天上の月影

勅命のほかに領解なし

末代無智章法話(4)

2017年02月12日 | 利井鮮妙和上集

【読みやすさの便をはかり、旧字を改め、句読点や送り仮名を付したところもある】

 処(ところ)が此(ここ)に皆さんに御注意申して置ねばならぬ事があります。此の間、一人の同行が参りまして、私に御縁に預かりたいと申しました。そこで段々話してみますと、なかなか後生に身を入れて、あちこちらと聴聞致した様子でありますから、足下(あなた)の様に沢山処々方々に聴聞してをれば別に老衲(わたくし)の話を聞ぬとも宜しいぢゃないかと申しましたら、同行の申さるゝには、広く聴聞いたしたき故御話聴聞に参りましたと申されたから、老衲(わたくし)は大変に其の不心得を諭したことでありますが、今日参詣の僧分や同行中に左様な心得が有ては大(おほき)に不可(いけ)ません。学問するならば凡より聖に至るまで一切碍(さはり)なく皆学ぶことを得ると光明大師も申されてありますから、別に差閊(さしつかへ)はありませんが、自分の出離の一大事に付て御教化をものが広く聴聞するなどゝは、実に不心得千万であります。蓮如様の末代下根の機が広き御教化を聴聞しては、何の事やら判らぬ。よし判つても御教化が長くなると倦怠(たいくつ)の念を起し、又は厭気(いやけ)が生ずる様になりては気の毒故、一口にちゞめて手短に聞取れる様遊ばされた御文章に叛(そむ)くことになります。広く聴聞して物知りになりたい様の精神ぢやから、凡夫往生の鏡たる御文章をあなどる気が起り不足に思ふ様になるのであります。そんな精神では随分学者にはなりませうが、御慈悲は判るものではありません。御信心は得られるものではありません。狭く手短にちゞめて聴聞すれば必ず信は得られます。分量多いふりだしは余り効(きき)めがありませんけれども、芥子よりも小さき六神丸は余程重病に効能(ききめ)があります如く、蓮如上人一通の手短な御教化は、我々の往生を満足下さる効能(ききめ)あります御教化故、僧俗共にそのつもりで朝暮拝読させて頂ねばなりません。

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