師の行業論」(同氏『浄土教学の諸問題』下・一二三頁)
(42)『往生礼讃』前序(『真聖全』一・六四九頁)
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真宗における宿善観の一考察(5)

2016年03月18日 | 未発表論文
【2003年に提出した輔教論文をそのまま転載】


ところで、道綽禅師の宿善についてはもう一つ、第二大門・料簡別時意を取り上げねばならない。それは摂論宗の学徒から発せられた論難に対する応答である。善導大師は有名な六字釈をもって反論されたが、その先駆としての道綽禅師は宿善によって会通されたのである。

摂論宗の論難とは、『観経』下下品における十念往生の教説を別時意と見なすものである。別時意というのは、無着菩薩の『摂大乗論』および天親菩薩の『摂大乗論釈』に説かれた仏の説法形式の一つで(29)、別時は即時に対し、意は能説の仏意を指す。即ち、遠い将来の別時に得られる結果をあたかも即時に得られるかのように説いて、怠惰な者を励まし導こうとされる方便の説法である。それを摂論宗の徒は『観経』下下品に適用し、十念は遠生の因となっても即生の因ではないと論難してきたのである。懐感の『群疑論』によれば、「摂論此に至りてより百有余年、諸徳咸く此の論文を見て、西方の浄業を修せず(30)」とあり、浄土教は大打撃を蒙ったのであった。

そこで道綽禅師、善導大師のほか、迦才、懐感等の反論もあるのであるが、今、道綽禅師によると(31)、まず「凡そ菩薩論を作りて経を釈することは皆遠く仏意を扶けて聖の情に契会せんと欲してなり。若し論文、経に違ふこと有らば是の処(ことわり)有ること無し」といわれ、菩薩が論を造るのは経を釈して仏意を扶けるところにあるのであって、論が経と異なることはないといわれている。即ち、経に即得とあることも、論に別時意とあることも、ともに実義であって、経と論が相違するように考えるのは誤りであるとされる。したがって道綽禅師は論の別時意を否定されるのではなく、逆に認容し、その意味を明らかにしようとされるのである。

そこで「今別時意の語を解せば、謂く仏の常途の説法は皆先因後果を明す。理数炳然なり」といわれ、仏の通常の説法は先に因を明かし後に果を明かすという説き方がなされるといわれ、『観経』はそのような説法ではないという示唆をされる。そして「今此の経の中には但だ一生悪を造りて命終の時に臨みて十念成就して即ち往生を得と説きて、過去の有因無因を論ぜざるは」といわれる。『観経』の当分には一生造悪の者が臨終の十念で即得往生の果を得たとあるだけで、過去世に因があったかどうか語っていない。しかし、実はそれがあったからこそ臨終に善知識に遇い十念成就したのであって、第一大門の発心久近に引用された『涅槃経』の文をここでも引かれ、「此の諸経を以て来験するに、明かに知んぬ、十念成就する者は皆過因有りて虚しからず。若し彼の過去に因無き者は善知識にすら尚ほ逢遇(あ)ふべからず。何に況んや十念して成就すべけんや」といわれるのである。

では、なぜ『観経』に過去の因が説かれないのかというと、「直だ是れ世尊当来の造悪の徒を引接して、其の臨終に悪を捨て善に帰し念に乗じて往生せしめんとなり。是を以て其の宿因を隠す」といわれている。造悪の者であっても過去の因はあるはずであるが、臨終の十念をなさず空しく過ぎていくことを悲しまれ、十念をなして往生せしめるために、あえて十念だけを説き、過去の因を隠したのであるといわれる。そこに造悪の者を救おうとされる仏の大悲心を見られているのである。

そして、


此れは是れ世尊始めを隠して終りを顕し、因を没して果を談ずるを、名けて別時意の語と作す。

といわれている。即ち、「始め」「因」というのは過去の因であり、「終り」「果」というのは現在の十念であるが、論に別時意とあるのは、過去の因を隠し、臨終の十念で即得往生する辺をいっているのである。しかし、臨終の十念がありえているということは、かえって過去の因がある証拠であって、ここに道綽禅師は『摂大乗論釈』の譬喩を逆に用いられるのである。即ち「一金銭を以て千金銭を貿ひ得るは一日に即ち得るには非ず」といわれているが、摂論宗の学徒は臨終の十念を始めの第一金銭と見て、即生の因ではないと見たのである。ところが道綽禅師は臨終の十念を終わりの第千金銭と見て、その下に九九九金銭の過去の因があると見られたのである。つまり、臨終の十念は一行ではなく、多善の総体である。『観経』の当相は多善のところを隠し十念の一行をもって即生するように説かれてあるから、論でいう別時意といわねばならない。しかし一行で別時意ということは、逆に多善で即生ということをあらわしている。実は、十念は多善の総体なのであるから、論もまた十念を即生の因と語っていることになる。こうして経も即生、論も即生とあらわしているのであって、ともに往生の道を閉塞しないのである。それで「経論相ひ扶けて往生の路通ず。復た疑惑すること無かれ」と結ばれるのである。

