天上の月影

勅命のほかに領解なし

『西方指南抄』の位置(4)

2016年09月18日 | 法本房行空上人試考
 また法然の伝記については室町時代以前の成立になるものとして『四十八巻伝』はじめ十五種を数えるが、それらの原形となったのは信空の法系による『源空聖人私日記』と指摘されている(1)。そしてその成立の上限は法然滅後四年の建保四年(一二一六)まで遡ることができるといわれている(2)。それは嘉禄の法難(一二二七)に関する記事がないことと、建保四年閏六月に七十二歳で没した三井寺・公胤(3)の夢告の記事があることによる。また『源空聖人私日記』で注意すべきは、公胤の夢告の記事とともに、夢中で半身金色の善導と対面した記事のあること、年時は示していないが浄土を観じた記事のあること、臨終の様子の記事があることである。そのほか皇円の桜池伝説の記事や九条兼実が法然を勢至菩薩の化身と見た記事もあるが、ともかく、そうした記事が『源空聖人私日記』にあるということは、それ以前に成立していて流布していたのであろう。早くから法然の伝記が作られ、行状が伝えられていたのである。


(1)中沢見明氏『真宗源流史論』「法然上人諸伝成立考」(法蔵館、一九五一年)参照。
(2)田村圓澄氏『法然上人伝の研究』(法蔵館、一九七二年)二○頁。なお福井康順氏「源空上人私日記について」(『大原先生古希記念 浄土教思想研究』、一九六七年)はそれについて若干の批判を加えられている。
(3)『吾妻鏡』建保四年閏六月二十日条。公胤については中野正明氏『増補改訂 法然遺文の基礎的研究』(法蔵館、二○一○年)五三頁の註(13)に述べられている。
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