天上の月影

勅命のほかに領解なし

出世本懐法話(6)

2017年06月18日 | 利井鮮妙和上集

 「応信如来如実言」、如実とは「ほんま」といふ事、ほんまとは虚(うそ)でないといふ事、「唯(ただ)弥陀の本願海をとかんとなり」とのお言葉は、「うそ」ぢやない、「ほんま」ぢやから聞き果して遅慮する事なく信ずべしと仰せられた。
 海の水が塩からいとて海へ淡水(まみず)をつき込む様な馬鹿もなければ、海の水が塩がたらんからとて塩を入れて加減せうとする阿呆もあるまい。南無阿弥陀仏は海の様な広大なものであるから本願海とも智慧海とも慈悲海とも功徳海とも仰せられた。此の大きな南無阿弥陀仏の海に向ふて徳を往けるか往けんかと聞いて遅慮するのは、丁度海の水に加減を心配する様な馬鹿な事であるから、そんな事に遅慮し孤疑する事なく如来様の仰せを聞いたまゝを思ふべしとのお言葉である。聞いたまゝを思ふべしとは聞いた通りを思ふので、助くると聞いたりそのまゝに助かると思へといふ事である。誠に有難い事ではないかよく聴聞せねばならぬ。(終)

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