こうして道綽禅師の宿善は、主として『涅槃経』によるものであり、過去世に多仏と値遇し教化を受けて、菩提心を発し善を修したことである。それによって今日の聞法がありえるというのである。また、『観経』下下品の十念往生を場として宿善が語られている。とくに「過去に因無き者は善知識にすら尚ほ逢遇(あ)ふべからず」といわれ、宿善によって善知識に遇うという言い方に注意しておきたい。後に覚如上人がそれをいわれるからである。


(29)中国において『摂大乗論』『摂大乗論釈』は前後四回七本にわたって伝訳されている。すなわち、仏陀扇多訳『摂大乗論』二巻、真諦訳『摂大乗論』三巻・『摂大乗論釈』十五巻、達摩笈多訳『摂大乗釈論』十巻、玄奘訳『摂大乗論本』・『摂大乗論釈』十巻・『摂大乗論釈』(無性)十巻である。そのなかでとくに問題となったのは真諦訳であって、天嘉四年(五六三)道綽禅師二歳のときに漢訳された。そして、真諦の門下であった智憧、慧曠、法常などがそれぞれ疏を作って弘通伝播に努めたというから、禅師の所破の対象は彼らであったと考えられる。ただし、彼らの著述は現存していない。
(30)『群疑論』巻二(『大正蔵』四七・三九頁上)
(31)『安楽集』巻上・破異見邪執・料簡別時意(『真聖全』一・三九八頁)
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真宗における宿善観の一考察(4)

2016年03月17日 | 未発表論文
【2003年に提出した輔論文をそのまま転載】

   三、道綽禅師の宿善観

真宗七祖の中で宿善に言及された最初は道綽禅師である。もっとも、宿善の語は用いられていないのであるが、その考えは『安楽集』の随処に見られる。まず、第一大門・説聴方軌を明かす中に六経を引かれるが、その第四、五は『大経』「往覲偈」であり、第六は『平等覚経』流通分の文である。ただし経文そのままではなく取意の文である。そして、結びにまた「往覲偈」の「◇慢弊懈怠」の文を引かれている(20)。それらは、聴者の心得として宿善が必要であると示されたものと見られるが、今まさしく聞法がありえているのは過去の修善によるとして、次の発心久近へ展開する伏線と見ることもできる。

その発心久近は(21)、はじめに『涅槃経』取意の文が引用されている。即ち、

仏迦葉菩薩に告げたまはく。若し衆生有りて煕連半恒河沙等の諸仏の所に於て菩提心を発して、然して後に乃し能く悪世の中に於て、是の大乗経典を聞きて誹謗を生ぜず。若し一恒河沙等の仏の所に於て菩提心を発すこと有りて、然して後に乃し能く悪世の中に於て経を聞きて誹謗を起さず、深く愛楽を生ぜん。若し二恒河沙等の仏の所に於て菩提心を発すこと有りて、然して後に乃し能く悪世の中に於て是の法を謗ぜず、正解し信楽し受持し読誦せん。若し三恒河沙等の仏の所に於て菩提心を発すこと有りて、然して後に乃し能く悪世の中に於て是の法を謗ぜず、経巻を書写す。人の為に説くと雖も未だ深義を解せず。

とあるものである。後に親鸞聖人はこれを二様に依用されるのであるが、そこには、過去において諸仏に遇い菩提心を発した多少によって、大乗経典への対応に相違のあることが説かれている。即ち、煕連半恒河沙の諸仏の場合は、悪世の中で大乗経典を聞いて誹謗しないが、一恒河沙の場合はさらに愛楽が生じる。二恒河沙の場合は誹謗しないだけでなく、正解、信楽、受受、読誦する。三恒河沙の場合はさらに経巻を書写し、深義は解らないが、人のために説くことができる、というのである。『涅槃経』はこのあと八恒河沙まで説かれるが(22)、『安楽集』は三恒河沙で終わっている(23)。そして、それを引いたのは、

