天上の月影

勅命のほかに領解なし

憲法十七条(2)

2017年08月24日 | 水月随想

 聖徳太子が西暦六○四年に制定された憲法十七条は、憲法とはいうけれども、現在用いられているような法制上のものではなく、聖徳太子の政治理念・政治哲学を表明されたものです。その根本にあるのは、仏教理念です。たとえば、昨日月申しました第一条の「和をもつて貴(とうと)しとなし」というのがそれをあらわしておりましょう。
 そして第二条には明確に、「篤(あつ)く三宝を敬ふ。三宝は仏・法・僧なり」といわれています。要するに、仏教を敬えということです。これを憲法のなかでいわれるのです。日本に仏教が定着するようになったのはこの聖徳太子の功績といっていいでしょう。それゆえ親鸞聖人は聖徳太子を「和国の教主」、日本のお釈迦さまと仰がれたのでした。
 そして第十条には、「われかならず聖(ひじり)なるにあらず、かれかならず愚かなるにあらず、ともにこれ凡夫(ただひと)ならくのみ」といわれています。私たちが人と争いになるのは、いつも自分が正しい、相手が間違っている、そう思うから争いになるのです。でも聖徳太子はいわれるのです。自分が必ずしも正しいわけではない、相手が必ずしも間違っているわけでもない、ともに「ただひと」なんだよ。この、ともに「ただひと」という地平に立たねば争いは絶えません。よくよく心したいものです。

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