天上の月影

勅命のほかに領解なし

承元元年と承久元年

2017年06月20日 | 水月随想

 橘正隆氏『河崎村史料編年志』(両津市河崎公民館、一九六四年)二四五頁に、

    古佐渡本間系図「忠綱」の註記に、「承元元年流人法本房来りて念仏の法門を授く、法名法心云々」とある(後略)

といわれていることについて、その「古佐渡本間系図」とはおそらく『佐渡名勝志』(新潟県立佐渡高等学校同窓会編、一九九七年)四七九頁所収の「中興村西蓮寺本間系図」のことであろうと思われます。その「忠綱」の註記に、
 

   播磨守 承久元年流人法本坊来りて念仏法門を授く 承久二年順徳院預り奉る 承久三年二月十五日卒 法名法心

とあります。橘氏はこのなかから必要部分を抜粋して引用したのでしょう。ただ、これがとても重要なことであるにもかかわらず、いままで気づかなかったのですが、橘氏の所引は「承元元年」(一二○七)であり、「中興村西蓮寺本間系図」は「承久元年」(一二一九)となっています。「中興村西蓮寺本間系図」に誤植がないとすれば、橘氏は「承久元年」を「承元元年」と誤ったことになります。それも無理はないでしょう。行空が佐渡に流罪になったのは承元元年なのですから。その承元元年に流人である行空が忠綱のもとに来て念仏の法門を授けたと理解をすれば、筋が通ります。また『佐渡国誌』(新潟県佐渡郡役所編纂、一九二二年)四九頁所収の「守護本間氏系図」の註記には、

    承元元年法本坊に戒を受く承久三年 順徳院奉預

とあり、「承元元年」と記しています。これと混同したのかもしれません。あるいは合揉したのかもしれません。「中興村西蓮寺本間系図」の「承久二年順徳院預り奉る」は明らかな間違いであるからです。もし順徳院を預かったというなら、「守護本間氏系図」がいうように承久三年(一二二一)であるはずです。そこで「中興村西蓮寺本間系図」を全面的に信用するわけにはいきませんが、行空が忠綱に念仏の法門を授けたのは承久元年であれば、法然や親鸞が赦免になったのは建暦元年(一二一一)ですから、行空も同じく赦免になったと思われます。「流人」という言葉がひっかかりますが、その後も佐渡にいて、忠綱に念仏の法門を授けたということになります。行空の佐渡における活動といえるでしょう。

ジャンル:
ウェブログ
コメント   この記事についてブログを書く
この記事をはてなブックマークに追加
« 『愚管抄』の「行向」(6) | トップ | 海老名季定 »

コメントを投稿

水月随想」カテゴリの最新記事

トラックバック

この記事のトラックバック  Ping-URL
ブログ作成者から承認されるまでトラックバックは反映されません。