天上の月影

勅命のほかに領解なし

法然の還俗名について(3)

2017年07月29日 | 小論文

  しかしこれには問題がある。「源」姓は源平藤橘の貴姓である。罪人となった法然に付されるとは考えにくい。平雅行氏は「一般に中世では、地方の下級官職を任命する際、藤原氏は藤井に、源氏は原に、橘氏は立花に、平氏は平群に書き改めるのが通例でした(『薩戒記』応永三十二年正月二十九日条))。源平藤橘の四姓は貴姓であるため、地方の下級役人を任命する時は、本人が藤原や平を名のっていたとしても、こうした貴姓を使うのを憚って、藤井や平群に姓を変えさせてから任命しています。親鸞の出身は藤原氏ですが、罪人が『藤原』を名のるのを憚って、藤井姓を与えたのでしょう(1)」といわれている。これは親鸞の還俗名が「藤井善信」であった理由の説明であるが、その根拠になっている『薩戒記』は中山定親(一四○一~一四五九)の日記で、必要部分を挙げれば、「此の事に口伝有り、藤原を以て藤井に改め、源を以て原に改め、橘を以て立花に改め、平を以て平群に改めるは例也、(中略)仍て之を改めるは故実也(2)」とある。同様に考えれば、もし法然が仁明源氏の出身であったとしても、与えられるとすれば「原元彦」であったはずである。「源元彦」はありえないと思われる。つまり「源元彦」説は史料的価値が低く、「藤井元彦」の方が信憑性が高いといわざるをえない(3)。

(1)平雅行氏『歴史のなかに見る親鸞』(法蔵館、二○一○年)九六頁。
(2)中山定親『薩戒記』応永三十二年(一四二五)正月二十九日条(『大日本古記録』二二─二、六二頁)
(3)二○一七年七月二十三日、平雅行先生から御教示をたまわった。この場をかりて厚く御礼申し上げる。

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