天上の月影

勅命のほかに領解なし

承元(建永)の法難の結末(2)

2017年08月12日 | 小論文

 しかしすべての諸伝がこのとおりではない。たとえば慈円の『愚管抄』には、結末だけをいうと、

    終に安楽・住蓮頸きられにけり。法然上人ながして京の中にあるまじにてをはれにけり(1)。

と安楽・住蓮の死罪、法然の流罪のみを記している。『四十八巻伝』では、

    建永二年二月九日、住蓮安楽を庭上にめされて、罪科せらるゝとき、安楽、見有修行起瞋毒、方便破壊競生怨、如此生盲闡提輩、毀滅頓敎永沈淪、超過大地微塵劫、未可得離三途身、の文を誦しけるに、

等といい、

    かさねて弟子のとがを師匠にをよぼされ、

と法然の流罪を述べている(2)。そこで森新之介氏は「以下、建永二年二月に斬首された者は『愚管抄』などによって確認できる遵西(=安楽)住蓮の二人のみであったとして、考察を進める」「以下、確認できる源空一人のみが配流されたとして考察を進める」といわれるのである(3)。

(1)慈円『愚管抄』巻第六(『岩波日本古典文学大系八六 愚管抄』二九五頁)
(2)『四十八巻伝』第三十三巻(井川定慶氏集『法然上人伝全集』二二四~二二五頁)
(3)森新之介氏『摂関院政期思想史研究』(思文閣出版、二○一三年)三○五、三○六頁)

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