天上の月影

勅命のほかに領解なし

本間忠綱と行空上人

2017年05月16日 | 水月随想

 承元(建永)の法難(一二○七年)において、法然聖人は土佐国(実際は讃岐国)、親鸞聖人は越後国に流罪となりました。このとき行空上人は佐渡国に流罪となったことは『歎異抄』流罪記録などによって知られます。ここまではいいのですが、では行空上人はどこに住んだのか、どのような活動をしたのか、わからないとしかいいようがありません。ただ活動については本間忠綱に念仏の法門を授け、法心という法名を与えたということが、一部の系図のなかに註記されています。それが事実とすれば、本間忠綱だけに念仏を説いたとは考えにくく、多くに人々に説いたといえるでしょう。行空上人は佐渡においても念仏を弘めておられたことになります。しかし、問題はそれがありえたかどうかです。これまで考えてきましたが、正直なところよくわかりません。わかりませんが、系図というのは古い人については潤色するのが通例です。それなのに忠綱にそうした註記があるところをみると、流人から法門を授けられたというのは何の名誉にもなりません。逆に不名誉なことではないでしょうか。やはり事実であったとしか思えません。客観的な考証ができないのが残念ですが、何の名誉にもならないことが註記されているというところから、行空上人は本間忠綱に念仏の法門を授け、多くの人々にも説かれたと考えています。私の結論としてはそうなので、もう少し忠綱の周辺から考えていきたいと思います。

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