天上の月影

勅命のほかに領解なし

承元(建永)の法難の結末(1)

2017年08月11日 | 小論文

 建永二年(承元元年 一二○七)二月、法然の専修念仏教団に大弾圧が下された。その結末を示す資料として、『歎異抄』流罪記録には次のように記されている。

    一 法然聖人ならびに御弟子七人、流罪。また御弟子四人、死罪におこなはるるなり。聖人(=源空)は土佐国〔幡多〕といふ所へ流罪、罪名、藤井元彦男云々、生年七十六歳なり。
     親鸞は越後国、罪名藤井善信云々、生年三十五歳なり。
     浄聞房〔備後国〕澄西禅光房〔伯耆国〕好覚房〔伊豆国〕行空法本房〔佐渡国〕
     幸西成覚房・善恵房二人、同じく遠流に定まる。しかるに無動寺の善題大僧正(=慈円)、これを申しあづかると云々。遠流の人々。以上八人なりと云々。
      死罪に行はるる人々
      一番 西意善綽房
      二番 性願房
      三番 住蓮房
      四番 安楽房
      二位法印尊長の沙汰なり(1)。

ここに「法然聖人ならびに御弟子七人」とあるが、幸西と證空は慈円が身柄を預かったので実際は法然および弟子五人ということになる。ただし幸西の身柄預かりには問題がある。『血脈文集』には、

    一。法然聖人者〔流罪土佐国〕〔俗姓藤井元彦〕
        善信者〔流罪越後国〕〔俗姓藤井善信〕
        坐罪科之時勅宣にいはく
      藤井元彦俗姓藤井
      善信者俗名善信(よしざね)
        善恵者無動手大僧正御房(=慈円)あづからしめをはしき
      幸西者俗姓物部常覚房

等とある(2)。死罪について述べるところはなく、法然と親鸞の流罪のみである。また證空の慈円身柄預かりは示すが、幸西の名を挙げるものの、それに触れるところはない。そして法然・親鸞の還俗名が「藤井」であるのに対し、「幸西者俗姓物部」といっているのは、幸西の還俗名が「物部」であったことを示しているのかもしれない。覚如の『拾遺古徳伝』には、

    聖人(=法然)の罪名藤井の元彦おとこ、配所土佐くに〔幡多〕、春秋七十五。このほか門徒あるひは死罪あるひは流罪。流罪のひとびと、浄聞房〔備後のくに〕・禅光房澄西〔伯耆のくに〕・好覚房〔伊豆のくに〕・法本房〔佐渡のくに〕・成覚房幸西〔阿波のくに俗姓物部云云〕・善信房親鸞〔越後のくに国府〕罪名藤井の善信・善慧房〔たゞし無動寺前大僧正これをまふしあづかる〕 已上流罪、指定ともに八人。善綽房西意〔摂津くににして誅す佐々木判官(実名しらず)が沙汰と云云〕・性願房・住蓮房・安楽房〔已上近江のくにむまぶちにして誅す二位の法印尊長が沙汰と云云〕已上死罪、四人(3)。

とあり、幸西の慈円身柄預かりは述べられていない。また「俗姓物部」は『血脈文集』と同じである。静見の『法水分流記』にはまず「上人」として「字法然諱源空」等と註するなか「御配所土州又移讃州」とある。そして門下を列ね、幸西には「阿波配所」の註記があるのみであり、證空には「奥州配所無動寺前大僧正被申預」とある。そして「行空〔住美乃 立一念義 配所佐渡〕」「浄聞〔備後〕」「好覚〔伊豆〕」「禅光〔伯耆〕」「親鸞〔越後〕」と流罪の門弟五人を示したあと、つづいて「善綽」「安楽」「住蓮」「性願」の死罪四人を列している(4)。こうして幸西の慈円身柄預かりを記すのは『歎異抄』だけである。梯實圓氏は「幸西はやはり阿波国へ配流されたのではなかろうか。後年幸西が阿波国に住し、阿波聖人といわれるのもこのときの縁によるのではなかろうか(5)」といわれている。そうするとこの法難において死罪となったのは四名、実際に流罪となったのは法然および弟子六名である。

(1)『歎異抄』流罪記録(『浄土真宗聖典〈註釈版〉』八五五~八五六頁)
(2)『血脈文集』(『真宗聖教全書』二・七二一~七二二頁)
(3)覚如『拾遺古徳伝』巻七第一段(『真宗聖教全書』三・七三七~七三八頁)
(4)静見『法水分流記』(『真宗史料集成』七・八○四、八一一、八一四、八二六頁)
(5)梯實圓氏『玄義分抄講述─幸西大徳の浄土教─』(永田文昌堂、一九九四年)五頁。

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