天上の月影

勅命のほかに領解なし

アーメンと言う?

2017年05月18日 | 水月随想

 一昨日の夜に真子さまのご婚約が速報で伝えられました。「え~!?」と驚きました。あまりにも突然であったからです。その後もずっとニュースで取り上げられています。いまの世の中ですから、明るい話題におめでたさが際立ちます。ぜひとも幸せになっていただきたいものです。
 二年前、姪の結婚式がありました。ただそれはキリスト教式でおこなわれました。いまどきの若者ですから、オシャレのような感覚だったのでしょう。実際、荘厳な演出でした。それは認めますが、新婦の母親として姉が留め袖を着ているのが不釣り合いのように思いました。そして神父さんか牧師さんかが、式の途中だったでしょうか、最後だったでしょうか、参列者の人に向かって、
「アーメンと言いましょう」
と促されるのです。そこでみな「アーメン」というのです。けれども、新郎新婦をはじめ参列者のなかにキリスト教徒は誰もいないのです。何かおかしくありませんか。信仰もしていない神に向かって愛を誓い、みなが「アーメン」と口にしているのです。これからキリスト教徒になるというならともかく、そんな気はさらさらありません。逆にキリスト教に対して無礼ではないでしょうか。日本人の無頓着な宗教観を目の当たりにしました。

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3 コメント

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Unknown (かささぎ)
2017-05-19 06:16:21
へえー。
それでは水月さんも、アーメンと仰ったのですか。

わたしは祝儀より葬儀に参列することが多いのですが、真宗一に対し法華経三の割合でした。
確かに促されます。お題目の唱和を。
南無妙法蓮華経と唱えつつ、いろいろおもいます。
故人の生前の宗派は真宗だったので、葬儀は真宗かなあと思ったら、やはり跡を引き継いだ人の信仰する宗派で執り行われました。
この葬儀はともだち葬で執り行います、とか言われまして、ん?なんだろ?
と、用語をうちに帰って調べたことは言うまでもありません。

おしゃかさまはどういわれたか知りませんが、
どっちも互いに偽の教えと批難しあいます。
キリスト教も宗派同志でそう。
ああせからしか、
人生、あっという間。
みんな仲良くしませうね。

やまとは大和、ほんとになぜこの字なのでしょうねえ。
僧侶と総領 (かささぎ)
2017-05-24 05:06:38
友人と会い上記のような話をして帰ったあと、その友人から来たメール。

きょうこちゃんがこの頃友人葬に行ったようですが仏法の本義に沿った式はどうでしたか? 僧りょうの本命は仏法を説法する事であり日蓮大聖人は勿論ひたすら信心の指導、弔うのは仲間で法華経を唱えると言うことで友人葬でおくっています。😃 仏事はすべて自分たちでしますがお寺の死活問題になりますよね。😄💦
でも僧りょうも在家の人達におんぶされないで工夫すべきときに来てると思いますが〓
私も結婚して一番良かった事はこの信心に巡り会えた事です。大変強くなりました。鉄鋼の様な強さ😃ではなく柳の様なしんの強い女性を… まだまだかな😱😱😱


以上引用。

僧侶と総領、間違えてない?
とつっこむかささぎに、返ってきたのは、

アッハッハ〜 そうだった(o⌒∇⌒o) なんで漢字で変換できないと!? なやんだね。和子ちゃんは(^O^)
普通、お経を読みお題目を唱えて一時間、長さはあまり関係ないと思うよ。 晩ごはんのおかずを考えたりしてもね。(o⌒∇⌒o)


かささぎ、例の生涯三十三万回が気になっていまして、尋ねてみたのだ。

なんかふしぎ。

参考までに供せよと名前がいうようで。

おお大和ひたかみのくにをやすくにとしろしめして、
相互理解のためにゆるされよ、アーメン。
三十余万部 (水月)
2017-05-24 08:54:53
友人葬は創価学会の方々がなさっています。かつては僧侶を招いて葬儀を執り行っていたようですが、いろいろ経緯があり、現在の形になったと聞いています。

創価学会ではお題目を唱える(こういう言い方でいいのかな)だけで、『法華経』の一部はおつとめしても、全体をおつとめすることはないと思います。もし全体をおつとめすれば、どれほどの時間がかかるのでしょうか。一宿上人と称せられた行空上人は「日に六部、夜に六部を誦し、日夜に十二部を誦して」といわれていますから、それが限界なのでしょう。相当速いスピードだったと思われます。それを生涯に三十余万部も誦せられたということは、生涯をそれに捧げられたといえるでしょう。単純計算すれば70年ほどになります。まさに法華の行者です。

私は浄土真宗の住職ですから、いってみれば念仏の行者です。姪の結婚式で「アーメン」とは口にしませんでした。ただ「へ~」と思っただけです。

昔の川柳に「宗論は、どちらが勝っても、釈迦の恥」だったかな。そんな川柳があります。法華も念仏も、ともにお釈迦さまの教えです。議論を闘わせても、平行線をたどるだけです。相手を攻めるより、有縁の法に遇(あ)えたことを喜ばせていただけばいいのではないでしょうか。御友人が「私も結婚して一番良かった事はこの信心に巡り会えた事です」といわれるように。

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