天上の月影

勅命のほかに領解なし

幸西の聖道門観(7)

2016年10月16日 | 小論文

 ともあれ、まず声聞蔵・菩薩蔵の二蔵判から見ていこう。「蔵」というのはピタカの訳で、容れ物という意味である。英語ではバスケットと訳している。中国仏教では「蔵」と訳したのである。そして「声聞」とは仏陀の教えを聞いた人ということで、仏陀の直弟子をいう。彼らは阿羅漢のさとりを開くために修行する。そこから転じてこの系統を声聞乗といい、いわゆる小乗仏教のことである。前の慧遠の『観経疏』に「声聞に教ふる法を声聞蔵と名づく」とあるように、声聞のための教法を集めたのが声聞蔵である。詳しくいえば、小乗の経・律・論が含まれる。それに対して「菩薩」とはボーディサットヴァの音写で、菩提薩◇を略して菩薩というのである。彼らは仏陀のさとりを得ることを目的として修行する。それを菩薩乗といい、いわゆる大乗仏教である。慧遠の『観経疏』に「菩薩に教ふる法を菩薩蔵と名づく」とあるように、菩薩のための教法を集めたのが菩薩蔵である。もちろんそこには大乗の経・律・論が含まれる。ただ大乗仏教は仏教史のうえからいえば、釈尊滅後数百年を経て成立している。それまでは小乗仏教だけであった。ゆえに小乗仏教という名さえ存在しない。それが大乗仏教が成立して従来の仏教を小乗仏教と呼んだのである。大乗仏教からの貶称である。ところが仏教が中国に伝わったときには、成立史的なことは問わずに、小乗仏教と大乗仏教が並んで入ってきた。そこで小乗仏教と大乗仏教はいかなる関係にあるのかが問題となり、声聞蔵と菩薩蔵と区別されたのである。

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