天上の月影

勅命のほかに領解なし

承元(建永)の法難の結末(3)

2017年08月13日 | 小論文

 そのうえ森氏は、親鸞の『教行証文類』後序に、
 

真宗興隆の大祖源空法師ならびに門徒数輩、罪科を考へず、猥りがはしく死罪に坐す。あるいは僧儀を改めて姓名を賜うて遠流に処す。予はその一つなり(1)。

とあり、「門徒数輩」「死罪」「遠流」といい、「予はその一つなり」と明言しているのを、

配流された者について、慈円『愚管抄』巻第六等の諸史料は源空のみを伝える。(中略)親鸞が所謂「流罪」となる直前の建永二年正月十三日、伯父の藤原宗業は越後権介に補任されている。(中略)これも、親鸞が伯父の任地に自主疎開したと考えれば不審も解消しよう(2)。

といわれ、「自主疎開」とするのである。つまり氏は、この法難において死罪となったのはあくまで安楽と住蓮、流罪は法然のみと見られているのである。

(1)親鸞『教行証文類』後序(『浄土真宗聖典〈註釈版〉』四七一頁)
(2)森新之介氏『摂関院政期思想史研究』(思文閣出版、二○一三年)三○五~三○六頁。

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