天上の月影

勅命のほかに領解なし

行空上人の法然門下における地位(5)

2017年07月13日 | 小論文

 ではその三百八十余人のなかで行空はどういう位置にいたのか。法然在世当時の史料としては、先ほどの建長四年(一一九八)に記された「没後起請文」に、
 

弟子多しと雖も、入室の者は僅に七人也。所謂、信空・感西・證空・円親・長尊・感聖・良清也。(後略)(1)

とあって、財産の分与を述べている。このなかに行空はいない。もっともこれは入室の門弟で必ずしも上足を示しているものではないであろう。ただ信空・感西・證空の名があることは注意すべきである。そして何度も触れる『三長記』元久元年(一二○四)の条には安楽・行空・幸西・住蓮が名指しで訴えられている。梯實圓氏はこの四人を「南都・北嶺の指導者たちは、法然教団の信仰と伝道の中核がどこにあるかをはっきりと見抜いていたのです(2)」といわれている。行空は外部からこの当時、幸西・安楽・住蓮たちとともに法然門下を代表する人物と映っていたのである。

(1)『漢語灯録』巻一○「没後起請文」(『真宗聖教全書』四・五三一頁)
(2)梯實圓氏『親鸞聖人の生涯』(法蔵館、二○一六年)九三頁。

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