今日坐下にして経を聞く者、曾(むかし)已に発心して多仏を供養せることを彰さんが為なり。

といわれ、過去に発心し多仏を供養したからこそ、今日の聞経がありえているというのである。続いて「又大乗経の威力不可思議なることを顕すなり」といわれ、『涅槃経』の文を引用された後、「故に知んぬ、経を聞きて信を生ずる者は皆不可思議の利益を獲るなり」と結ばれている。

そのほか山本仏骨氏は宿善を示す引文として、第一大門・凡聖通往の『観仏三昧経』、第三大門・輪廻無窮の『法華経』、同・引証勧信の『観仏三昧経』を指摘されているが(24)、道綽禅師自身の言葉として、同・輪廻無窮の第五番がある(25)。そこに有名な聖浄二門判が示されるのであるが、まず、

問て曰く。一切衆生皆仏性有り。遠劫よりこのかた応に多仏に値ふべし、何に因てか今に至るまで自ら生死に輪廻して火宅を出でざるや。

という問いが起こされている。即ち、一切衆生には仏性があり、遠劫以来多仏に値うてきたにもかかわらず、どうして今まで流転し続けてきたのか、というのである。そこに仏性の内因とともに、値仏の外縁があることを前提として問われていることに注目される。

周知のように、仏性は『涅槃経』の中心思想であり、『安楽集』の第一大門・宗旨不同にも「若し『涅槃経』に依らば仏性を宗と為す(26)」といわれている。また値仏については他経にも説かれるが、先の発心久近に着眼すれば、とくに『涅槃経』の三恒河沙等を指すと見ることもできよう。道綽禅師は十四歳で出家された後、『涅槃経』の研究に没頭されたようで、それを講ずること二十四回に及んだという。そして慧◇の主催する戒律と禅定を主とした実践教団に参加されたが、四十八歳のとき、玄中寺へ赴き曇鸞大師の碑文を読んで浄土門に帰入されたといわれている(27)。そうした歩みを見ると、『涅槃経』所説の仏性と値仏は、禅師自身の仏道の上では理論でしかなかったということになる。仏性の内因と値仏の外縁がそろっているなら、道理として成仏の果が成立していてもおかしくないのに、現実は生死流転してきた。その経説と現実との矛盾によって、『涅槃経』研究の学解から慧◇教団の実践へと向かわれ、やがて浄土門へ帰入されたのである(28)。したがって、先ほどの問いは道綽禅師の仏道における根本的な問題であったということができる。

なお道綽禅師はその問いに答えて、大乗の聖教によれば、聖道と浄土という二種の勝法を得て生死を排わないからである。しかし、聖道の法は「大聖を去ること遙遠」であり、「理深く解微なる」によって証しがたく、『大集月蔵経』を引用され、ただ浄土の一門のみ時機相応の法であると決択されている。


(20)『安楽集』巻上・第一大門・説聴方軌(『真聖全』一・三八○頁)。
(21)『安楽集』巻上・第一大門・発心久近(『真聖全』一・三八○~三八一頁)。
(22)北本『涅槃経』巻六・如来性品(『大正蔵』十二・三四八頁下)、南本『涅槃経』巻六・四依品(『大正蔵』十二・六三九頁上)。
(23)『安楽集』が四恒河沙以下を引用しないのは、三恒河沙までは師の位ではなく弟子の位として、聞法にあずかる宿善を示すためであったと考えられる。山本仏骨氏『道綽教学の研究』三七○頁参照。
(24) 山本仏骨氏『道綽教学の研究』三七三頁。『安楽集』巻上・第一大門・凡聖通往(『真聖全』一・三八六頁)、『同』第三大門・輪廻無窮(『同』一・四○九頁)、『同』第三大門・引証勧信(『同』一・四一○頁)
(25)『安楽集』巻上・第三大門・輪廻無窮(『真聖全』一・四一○頁)。
(26)『安楽集』巻上・第一大門・宗旨不同(『真聖全』一・三八一頁)。
(27)『続高僧伝』巻二十・道綽伝(『大正蔵』五十・五九三頁下)。ただし、そこには帰浄の年時が記されていないが、迦才の『浄土論』に「大業五年よりこのかた、即ち講説を捨て、浄土の行を修す」(『大正蔵』四七・九八頁中)とあるところから、一般に大業五年(六○九)道綽禅師四十八歳のときとされる。
(28)内藤知康氏『安楽集講読』一○七頁参照。
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