天上の月影

勅命のほかに領解なし

行空上人の佐渡における活動(5)

2017年05月07日 | 小論文

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 そこでまず能忠・能久・忠綱が播磨国および佐渡国の守護であったことを検討してみると、伊藤邦彦氏『鎌倉幕府守護の基礎的研究〔国別考証編〕』(岩田書店、二○一○年)三五五頁に「播磨」の項を表にされている。それを抜粋して挙げれば次のようである。
  元暦元年(任) ─正治元年(失脚) 梶原景時
  正治二年(任) ─建仁元年→    小山朝政
 ←建保元年    ─承久三年(誅)カ 後藤基清
  承久三年(任) ─貞応元年→    北条泰時(六波羅北方。〔代行〕=安保氏)
 ←貞応二年(再任)─寛喜二年     小山朝政(→長村)
  寛喜二年    ─文永九年(免)カ  小山長村→(時長)→宗長
氏はまた「佐渡」についても表にされていて(二一六頁)、同様に抜粋すれば次のようである。
 ←元暦元年…建仁三年(滅) 比企氏(朝宗・能員)カ
 ←承元四年─元仁元年(没) 北条義時(「国務・検断沙汰人」)カ
  元仁元年─寛元三年(没) 名越朝時カ
  寛元三年─寛元四年(失脚)名越光時カ
 ←文永五年─徳治二年→   大仏宣時
これらによって明らかなように本間氏が播磨国や佐渡国の守護であったことはないのである。おそらく「守護」というのは後世の潤色であろう。

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