天上の月影

勅命のほかに領解なし

高野堂「行空上人の墓」について(19)

2017年04月19日 | 未発表論文

 しかしこれについては二点を述べたい。第一にこの伝記はほかに『今昔物語集』巻第十三(『岩波古典文学大系二四 今昔物語集』三・二四一頁)や『三外往生伝』(『岩波思想大系七 往生伝 法華験記』六七四頁)にも記されていることが指摘されている。國武久義氏『「はんや」舞の研究』二○○頁などである。『今昔物語集』は一一二○年代以降、『三外往生伝』は一一三七~一一三九年に成立したと考えられている。しかし、それらよりも『法華験記』巻中にあることに注意しなければならないであろう。天台宗の鎮源(生没年不詳)が長久年間(一○四○~一○四四)に撰述したものである。そこに次のように述べられている。

沙門行空は、世間に一宿の聖と称ふ。法華の持者なり。日に六部を誦し、夜に六部を誦し、日夜に十二部を誦して、更に退き欠くことなし。出家入道して、心を発してより以後、住む所を定めず、猶し一所にして両夜を逕ず。況や庵を結びて住せむや。猶し三衣一鉢を具足せず。況や余の資具をや。身に具するところのものは、法花一部ならくのみ。五畿七道に、行かざる道なく、六十余国に、見ざる国なし。その間、路に迷へば、天童路を示し、渇乏して水を求むれば、神女水を与へたり。もし悩むところあれば、天の薬自らに臻り、もし食に飢うれば、甘き飯前にあり。妙法の力に依りて、賢聖常に現じ、天神身に副ひたり。乃至老後に、鎮西に出でたり。九十に及びて、法華経を誦せり。一生に誦するところの部数は三十余万部なり。終の時に臨みて、普賢摩頂して、文殊守護し、蓮華足を承けて、天衣身に懸け、浄土に往生せり。(『岩波思想大系七 往生伝 法華験記』一三七頁)

 

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