天上の月影

勅命のほかに領解なし

マネキン人形

2017年05月17日 | 水月随想

 御法話をさせていただいておりましたら、御聴聞くださる方々はさまざまです。なかには一番前に座っておりながら、これみよがしに大あくびをされた方がいました。それほど聞きたくないなら出ていけばいいのに、と思いました。また逆に何度も大きく頷かれたり、メモを取られたり、笑い話のときは声をあげて笑われる方もおられます。そうすると、話し手の私のほうも乗ってきて、つい横道にそれたりしながら、調子よく話すことはできます。昔は「受け念仏」というのがあったという話を聞きますが、それには一度も出会ったことがありません。けれども御法話の始まる前、終わったあとにはお念仏の声が聞かれます。ありがたいことです。
 ところが先日、ある御門徒の家で御法事がありました。おつとめを終え、御法話になったとき、誰一人として微動だにしません。同じ話を違う家でさせていただいたときには、たいてい「浄土真宗でよかったと思ったわ」とか「いい話を聞かせてもらって」とかおっしゃるのに、そのときはまったくそのような素振りはありません。まるでマネキン人形に向かって話をしているようでした。途中でもうやめようかとさえ思いましたが、最後までお話しさせていただき、御文章を拝読して終えましても、お念仏の声は聞かれません。ただ私のお念仏の声が響くだけです。何とも不思議な仏縁でした。

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