天上の月影

勅命のほかに領解なし

行空上人の法然門下における地位(6)

2017年07月14日 | 小論文

 法然の主著が『選択集』であることはいうまでもない。成立年代については諸説あるが、建久九年(一一九八)とするのが一般的である(1)。行観(一二四一~一三二五)の『選択集秘鈔』によれば、「法然上人は達者、西山上人(=證空)は口入の人也。或は師の仰せに随ひて経律論等の文共を引き集め書かるゝ也。勢観房(=源智)は生年十八也。此の人は御前に侍ると雖も未だ口入の分程に至らざる也。執筆は安楽房にて侍りけるが第二章まで書きたる時、是れ執筆の面目なり。末代に至るまでも安楽房の執筆にて之を書きたりけると風聞せんと謂ひけるを、上人聞し召して謂れ無く出離生死往生極楽の為に書写せしめる教門を、先づ名聞に住して書かんこと末へまで透るべからずと仰せられて、第三章よりは別の執筆真観房(=感西)と云ふ人、之を書きけると云云(2)」と伝えている。法然が達者、證空が口入、安楽と感西が執筆というのである。證空が口入であったことは凝然の『浄土法門源流章』にも「證空年二十三にして是れ勘文の役たり(3)」とある。執筆が安楽と感西であり、安楽が途中で交代させられたことは良忠の『選択疑問答』や『四十八巻伝』等に出ている(4)。感西はまた伝證空の『選択秘蜜要決』に「法門の義を談ず(5)」ともある。こうして安楽・感西・證空の三人が『選択集』の成立に大きく関わっているのである。実際、最も古い原型をもつといわれる京都・廬山寺蔵の古写本(廬山寺本)には三人の異筆が見られる。聖冏(一三四一~一四二○)の『決疑鈔直牒』には、「選択本願」より「念仏為先」までの題号と標宗は法然の自筆であり、第一章より第三章の「能令瓦礫変成金」までは安楽、「問曰一切菩薩」より第十二章までは感西、第十三章より第十六章の「如経法応知」までは他筆で「名字を失す」、「静以善導」以下は感西であるといっている(6)。そして上田良準氏は「名字を失す」という安楽・感西以外の第三筆は筆蹟の研究から證空であるといわれている(7)。これによってとくに感西・證空が法然の信頼を得た上足の弟子であったことが知られる。ただ感西は一二○○年に往生している。弁長は「上人(=法然)御在生の時、真観房が臨終を見て云く、源空は老の身也。汝真観は若き身也。老老の師なれば我れこそ先き立つべかりつるに生き留るよ。汝は若ければ遙かに吾より後にあるべきに老ひたる師に先け立て死するは汝が往生の果報の殊勝なる也(8)」と伝えている。法然が感西にどれほど期待を寄せていたかがわかる。

(1)石田充之氏『選択集研究序説』(百華苑、一九七六年)七○~七二頁、梯實圓氏『法然教学の研究』(永田文昌堂、一九八六年)二七頁参照。
(2)行観『選択本願念仏集秘鈔』一(『浄土宗全書』八・三三六頁)
(3)凝然『浄土法門源流章』(『浄土宗全書』一五・五九六頁)
(4)良忠『選択疑問答』(『浄土宗全書』七・六二五頁)、『法然上人行状絵図(四十八巻伝)』第十一巻、『法然上人伝記(九巻伝)』巻第三上、『法然上人伝(十巻伝)』巻第五(井川定慶氏集『法然上人伝全集』四九~五○、三六三~三六四、六八四頁)など。
(5)伝證空『選択蜜要決』巻第一(『浄土宗全書』八・二四七頁)
(6)聖冏『決疑鈔直牒』巻第七(『浄土宗全書』七・五四七頁)
(7)上田良準氏「選択集の執筆について─草稿本(本文)第三筆は西山証空上人か─」(『西山学報』二九、一九八一年)、同氏「選択集草稿本第三筆は西山上人証空」(『印度学仏教学研究』三○─二、一九八二年)
(8)弁長『浄土宗要集』第六(『浄土宗全書』一○・二三九頁)

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