天上の月影

勅命のほかに領解なし

法然の還俗名について(4)

2017年07月30日 | 小論文

 というのは、先に注意しておいた『四十八巻伝』の太政官符である。他の諸伝にない独自史料であるが、約七ヶ月後に発せられた藤原公定(一一六三~?)の太政官符は次のようである(1)。

太政官符 佐渡国司
 流人藤原公定
  使左衛門少志清原遠安 従参人
  門部貳人        従各一人
右、為領送流人藤原公定、差件等発遣如件、国宜承知、依例行之、路次之国、亦宜給食馬柒具・馬三疋、符到奉行、
同弁       同史
  建永元年九月十八日

公定は内大臣・藤原実宗(一一四五~一二一四)の子であって、このとき正三位であり、のちに従二位に昇るから、藤原姓のままなのであろう。そしてこれを法然の太政官符と比較してみると、和文体と漢文体、日付の位置が異なる、弁官・史の署判の位置が誤っている以外、様式に相違がない。つまり『四十八巻伝』所載の太政官符は史料的価値が相当高いのである(2)。そうすると、法然の還俗名も「藤井元彦」であった可能性がすこぶる高い。それは梯實圓氏が「法然聖人が『藤井』姓をつけられたのは、恐らく藤原兼実(九条家)の縁故によるものでしょう(3)」といわれているように、法然の最大の庇護者であった兼実の意向によるものと思われる。

(1)『鎌倉遺文』一六三八号。
(2)中井真孝氏「『法然上人行状絵図』所収の太政官符」(同氏『法然上人絵伝の研究』〈思文閣出版、弐○一三年〉所収)、平雅行氏『鎌倉仏教と専修念仏』(法蔵館、二○一七年)二九九~三○一頁参照。
(3)梯實圓氏『聖典セミナー 歎異抄』(本願寺出版社 一九九四年)三五九頁。

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