天上の月影

勅命のほかに領解なし

念仏の道場(7)

2017年07月01日 | 水月法話

(これは山本佛骨和上『現代人のための親鸞』(雄渾社、一九八六年)からの転載である)

 それでは信仰というものは、ただこの世を否定して、浄土を楽しむのみであろうか。そうではない。それは、局外者の冷たい批判である。浄土への道ということが、真実にわかってこそ、人生は意義深きものとなり、命はたいせつなものとなる。すなわち永遠の問題を獲得すべき重要な人生だからであり、命は一回きりのものだからである。われわれは、かりそめにもこの命を粗末にとり扱ってはならない。一日でも長生きをして、真実の御法を聞き、真実の生活を怠ってはならない。そしてかかる真実が弘められ、少しでも居心地のよい浄土の影が写される世界にするよう、努力することがたいせつです。親鸞聖人が、「世の中安穏なれ、仏法ひろまれ」といわれたのもこれであろう。かかる目的のもとに、この命をたいせつにすることも、また報恩の一端であるといえましょう。

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