天上の月影

勅命のほかに領解なし

幸西の聖道門観(6)

2016年10月15日 | 小論文

          五

 次に「亦た二と為す。声聞蔵と菩薩蔵となり。菩薩蔵に二つ有り。漸教と頓教なり」とある。八万四千の仏道を声聞蔵と菩薩蔵に分け、その菩薩蔵を漸教と頓教に分けるのである。これは「玄義分」の宗旨門に、

教の大小といふは、問ひていはく、この『観経』は二蔵のなかにはいづれの蔵の摂なる。二教のなかにはいづれの教の収なる。答へていはく、いまこの『観経』は菩薩蔵の収なり。頓教の摂なり(1)。

とあるものによって、声聞蔵・菩薩蔵の二蔵判、漸教・頓教の二教判を出したのであろう。ただし宗旨門は二蔵判と二教判を並列させているが、幸西はまず二蔵判を出し、つぎに菩薩蔵から二教判を引き出している。いいかえれば、宗旨門が横に二蔵判・二教判を見ているのに対し、幸西は竪に二蔵判・二教判を見ているのである。

 ところで宗旨門は浄影寺の慧遠(五二三~五九二)の『観経疏』によっている。すなわちその冒頭に、

第一に須らく教の大小を知るに、教に二蔵を分つべし。謂く声聞蔵及び菩薩蔵なり。声聞を教ふる法を声聞蔵と名づく。菩薩を教ふる法を菩薩蔵と名づく。差別の義、常の釈の如し。此の経は乃ち是れ菩薩蔵の収なり。第二に須らく教局の漸及び頓を知るべし。小教は局に名づく。大の小より入る、之を目して漸と為す。大の小に由らざる、之を謂ひて頓と為す。此の経は是れ其の頓教法輪なり(2)。

とあるのがそれである。古来、善導の釈功は「古今楷定」といわれる。古今の諸師の『観経』に対する誤った解釈を打破し、正しい『観経』理解の手本、基準を定めたのである。そのなかの「古」という諸師の一人が慧遠であった。善導は慧遠を批判するが、決して全否定しているわけではない。受容するところは受容しているのである。そのひとつが宗旨門であったわけである。

(1)『観経疏』「玄義分」宗旨門(『浄土真宗聖典 七祖篇〈註釈版〉』三○五頁)
(2)慧遠『観無量寿経義疏』本(『大正新脩大蔵経』三七・一七三頁上)

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