天上の月影

勅命のほかに領解なし

幸西の聖道門観(8)

2016年10月17日 | 小論文

 こうした仏教を声聞蔵と菩薩蔵に分けるのは論書の諸処に見られる。たとえば『大智度論』のなかには「二種の道有り。一に声聞道、二に菩提薩道なり」とあり、「分ちて二種と為す。三蔵は是れ声聞法なり、摩訶は是れ大乗法なり」といわれているところがある(1)。ここには声聞蔵・菩薩蔵という語はないが、『瑜伽師地論』では「当に一切の菩薩蔵法、声聞蔵法を求むべし(2)」とある。また『大乗荘厳経論』には「復た次に声聞蔵及び菩薩蔵と為す(3)」とある。また『摂大乗論釈』には「此の中三蔵とは、一に素怛纜蔵、二に毘奈耶蔵、三に阿毘達磨蔵なり。是の如きの三蔵、下乗・上乗の差別有るが故に則ち二蔵と成す。一に声聞蔵、二に菩薩蔵なり(4)」とある。平川 彰氏は「大小乗の経論を二蔵にまとめることは、瑜伽行派になってからである」といい、「大小を対立して説くには、経論を声聞蔵と菩薩蔵とに分類することが便利」であったといわれている(5)。すなわち前の慧遠がいっていたように、小乗とは声聞のための教えであり、大乗とは菩薩のための教えであるということである。そして慧遠はその『観経疏』に二蔵判を用いていた。また『大乗義章』にも「出世間の中に就て、復た二種有り。一に声聞藏、二に菩薩藏なり(6)」といっている。そのほか二藏判を用いる人は多いが、有名なのは三論宗の吉蔵(五四九~六二三)であろう。『三論玄義』に道場寺慧観(四~五世紀)の五時教判を破したのち、「但だ応に大と小との二教を立つべし」といって、「略して三経三論を引いて之を証す」といい、『大品般若経』『法華経』等を引いたあと、「経論を以て之を験するに、唯だ二蔵有りて五時無し」と説き(7)、声聞蔵と菩薩蔵の二蔵判を挙げている。三論宗の教判には三転法輪もあるが、二蔵判が代表的なものである。このように二蔵判は多くの論書に示され、諸師によって用いられてきた。それを善導が「玄義分」宗旨門に出し、幸西が承けているのである。

(1)『大智度論』巻第四(『大正新脩大蔵経』二五・八五頁上)、巻第百(『同』二五・七五六頁中)
(2)『瑜伽師地論』巻第三十八(『大正新脩大蔵経』三○・五○○頁)
(3)『大乗荘厳経論』巻第四(『大正新脩大蔵経』三一・六○九頁上))
(4)『摂大乗論釈』巻第一(『大正新脩大蔵経』三一・三二一頁下)
(5)平川 彰氏『仏典講座三九 八宗綱要』上(大蔵出版、一九八一年)六七~六八頁。
(6)『大乗義章』巻第一(『大正新脩大蔵経』四四・四六六頁下)
(7)『三論玄義』(『大正新脩大蔵経』四五・五頁下)

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