天上の月影

勅命のほかに領解なし

行空上人の佐渡における活動(4)

2017年05月06日 | 小論文

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 ただ問題は行空が配流になったとき、忠綱が佐渡にいたかどうかである。『佐渡本間遺文』所収の諸系図で見ていくと、「本間系図」には能忠に「住播磨」(三八一頁)、能久に「佐州守護、住播磨国」(三八二頁)とあり、「本間系図 佐渡本」にも能忠に「住播磨」(三八四頁)、能久に「佐州之守護」、忠綱に「播磨国之住」(三八五頁)とある。「本間系図 浅羽本」には能忠に「実朝公御時任播磨守護」(三八八頁)、能久に「佐渡守」、忠綱に「播磨守」(三九○頁)とある。「本間略系図」には能久に「佐州守護」(三九一頁)とあり、「海老名荻野系図」には能忠に「実朝公時為播磨国守護職」(三九二頁)、能久に「佐渡国守護職」、忠綱に「住播磨国」(三九三頁)とある。「本間系図 丸山本」には能忠に「播磨殿護住」(三九九頁)、能久には非常に詳しい註記があるなか「佐渡守護」(四○○頁)、忠綱にも興味深い註記があるなか「佐渡守」(四○三頁)とある。それについては後述しよう。「本間系図 真野宮本」には能久に「佐渡守護」(四二五頁)とあり、「河原田本間系図 佐渡風土記」には能忠に「播州譲位」、能久に「後朱雀院之御宇 初て佐渡の守護となる」、忠綱に「播州住 佐渡の守護たり」(四二六頁)とある。「佐渡羽茂略系」には能久に「佐渡守護」とあり、「本間系図 太田亮説」にも能久に「佐渡守護」(四四二頁)とある。『佐渡名勝志』所収の「中興村西蓮寺本間系図」には忠綱に「播磨守」(四七九頁)とある。これらによると、能忠・能久・忠綱は播磨国と佐渡国にゆかりがあったことがわかる。「本間系図 浅羽本」「海老名荻野系図」では能忠が源実朝(一一九二~一二一九)のときに播磨国の守護に任じられたとしている。「河原田本間系図」では能久が後朱雀天皇(在位一○三六~一○四五年)のときにはじめて佐渡国の守護となったといっているが、これは時代が違うから誤りであろう。しかし年代は不明ながら能久が佐渡の守護であったことは他の系図も記しているところである。そして能忠・能久、とくに忠綱が播磨国に住していたことを記しているのは注意される。

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