天上の月影

勅命のほかに領解なし

幸西の聖道門観(3)

2016年10月12日 | 小論文

         三

 『略料簡』はまず「学法に九十六種の道有り。束ねて二と為す。九十五種は外道にして一種は仏道なり」といって、あらゆる宗教思想から判釈をおこなっている。そこに九十五種を外道とし一種を仏道というのは、おそらく善導が『法事讃』に、

九十五種みな世を汚す。ただ仏の一道のみ独り清閑なり(1)。

といっているのによったものであろうといわれている。その「九十五種」と「仏の一道」を合わせて「学法に九十六種の道有り」というのである。こうした外道もふくめて分判するのは、親鸞が『教行証文類』において、前五巻に真実の教・行・信・証・真仏土を明かし、後一巻である「化身土文類」の本に要門・真門・聖道の方便の法門を明かし、末に外道釈として邪偽の宗教を明かす、いわゆる真仮偽の三重廃立と同じ傾向にある。また空海(七七四~八三五)も『秘密曼荼羅十住心論』に、「今此の経(=『大日経』)に依つて真言行者の住心次第を顕す。顕密二教の差別、亦た此の中に在り。住心は無量と雖も、且く十綱を挙げて之の衆毛を摂す。一に異生羝羊住心、二に愚童持斎住心、三に嬰童無畏住心、四に唯蘊無我住心、五に拔業因種住心、六に他縁大乗住心、七に覚心不生住心、八に一道無為住心、九に極無自性住心、十に秘密荘厳住心なり(2)」といい、十住心判をおこなっている。『秘蔵宝鑰』にも同じ十住心を挙げて(3)、略述してある。そのなかの第一・異生羝羊住心は道徳を知らない心の段階であり、第二・愚童持斎住心は道徳が心に目覚め人倫の道を知る心の段階であり、儒教のごときがこれにあたる。第三・嬰童無畏住心は宗教を知る心の段階であり、中国の道教やインドのヒンドゥー教などが入る。これらの三住心は仏教以前の段階であって、教判のなかに摂めているのである。もっとも十住心判は「真言行者の住心次第を顕す」というように心の段階を十に分類したものであって、教判としては第二義的なものとされる。真言宗の教判は『弁顕密二教論』に説かれる顕密二教判が主である。それゆえ法然も『選択集』に聖浄二門判を立てるとき、諸宗の教判を例示するが、そのなかで「真言宗のごときは、二教を立てて一切を摂す。いはゆる顕教・密教なり(4)」といっている。ただし凝然の『八宗綱要』では、「問ふ。此の宗は幾ばくの教を立つるや。答ふ。十住心を立てて、大小顕密等の諸教を摂し、窮尽して遺すこと無し(5)」といって、十住心判を真言宗の教判としている。これについて平川 彰氏は、「顕密二教判はインド以来密教の主張するところであるが、十住心は空海になって初めて説かれたものだからであろう(6)」といわれている。十住心判は空海の独創なのである。そのなかに仏教以外の思想・宗教を入れていること点で、幸西や親鸞と共通するものがあるといっていいであろう。とはいえ幸西は「九十五種は外道にして」というのみで、親鸞や空海のような詳しい論述はない。

(1)『法事讃』巻下(『浄土真宗聖典 七祖篇〈註釈版〉』五七五頁)
(2)『秘密曼荼羅十住心論』巻第一(『大正新脩大蔵経』七七・三○四頁上)
(3)『秘蔵宝鑰』巻上(『大正新脩大蔵経』七七・三六三頁中)
(4)『選択集』二門章(『浄土真宗聖典 七祖篇〈註釈版〉』一一八五頁)
(5)『八宗綱要』(龍谷大学編『講本 八宗綱要鈔』八五頁)
(6)平川 彰氏『仏典講座三九 八宗綱要』下(大蔵出版、一九八一年)七八八頁。

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