天上の月影

勅命のほかに領解なし

本願章法話(2)

2017年03月21日 | 利井鮮妙和上集

 さて弥陀如来は何故に念仏をもって救おうとの願を御起こしなされたかというのに、弥陀如来が昔し法蔵菩薩であったとき、大慈大悲の御心でもって、一切善悪の衆生を御覧なされると、まことにあわれなものであった。善はよいことと知りつつも行うだけの根気がない。悪いこととは知りつつも、進んで止めるだけの勇気がない。慈愛の親の御目から見ると、道楽者やらかたはものほどしほかはいく。ついに抜諸生死の大願を御建てなされたのであります。すなわちつらつら我ら凡夫のありさまを御覧じなされると、実にまたたくほどの間にも生死生死とよろずのものは移りいく。少しくこれを大きくすると、生まれては死に、死んでは生まれ、生じ生じて生の初めも知らなければ、死に死に死んで死の終わりも知ることが出来ぬ。実に曠劫以来流転して来て、この先もまた、無宿無辺に流転しなければならぬのが我々凡夫のありさまであります。これを御覧なされた法蔵菩薩は、どうかして再び迷わぬ仏の身分にしてやりたいものじゃとの大願を御起しなされた。
 そしてどうしたら救えるか。何の故に迷うているかということを御考えなされた。すると我々の生死生死と輪廻するのはまったく煩悩の因によることがわかりました。それではこの煩悩を断ったら生死の迷いがとまるだろう。煩悩を断つにはどうすればよいかとは、だんだん順を追うて考えなされた。すると自分で出来るなら自分で昔に煩悩を断じたろうが、それが出来なかったから今日までこうして迷って来たのじゃ。これは是非どうかしてこの弥陀が救うてやらねばと御考えなされました。

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