天上の月影

勅命のほかに領解なし

法然の還俗名について(1)

2017年07月27日 | 小論文

 建永二年(承元元年 一二○七)、朝廷は法然およびその門下を死罪四名、流罪八名(ただし幸西と證空は慈円の身柄預かりとなったので事実上は六名)とする大弾圧を断行した。いわゆる承元(建永)の法難である。このとき法然が土佐国(実際は讃岐国)、親鸞が越後国に流罪となったことは周知のごとくであるが、問題は還俗名である。親鸞が「藤井善信」であったことはよいとして、法然については「藤井元彦」とする伝承と「源元彦」とする伝承がある。
 まず「藤井元彦」説は、『歎異抄』『血脈文集』『拾遺古徳伝』のほか、『正源明義抄』『法然上人遠流記』『法然上人恵月影』および関通の『一枚起請文梗概聞書』や『華頂誌要』である(1)。とくに注意すべきは『四十八巻伝』所載の太政官符である。
 

   太政官符  土佐国司
   流人藤井の元彦
   使左衛門の府生清原の武次 〔従二人〕
   門部二人         〔従各一人〕
右流人元彦を領送のために、くだんらの人をさして発遣くさむのごとし。国よろしく承知して、例によりてこれをおこなへ。路次の国、またよろしく食済具馬疋をたまふべし。符到奉行
 建永二年二月廿八日  右大史中原朝臣〔判〕
  左少弁藤原朝臣

とあり、承元元年十二月八日に勅免になったときの太政官符も掲載され「藤井元彦」となっている(2)。『円光大師行状画図翼賛』は勅免の太政官符を掲載し、建暦元年十一月入洛の宣旨も掲載しているが、やはり「藤井元彦」となっている(3)。

(1)『歎異抄』(『浄土真宗聖典〈註釈版〉』八五五頁)、『血脈文集』(『真宗聖教全書』二・七二一、七二二頁)、『拾遺古徳伝』巻七(『同』三・七三七、七五一頁)、『正源明義抄』巻第六(井川定慶氏集『法然上人伝全集』八七一、八七七頁、ただし八九五頁には「源の元彦」ともある)、『法然上人遠流記』巻之上(『同』九一○、九一二頁)、『法然上人恵月影』九六○、九六三頁)、関通『一枚起請文梗概聞書』(『浄土宗全書』九・二二九頁)、華頂山編『華頂誌要』(『同』一九・一七三頁)
(2)『法然上人行状絵図(四十八巻伝)』(井川定慶氏集『法然上人伝全集』二二五、二三六~二三七頁)
(3)『円光大師行状画図翼賛』巻三六(『浄土宗全書』一六・五四三、五五四頁)

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