天上の月影

勅命のほかに領解なし

終焉法話(1)

2017年02月22日 | 利井鮮妙和上集

終焉法話(大正二年十二月二十六日)
                                                      【『利井鮮妙師語録』より】

*読みやすさの便をはかり、原文を改めて表記している。

一 さて本日は教校の報恩講の御縁でありますが、老拙(わたくし)も昨年は必死の心得で本年の報恩講に遇い奉ることは夢さら思いませなんだ。ことに十年程前より今年限り今年限りと心得て、御いとまの心得で営み来たりしが、本年こそ我が身ながらも不思議に思いまする。世には仏の顔も三度といいまするが、ほかのことなら左様でもあろうか知らんけれど、実に恥ずかしいことと思いまするが、凡情というものは情けないもので、永らえていればやはり浮き世執着し、かれこれと話に出来ぬようなことを取り出すが、しかし御法義というものはありがたいもので、御縁に逢えばやはり一席の御話も致したいように心得ますが、一週間前より容体が少し変わりまして、とかく切なくあります。医師も静養せよと申しますから、何事もせぬように致しておりますが、ちょっと一口だけ書き取ってもらいましたから聞いてもらいたい。総体、平素より熟睡の出来がたい性質でありますが、ことに本年は春より熟睡をとることが一夜もないというても、よろしいくらいである。それであるから眠られんについては御和讃を暗誦しておるなかで浄土和讃の終わりに勢至念仏円通の御和讃について毎夜たびたび感じますることであります。

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