天上の月影

勅命のほかに領解なし

高野堂「行空上人の墓」について(20)

2017年04月20日 | 未発表論文

これを見れば、『元亨釈書』の行空伝は明らかにこの抄出である。『元亨釈書』が『法華験記』を素材にしていることは、すでに禿氏祐祥氏「元亨釈書の素材と法華験記」(『龍谷学報』三二七、一九四○年)や黒川訓義氏「法華験記と元亨釈書との関係」(『皇学館論叢』一二─六、一九七九年)に指摘されているが、いまもその一つである。したがって一宿上人と称せられた行空は、『法華験記』に記述がある以上、その成立以前の人物といわねばならない。年代を特定できないが、遅くとも一○三○年ころまでに没したと考えられよう。そうすると、本覚院の伝承として行空が建久年間(一一九○~一一九八)に開いたといい、その伝記を『元亨釈書』に求めるのは無理がある。また行空の没年を文永年中(一二六四~一二七四)とするのも同じである。おそらく行空を開基とするにあたって、『法華験記』に記述があることを知らず、行空といえば『元亨釈書』というように伝記を構成したのであろう。

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