天上の月影

勅命のほかに領解なし

幸西の聖道門観(4)

2016年10月13日 | 小論文

         四

 つぎに「仏道に八万四千の門有り」とある。「八万四千」という数は、たとえば『妙法蓮華経』に「若し八万四千の法蔵、十二部経を受持し、人の為に演説すれば」とあり、『撰集百縁経』に「如来の八万四千の諸法蔵門を受持す」とあり、『成実論』に「又た略説すれば、八万四千の法蔵中のあらゆる智慧は、皆な無明を除く」とある(1)。とくに『大智度論』には諸処に「八万四千法聚」と説かれている(2)。ところがのちの蓮如(一四一五~一四九九)の『御文章』には、「それ、八万の法蔵をしるといふとも(3)」といわれている。「八万」という数は、たとえば『正法華経』に「八万諸法蔵」とあり、『大方便仏報恩経』に「八万法蔵」とあり、『大毘婆沙論』に「八万法蘊」とあり、『倶舎論』にも「八万法蘊」とある(4)。そこで仏道をあらわすのに「八万四千」という言い方と「八万」という言い方があることが知られる。それについて荊渓湛然(七一一~七八二)の『止観輔行伝弘決』には、

且く不数を挙ぐる故に八万と云ひ、具足して応に八万四千と云ふべし(5)。

といわれている。数えきれない数を挙げるから、八万ともいい、八万四千ともいうということであろう。いずれでも同じことである。そのうち幸西は「八万四千」のほうを採用し、蓮如は「八万」のほうを採用したということである。

(1)『妙法蓮華経』巻第四(『大正新脩大蔵経』九・三四頁中)、『撰集百縁経』(『同』四・二五二頁上)、『成実論』巻第九(『同』三二・三一四頁上)
(2)『大智度論』巻第一(『大正新脩大蔵経』二五・五九頁中)、巻第八(『同』二五・一四四頁下)、巻第十三(『同』二五・七六頁上)、巻第十九(『同』二五・一九八頁上)、巻第二十(『同』二五・二一○頁下)、巻第二十二(『同』二五・二二二頁下、二二三頁中)など。
(3)『御文章』五帖目第二通(『浄土真宗聖典〈註釈版〉』一一九○頁)
(4)『正法華経』巻第六(『大正新脩大蔵経』九・一○四頁下)、『大方便仏報恩経』巻第六(『同』三・一五六頁上)、『大毘婆沙論』巻第七十四(『同』二七・三八五頁下)、『倶舎論』巻第一(『同』二九・六頁中)
(5)『止観輔行伝弘決』巻第一之五(『大正新脩大蔵経』四六・一七五頁中)

ジャンル:
ウェブログ
コメント   この記事についてブログを書く
この記事をはてなブックマークに追加
« 幸西の聖道門観(3) | トップ | 幸西の聖道門観(5) »

コメントを投稿


コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。

あわせて読む

トラックバック

この記事のトラックバック  Ping-URL
ブログ作成者から承認されるまでトラックバックは反映されません。