天上の月影

勅命のほかに領解なし

憲法十七条(1)

2017年08月23日 | 水月随想

 浄土真宗の開祖・親鸞聖人(一一七三~一二六二)は「七高僧」と呼ばれるインド・中国・日本の七人の方々(龍樹菩薩・天親菩薩・曇鸞大師・道綽禅師・善導大師・源信僧都・法然聖人)を崇められました。
 それと同時にまた、聖徳太子(五七四~六二二)もたいへんに崇められました。昔の一万円札ですね。なつかしく思い出されるかたも多いでしょう。ただ、聖徳太子には謎が多く、架空の人物であろうと主張される方さえおられます。けれども、親鸞聖人の時代には実在の人物として疑われることはありませんでした。架空か実在か、いまは抜きにしておきます。親鸞聖人は、たとえば「多々(=父)のごとくにそひたまひ阿摩(=母)のごとくにおはします」と、父のようだ、母のようだと慕われたのでした。それで浄土真宗のお寺には、聖徳太子のお姿を描いた掛け軸を本堂の余間というところに安置しております。拙寺にはありませんが、なかには、太子堂というお堂が境内にあって、法要をいとなむお寺もあります。
 西暦六○四年、聖徳太子は憲法十七条を制定されたといわれています。その第一条には「和をもつて貴(とうと)しとなす」といわれています。「和」、それを第一にしなさいというのです。憲法の最初にまず、そのようにいわれているのです。わたしたちは決して忘れてならないでしょう。

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