天上の月影

勅命のほかに領解なし

蓮如上人の御一生

2016年11月08日 | 水月法話

 有名な『御文章』、聖人一流章には「聖人一流の御勧化のおもむきは、信心をもつて本とせられ候ふ」(『註釈版聖典』一一九六頁)とある。御開山・親鸞聖人から脈々と伝えれてきた浄土真宗の教えの、そのおもむきは、「信心をもつて本とせられ候ふ」。信心が根本なんだよ、信心が肝要なんだよ、というお示しである。そこで蓮如上人の御一生は人々に信心を勧めることにあった。たとえば『蓮如上人御一代記聞書』第一八六条には「信をとらぬによりてわろきぞ。ただ信をとれと仰せられ候ふ」(『同』一二九八頁)とある。信心をいただかないのが悪い。ただ「信をとれ」と勧められたというのである。また第一二一条には「一宗の繁昌と申すは、人のおほくあつまり、威のおほきなることにてはなく候ふ。一人なりとも、人の信をとるが、一宗の繁昌に候ふ」(『同』一二七二頁)とある。私たちは一宗が繁昌するというのを人が多く集まったり、勢いが盛んであることと思うが、蓮如上人はそうではない。たとえ一人でも信心をいただくことが一宗の繁昌というのだと仰せられたのである。さらに第一八七条には「蓮如上人仰せられ候ふ。なにたることをきこしめしても、御心にはゆめゆめ叶はざるなりと。一人なりとも人の信をとりたることをきこしめしたきと、御ひとりごとに仰せられ候ふ」どのようなことを聞いても、自分のこころにかなうものはない。たとえ一人でも信心をいただいたということを聞きたいものだと独り言に仰せられた。そして「御一生は、人に信をとらせたく思し召され候ふよし仰せられ候ふ」(『同』一二九○頁)。蓮如上人の御一生は、人に信心を得させたいというのが念願であったと仰せられたというのである。

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